年が変わって仕事も落ち着いたのか、兄さんに急に呼び出された。
もちろん、直接の連絡ではなく、両親経由で、だけれど。
「お兄ちゃんが、この日のこの時間なら会えるって」
理由はわからなかったけれど、「わかった、行く」と、指示されたカフェに行くことにした。
大学の近くで、女子がよく入っているところを見かけていたので、立ち寄る候補にしていなかった場所だ。
意を決して店内に入り、ほどよく席の埋まっている。
中でキョロキョロとしていた俺に、声がかけられた。
「伸二、ここ」
「……っ」
呼びつけられた先、たしかに兄さんはそこにいた。店員さんが光平さんや鷹生でないかぎり、名前を呼ぶわけがない。
だから、そこにいたのは、兄さんだ。
店内が若干暗いせいか、表情はそこまではっきりとは見えていない。
ただ、学校祭で見かけた時とも、実家で出くわした時とも、ちょっと雰囲気が違った。
そろ、と木枠の椅子を引いて、座る。上着を脱いで、椅子の背もたれにかけるために、ちょっと振り返って、呼吸を整えた。
よし、と気合いを入れて、振り向きざまに俺は兄さんに声をかけた。
「あの、俺」
「いいから、注文」
その気合いは、盾のように示されたメニューに塞がれた。
ドリンク、の文字に、ホットアイスの区分け。
どれもそれなりの値段、と思ったけれど、甘さの度合いが分からないものは避けるほかない。
「え、あ……じゃあ、ココア、ホット」
「わかった」
つぶやいた俺を尻目に、兄さんは勝手知ったる様子で俺の分まで注文してくれた。
この店のオススメとかいう固めのプリンまで二人分。
「えっと、その」
「まず食べる」
「……うん」
なんだか、光平さんよりもチャキチャキしている分、よそよそしく感じる。
やっぱりこれは、俺の悪行が原因だろうか。
あれだけ避け続けていた俺と、一緒にいて、本当に大丈夫なのだろうか。
注文したものが届くまで、兄さんは一言も発しなかった。
「ココアのお客様」
「そっちに」
「はい」
「あ……ありがとうございます」
店員の爽やかな声に、兄さんの強い指示。
よっぽど俺のほうが、逃げ出したくなっていた。
しかし。
「ご注文のプリンです」
「わ、あ……」
「ありがとうございます、以上で」
「ごゆっくりどうぞ」
目の前にスイーツが来たら、話は別だ。
さっきまでの固い雰囲気は俺の脳内から飛び、プリンに集中するしかない。
テレビで見るような、プリンの上に生クリームと赤いサクランボがのっている、古式ゆかしい「プリン」の様相。
一気にがっつく前に、兄さんの「食べなよ」まで待っていた自分を、俺は褒めてあげたいくらいだ。
食べたプリンは普段食べているトロトロ系とは違った味でおいしかったし、それに負けないくらい、生クリームの乗ったココアもおいしかった。
兄さんも、食べ終わるまでは特に話してくれる気がないらしく、ちゃんと黙々とプリンを堪能していた。
一緒に飲んでいたのはブラックコーヒーだったみたいで、「やっぱり大人はみんなそういうものなのか」とも思いながら、俺はちびちびと両方を堪能した。
プリンを完食して、ちょうどその皿が回収されたとき、「あのさ」と兄さんが切り出した。
「光平と俺のこと、今さらだけど言っとかないとって」
「え?」
今更、なんてどういうことか。しかも、兄さんのほうから光平さんの名前が出るなんて。
動揺していたものの、兄さんの言葉はちゃんと聞かないと、と俺は向かい合う兄さんをじっと見ていた。
「光平、ダブってんの知ってる?」
「兄さんと同い年ってところまでは」
一応、聞いた気がする、と俺は呟いた。
「本人が多分言うとは思うから、詳細は省くが……」
言いたくなかったのか、じっくりと時間をおいて、兄さんは続けた。
「先輩って呼ばれてた奴に、襲われかけて一年ダブってる。以上」
「そ、れは」
「これ以上は言わない。想像に任せたくないけど、お前何するかわかんねえし、ここまで」
兄さんは、過去の俺のほうを見ながら、そう呟いた。
「ちなみにお前と同じく、高校から追っかけてきた相当な執着。光平の同回生……たしか北野ってやつは知ってる。だから俺は二人にお前の話はした」
「だから……ああ」
さっきまで飲食していた甘さが、どんどん胃を重くしていた。
北野さんの目が、声が恐かったこと。
光平さんが頑なに「先輩」を否定していたこと。
兄さんが、俺のことをしっかりと伝えていたこと。
ぜんぶ、繋がってしまった。
背中を伝う汗が、どんどん冷えて、指先の感覚がどんどん遠くなっていく。
自分が、今まで何をしていたか。何を勘違いしていたのか。
それが、光平さんにとって、何を想起させていたのか。
俺は、過去の俺の行い全てを恥じた。
全て。そうだ。すべてだ。
なのに、光平さんは俺と一緒に、いてくれていたのか。
兄さんはなんの感情もないように、俺をじっと見ていた。
「……それって、だ、いじょぶだったの?」
「さあなあ」
息苦しさも覚えながら、俺は、兄さんに問いかけた。
「一応、お前の前にいるから、大丈夫なんじゃねえの」
兄さんは明日のランチのメニューを決めるような気楽さで、そんな言い方をする。
でも、本当にわからないのかもしれない。
じゃあ、俺は、この先、とぐるぐる回り始めたとき「それで」と兄さんが口を開いた。
「少なくとも、光平は先輩呼びされないようにはしてるよな? 部活とかサークルとか、極力避けてるし、昔はバイト先もコロコロ変えてた」
「それって」
「まあ、長く勤めてたら〝先輩になるから〟だろうな」
「……っ」
それだけの理由で。いや、その理由だから、だ。
俺は理解してきた。兄さんに対してもそうだったのだから。
俺のような人間が、二人三人といたら、もっといるかもしれないと警戒することだってある。
それは、当たり前のこと。
だから、光平さんは俺に対しても「先輩呼びするな」と言ってきたのだ。
「でも、俺は」
どうして、一緒にいてもいいんだろう。
一緒にいてはいけないのではないか。
そう考えたものがそのまま口に出ていたのか、兄さんは軽い口調で「ああ、良いんじゃねえの?」なんて言う。
「……っそ、それって、俺は……今まで」
「光平が、嫌だって言ったのか?」
「それは……わかんない。言われたこと、たぶん……ない、と、思うし……」
「じゃあいいんだよ」
兄さんはそう言って、はあ、とため息をついた。
「いい加減、ちゃんと、光平と話せ」
「普段、話してるけど」
「そうじゃねえ」
ここまで言うつもりはなかったんだけど、と兄さんは間を置いた。
「おまえ、自分の気持ち言わないよな」
少し目線を下げて、俺をあおり見るようにかがんだ兄さんは、そう言った。
「え?」
「兄さんと一緒がいい、は反吐が出るほど聞いた。でも、じゃあなんで、俺だったんだ」
「そ、れは……」
「まあ……それが今出来たら、正直あんなことはして来なかっただろうし、初手で苦労しないわな。じゃ、今日はここまで」
そう言って、兄さんは立ち上がる。
「光平と、ちゃんと話せよ」
兄さんは、そう言うと会計用のプレートを持って、去ってしまった。
俺の前には、わずかに残ったココアしか残されていなかった。
またちゃんと謝れなかった、という後悔は確実に俺の中にあった。
でも、それ以上に、兄さんが問いかけた謎が、俺の心を揺さぶっていた。
――俺の気持ち?
一緒に、いてもいいのだろうか。
一緒にいたいと伝えてもいいのだろうか。
でもなんで、今一緒にいたいのは、光平さんなのだろう。
兄さんに近かったから、構ってくれたから、いつも一緒に、いてくれたから。
それすらも、整理ができない自分が、隣に居続けていいんだろうか。
マグカップの内側にへばりついている生クリームの地層柄。
こんなふうに、積み重ねてきた結果が今だ。
それは、個々人で、きっと違う色合いで重なっている。
「話すって、なにを……?」
兄さんの口から聞いたそれを、咀嚼する間もなく、店員さんから「すみませんが、」と声をかけられ、慌てて店を出た。
当然、兄さんはそこにはいなかった。
――俺から、何を、光平さんに?
悶々としているうちに授業は再開され、試験期間に入った。
戻った、の言葉通り、数日は光平さんと一緒に昼食をとることもあったが、それもいつもと変わらず、何の進展もなかった。
会うたびに、何か言わなきゃと思うのに、実際、会って話すべき内容が何かわからなくて、そのたび光平さんのちょっかいに乗って、ご飯を食べているうちに時間は過ぎていく。
俺は、一人になるたび混乱する頭をなんとかなだめて、試験対策に専念するほか、なかったのだった。

