ブラコン新入生は、兄の友人から恋を学ぶ



 昔の俺は、素直に健気と言って差し支えなかった。
 一途は褒め言葉。そう信じていた。

 しかし、その方向が誤っていたと理解したのは、周囲の冷ややかな視線を理解できるほど大人になってからだった。

「……伸二くんってさぁ」
「ねえ?」

 遠巻きに言われる言葉なんて、気にしていられなかったのだ。
 俺は、周囲を気にしている余裕など、なかったのだから。

「よりにもよって、他地域とか……」

 四つ上の兄さんは、高校卒業と同時に家を出た。
 あこがれの下宿生活とやらを、否定するつもりは毛頭なかったが、二言目には「どうして兄ちゃんは帰ってこないの」だったのだから、俺は相当、だったのだろう。

 いつしか、将来の希望は、自分にとっては高望みの大学に通うことになっていた。
 ぎりぎり受かるかどうかだし、学費もあるから「今年決まらなかったら、即就職」なんて言われていて。

 とにかく必死だった。高三の記憶がほとんどないのは、すべて詰め込み学習のせいだろうとは思う。

「お兄ちゃんと一緒」が叶わないのならば、同じところに行き、同じものを感じたい。
 それがすべてのエネルギー源だった。端的に言えば、ブラコンだったんだと思う。

「ぜんっぜん、知られてないじゃん……」

 地元で、兄はよく知られていた。
 というか、俺が兄の名前を出せば「ああ、例の弟」と認知されていた。
 それを良い方だと捉えていた過去の自分。

「あのさ、結構気持ち悪いんだけど」
「誰、それ」
「ていうか、出身ってこの辺じゃないよね?」
「田舎なら仕方ないかもだけどさあ」
「ねえ?」

 クスクスと冷ややかに笑われる自分。
 憤りはしたものの、それ以上はなくて。

「……なんで」

 無事にぎりぎりの成績で入学し、兄と同じ大学に入り、文字通り「兄の後輩」の座を手にした自分。
 喜んだのは、引っ越すまでの間だったかもしれない。

 学科の授業紹介の時に来ていた先輩に、俺は兄のことを聞いた。
 が、知らない、と言われるまではよかった。

 俺が角を曲がり、次の手を、と隠れていたときに、先輩たちの声が届いてきた。

「ていうか、誰、龍之助って。誰か知ってる?」
「知るわけないじゃん」
「古風~」
「OBのこと、呼び捨ててるのもなんか」
「てか有名人なの? そのひと」
「知らなーい。バズった人の名前なんて、芸人でも覚えてないのに」
「言えてる言えてる」
「さっきの変な人、後輩になるのヤだなぁ」
「また、あんな人増えるのかな、いやだよねぇ」

 クスクスと密やかに笑われていて、とりつく島もない。
 わかっていたことなのに、俺は、どうしても納得できなかった。

 これが、何度も、何度も続いていくうちに俺は、己の浅はかさを理解するに至っていた。

 古今東西、四方八方から入学者がいるマンモス大学の、人口規模をナメていた。

 昔から地元では、「龍之助の弟なんだけど」と言えば、いろんな人に愛想よくしてもらえた。
 それは、あくまで、「兄を気遣った故の行為」だと理解したし、「兄さんに負けないように頑張れよ」なんて優しい言葉は、そもそも「兄離れしろ」という意味だったのかもしれない。

 二言目に「で、龍之助の弟なんだけどさ」と言い続けた結果「謎の動画配信者か、インフルエンサーの弟を騙るやべーやつ」の称号を得てしまった。
 否定の言葉すら通らない。普通の格好をしているというのに、まるで俺自身から異臭が放たれているかのように距離を取られる。もちろん、毎日洗濯、入浴は欠かしていなかったのに、だ。
 こんなはずじゃなかった。
 調子のいい同級生の鷹生に指摘されるまで、それに気づけなかったのは痛い。
 いつものように兄の名前を出し、女子どころか男子にも「ああ、コイツが例の」なんて嘲笑を受けて、次の授業へと向かおうとしていた時だった。

「あのさあ、一応聞きたいんだけど」
「なに」
「伸二くんってさあ……ブラコン? じゃないよな?」
「ブラコンって、兄一途、だろ。いいことじゃん」
「あー……」

 鷹生はすこぶる言いづらそうに空を見上げつつ、首を左右に振っていた。
 何をどう言いよどんでいるのかも俺には理解できず、鷹生の次の言葉を待った。

「一応、いちおうさぁ、おまえのこと勉強以外はやべー変な奴だと思ってるから言うんだけど、それ、九割九分、そのブラコン具合はおかしいから」
「は?」
「都会っちゃあ都会の大学だから、……おまえ、めちゃくちゃ異常。兄貴に頭どころか下もメロメロ説すら出てる」
「は、あ? 意味、わかんねえって!」
「大学にいる人数知ってる?」

 鷹生に問われて、そのときの俺は、人数を数えた。
 入学式に来ていたのが何百人で、そのうち、

 で、実際にキャンパスに通っていた人たちは、自家の何十倍にもなっていることに、気付いてしまった。

「……あ」
「おまえが住んでた地元、俺もあんまりうるせぇから調べたけどさ、学生だけでも相当だろ?」
「あ、ああ……」
「で、おまえの高校ひとまとめくらいが同回生なわけ。つーことは、おまえの兄貴に遭遇する確率、やばいのわかるだろ?」

 さあ、と、血の気が引いた。やばいくらい、多いのだ。会えるわけがない。兄さんのことも、俺のことも、知っているわけがない。
 理解した。ただの事実を言ってくれた彼への感謝も飛ぶくらい、一瞬で理解した。
今までおかしかったのは、自分だ。
 そして、自分の言動のやばさも、ぜんぶ、理解してしまった。

「……お、れ」
「まあ、兄貴好きなのは十分わかったから、今度は他の」
「どうしたらいいんだよ!」

 俺は思わず、鷹生の胸ぐらをつかみ取ってしまっていた。
 どうしたらよかったんだ。
 兄さんは、俺の前から姿を消した。俺に、なにも、言わずに。
 両親から聞き出した内容ですら、俺には「必要ない」と切り捨てられて。

「成績優秀になるくらいしかないんじゃね? どうせバイトとかするんだろ?」

 ぽろ、と鷹生がこぼした言葉が、すべてだった。
 何かしらの功績があれば、もしかしたら、兄さんは、家族は、俺を見直してくれるかもしれない。

 なんとなく、そう思えた。
 いや、すがっただけ。ただ、そこに都合のいい答えがあるから、それを正解としたかっただけで。

 妄想から、ぼーっと、虚空を見上げていた俺に、鷹生は言った。

「ちなみにさ」
「……これ以上、なんだよ」
「伸二は、最近兄貴と会ってる?」
「……っ!」

 先ほどまで考えていたことを言い当てられて、思わず鷹生から目を逸らした。
 そうと察した鷹生は、俺の背中に手を添えてきた。
 思ったよりも、他人の熱が不快ではないことに驚いた。

 こんなじわりと広がる熱ですら、俺は、兄さんと共有できなかったのか、と、俺はさらに背中を丸め、鷹生から顔を隠す。

「あー……いや、悪い。そうだろうなとは思った」

 落ち込むなよ、と鷹生にばしんと背中を叩かれたけれど、それは土台むりな話で。
 一人暮らしの部屋に戻る頃には、もうだいぶ、思い出してしまったのだった。

「……会いたくない、って、わかってたけど」

 それ以上を考えたくなくて、夕食の時間を過ぎるまで、俺は眠ってしまっていた。