16歳、先生になる―女子高生社長の挑戦―

(いやぁー……あっという間だった気がするなぁ……)

夕方の5時。

私は英智ゼミをやっていた203号室に、1人でやってきた。

夕日が差し込み、オレンジ色になった誰もいない教室。千夏ちゃんや真衣ちゃんの笑い声が残響のように耳に残っている。

(……色々あったな)

面談の用に買ったテーブル。千夏ちゃんや真衣ちゃんのお母さんを前にして……緊張ばかりだった事を思い出す。

何度、涙を流したのか……思い出せない。

(私……間違った事、したのかな)

真衣ちゃんに「後悔しないように……勉強じゃ無くて、ギターに専念するべきだ」と言った事。

心の奥にまだ少し引っかかっていた。遠藤先生も智花も……想いを尊重してくれたけど……。

(お父さんにはああやって言われたけどね……)

「お前には向かないよ」

そうなんだろうか。真衣ちゃんには「勉強とギター、両立すれば良いじゃん」と伝えるべきだったんだろうか。

(……)

「絶対に正しい答え」は無いような気がしている。
 
遠藤先生の言う通りで……その人なりの「正解」があれば、それで良いような気がしていた。

いつかまた……私自身がもっと成長できて、教育について自分の意見を今よりも、もっとしっかり持てた時……また社長になろうと心の中で小さく思った。

(さて……机を拭いたら、帰ろっかな)

千夏ちゃんや真衣ちゃん。そして2人のお母さん……英智ゼミを始めなければ、絶対に出会う事は無かった。

智花とも、先生とも、お父さんとも……こんなに真剣に話をする事も無かった。

この2ケ月~3ケ月間の出来事。そして出会い。これは夢じゃ無いし、ウソでも無い。ちゃんと目の前にあった現実。

(これが、私の宝物だ)

週末に解約する203号室。感謝の想いを込めて……私は机を雑巾がけした。

――

「よぉし、じゃ……始めるぞー。教科書の……」

いつもの日常が私たちに戻った。ベイブリッジの見えない2階の窓の景色。私には退屈過ぎる。

「おい! 藤本っ! 聞いてるのか? ぼんやり窓の外なんか見て」

星野先生が教卓の所から、鋭い視線を私に送っている。

「あ……すいません」

机についていた右ひじを、そっと崩して姿勢を正す。「そういえば……この感覚、懐かしいなぁ」と急にフラッシュバックした。

「先生!」
「……ん? どうした」

「そういえばなんですけど……私、先生にお礼を言わないといけなくて!」
「……はぁ?」

ぼんやりしていた事を怒られたのに……笑顔で先生に切り返した。

クラス中がざわざわと私に視線を向けているのを感じる。

「先生、言ったじゃないですか」
「何をだ? 色々言ってるぞ? お前達には」

「『受験勉強も良いけどぉ~……もっと色々やってみたらどうだぁ~?』って」

私が星野先生の真似をしたのが伝わったらしく、教室の至る所でくすくすと笑い声が起きる。

「私……やってきましたよ! 先生のお陰です!」
「……やってきた? 実際に何かしたのか」 

「はいっ!」
「ほぉ。何してきたんだ?」

「……それは秘密ですっ! ひ・み・つ!」

教室中が、2回目の笑いに包まれた。先生は何か言いたげだったけど……「じゃ、小話も終わったし、授業やるぞぉ」と言って、いつもの古典の時間へと戻って行った。

「はぁ。終わったねぇー……私たちの青春」
「ふふっ……そうね。短かったかもね」

智花は部活を休部している。なので英智ゼミを畳んだ後も……毎日一緒に帰る。たまに図書館で一緒に勉強したりもしてる。

「何か……夢の中にいたような気分だよ。私は」
「そう? しっかりと現実だったじゃない。頑張ったと思うよ」

「うん。泣いたよねー……色々あったよ、本当に」
「ねぇ。色々あったね……」

すっかり桜も落ち切って、既に新緑の季節も終わりに差し掛かろうとしていた。

衣替えの季節。私たちはまだ頑張って長袖のまま。

しばらくお互いに無言のまま……校門を出て山手駅へと向かって歩く。

「でも……色々な人に助けてもらったね」
「ね。本当に。感謝しないとね」

「本当だよ。塾っていうかさ、仕事って大変だよなぁ……1人じゃ何もできやしない」
「あら。英里らしくもない。真面目なコメントね」

「あのねぇ……」
「冗談冗談。でも本当にそうだよね……今回、すっごい色々勉強になったな」

智花は塾を閉めて以来……明るくなったような気がする。まぁ……ほんのちょっとだけど。

「真衣ちゃん! 頑張ってるらしいよ?」
「そうみたいねぇ」

「真衣が『先生達のインスタをフォローしたから』って言ってたので……一応お伝えしておきます」真衣ちゃんが塾を辞めた日。真衣ちゃんのお母さんが電話で、私のお父さんに伝えてくれた。

それ以降、たまに真衣ちゃんからDMが私や智花に送られてくる。私たちから送る事は、していない。

「あ、ねえねえ智花。昨日真衣ちゃんからDM来た?」
「あぁ……来たよ。可愛いねぇ……」

「ね。ギター……頑張って欲しいなぁ」

私たちはスマホを取り出して、お互いインスタを開いた。

『英里先生! 今までありがとうございました!』
『バカな私に……優しく教えてくれてありがとうございました!』
『ギター頑張ります! 将来デビューしたら……応援して下さい!』

真衣ちゃんから送られてきたDMを見て、少し涙が出そうになった。

「ね。英智ゼミ……やった意味、あったよね? 私たち」
「何言ってんのよ。当たり前でしょ? それは私たちが決める事なんだから」

山手駅までの下り坂を、太ももに力を入れながら下って行く。スマホを覗きながら。

「だよねぇ! だって私たちは……社長だからね!」
「社長、『だった』……でしょ?」

「相変わらず智花は……細かいなぁ。別に良いじゃん!」

私たちは大声を出して笑いながら……更に急な坂道を駅へと向かって歩いて行った――

【完】