16歳、先生になる

ヴー……ッ、ヴー……ッ……

お父さんのスマホが震える。

「電話だ。ちょっと話をしてて」と言って、小走りでカフェの階段を駆け上って行った。

「でもさ、本当どうしよっか?」
「んー……智花の方がしっかりしてるからなぁ……智花が代表やりなよ」
「……」
「何? 自信無いの?」
「……はっきり言うと、無いな……英里の方がちゃきちゃきしてるから、向いてそうな気もするけど……」
「難しいなぁー……分かった! お父さんに決めてもらおうよ! どう?」
「良いかもね。オーナーだし!」

お互い声を出して笑った。

事ある毎に、遠藤先生から「必ずちゃんと2人で相談するように」と言われた事を……常に思い出しながら。

「……ごめんごめん」

お父さんが息を切らしながら、階段を下りて戻ってくる。

私たちは、どっちが代表に向いているか、聞いてみようと思ったその時。

「物件。借りて良いって。契約……通ったよ」
「えっ!? ほんと!? よっしゃあ!」
「英里……うるさいってば。周りに迷惑でしょ……?」
「あっ……」

磯子駅のカフェは、私たちが来ると……「あぁうるさいヤツらが来たな」って店員さんに思われていそう。

周囲を見回し、心の中で「ごめんなさい」と謝った。

「でも……やったね! 借りれるの? 決まったって事?」
「あぁ。物件の審査、ちゃんと通ったからね。これで本格的にスタートする日も決められるな」
「おぉー……なんか、いよいよ! って気がしてきたな……あ、あのね、さっきお父さんがいない間に話をしてたんだけど……私と智花、どっちが代表になった方が良いかお父さんに決めて欲しいんだよね」
「えっ……? 僕が?」
「そう。だって、オーナーでしょ?」

カフェの地下は、再び笑い声に包まれた――

「あぁ、そうだ。塾の名前」
急に思い出したように、お父さんが言う。

「……そうじゃん! めっちゃ大切な事だぁ!」
「ほんとだ、忘れてた」
声を上げるのもほどほどに、私たちはまた考え込む。

「もう、決めてあるから」と、お父さんがパラりとルーズリーフを1枚、私たちの目の前に置いた。

『英智ゼミ』

「英智ゼミ……おぉ……私と智花の名前が入ってるよ!? ねぇ?」
「あぁ。お金関係は僕がやるけど……2人の塾だから。オーナーの決定だから……文句は言わせないよ?」

お父さんは微笑み、私たちは顔を見合わせる。

いよいよ始まる……私たちの英智ゼミが!


◇  ◇  ◇  ◇

ゴールデンウィーク明けの5月8日。月曜日。この日が私たちの「英智ゼミ」オープン初日に決まった。お父さんはリサイクルショップで安く机や椅子を10個買ってくれて、私たちは遠藤先生にお願いして……ゴールデンウィークの間、光成塾で少しお手伝いをさせてもらっていた。少しでも指導に慣れるために。

「いよいよ明日か? 英智ゼミは」
お手伝いも終わり、塾の机を拭きながら、遠藤先生が優しく尋ねた。そう。いよいよ塾のオープンが次の日に迫っていたのだ。

「はい! ……明日からです」
「何だ? 浮かない顔だなぁ」
「いやぁ……まだ誰からも電話が来ないんですよねぇ」
前日の段階で、まだ誰からも連絡が来ていない。じゃんじゃん電話が鳴るモノだと思っていた私は、実は少し落ち込んでいた。

「まぁ、そんなもんだろ」
「そうなんですか……?」
「だって……チラシだって、5千枚? だっけ? そこまで入れてる訳じゃ無いし……2人とも高校生だからな。最初は難しいだろうなぁ」
「やっぱ……そんなもんなんですねぇ。考えが甘かったのかなぁー……」
「良いじゃない。気長に待てば。2人とも生活に困ってる訳じゃ無いんだからさ」
「まぁ……そうっちゃそうですけど……」
「僕の塾だって、今は沢山来てくれてるけど……最初は3人スタートだったんだよ?」
「えっ? 先生の所がですか? 3人だけしか来なかったんですか?」
「そんなもんだよ。最初はね」

ゴールデンウィークだったから、夕方に塾は終わった。まだ明るい帰り道、「先生もそんなもんなのかぁ」という安心感と、「家賃が無駄になっちゃうなぁ」という焦りが入り混じった気持ちになり、頭の中が少しもやっとした。