16歳、先生になる―女子高生社長の挑戦―

「こっち! こっち!」
狭いカフェの階段を下りると、お父さんが一昨日と同じ席から手招きをしている。私たちはアイスコーヒーをこぼさないように、ゆっくりとお父さんの方に向かった。

「こんにちは! この前は……ありがとうございました」
アイスコーヒーをテーブルに置いて、智花がお父さんに挨拶をする。私は「ありがとねっ」と言うだけで、ドスンと無造作に椅子に座った。

「いやいや……良いよ。智花ちゃんも座ってよ」
「……はい、失礼します」
私とは対照的に、カバンをゆっくり椅子に置いて、私の隣に腰を下ろす。

「ね! どうなったの……?」
身を乗り出すように、お父さんに聞いた。智花はストローをアイスコーヒーに差し込んで、ゆっくりとかき混ぜている。

「ま、落ち着けよ……」
「落ち着けないよ! ねぇ?」
智花に視線を向けると、目を瞑りながらアイスコーヒーを飲んでいる。さも落ち着いているように見えるけど……若干手が震えているのを、私は見逃していない。

「……お父さんの言う通りよ? 少しは英里も落ち着いたら?」
「きぃー……智花だって緊張してるくせにぃ……」
「別に? 緊張なんてしてないわよ? ……いつもと同じだってば」
「嘘だ。絶対に緊張してるっ!」
「してない」
「してる!」
「……あっ!」

コロロン……と智花がガムシロップを床に落とした。「やっぱり緊張してんじゃん!」と私が言うと、お父さんは声を上げて笑った。智花は顔を真っ赤にして、ガムシロップを拾い上げる。

「まぁまぁ。で、今日の話なんだけどね」
「……うん」
私と智花は「……いよいよだ」と固唾を飲んで、お父さんの言葉を見守る……。

「塾をやるのは、お父さんにしようと思う」
「……えーっ!? お父さんが塾やるのぉー?」
「そう。お父さんがやる」
「……」
私と智花は、思わず顔を見合わせた。……私たちが予想していた事と……全然違ったから。

「えっ……? それって……どういう事なの? お父さんが、教えるって事?」
「違うよ」
「えっ?」
「まぁ、ちゃんと聞いて」
お父さんは高校2年生の私たちに、細かく説明をしてくれた。「君たちの知っているような『株式会社』と呼ばれるような、規模の大きい会社を作る必要は無い」という事。法律的に私たちにでも作る事はできるけれど……この前言われたように、お金の準備や手続きとか……物凄く大変らしい。

「じゃ、どうするのよ」
「お父さんと同じで良いよ。『個人事業』って事にする」
「個人事業……」
「そう。個人事業って言うのはね、仕組みが簡単なんだ」
「へぇ……智花、知ってた? 個人事業」
智花は「名前だけしか知らない」と言って、首を横に振った。

「だろうね。テレビで『高校生社長!』みたいにもてはやされているのは……株式会社にして、大きくお金を稼いでいる人達ばかりだろうからね」
「で? 個人事業って……簡単なの?」
「あぁ。仕組みはね。お父さんが塾を始める。で、生徒さんから頂く月謝とか、お金は全部お父さんに入ってくるようにする」
「……私たちは? どうなるの?」
「英里と智花ちゃんは、お父さんの塾で働いてもらう。つまり『アルバイト』だ」
「なるほど……そういう……」
「でも、お父さんは教えない。オーナーみたいなもんだな。でも社長というか……何て言うんだ? 塾長とでも言うのか? それは君たちって事」
「おぉ……!」

「社長」という響きが……何とも煌びやかに、耳障りの良い言葉に思えた。お父さんの言っている仕組みは、何となく分かる。きっと高校生の私たちに、お金の心配をさせないようにしている気がする。

「で、智花ちゃん」
「あっ……はい」
「智花ちゃんは、ご両親にちゃんと許可はもらっているのかな」
「えっと……英里のお父さんの話を聞いてから、考えるって言われてます……」

(そうか……智花のお父さん達は、智花が『塾やりたい』としか知らないんだ……)
(大丈夫かな……)

「そうだろうね。きっと智花ちゃんが、いきなり『塾やりたい』って言ってる状態だろうからね……」
「……はい」
「たぶん智花ちゃんでもキチンと説明できるとは思うけど……念のために僕から智花ちゃんのお父さんに説明しておきたいから……そういう感じで伝えておいてくれるかな」
「はい!」
一気に智花の顔に花が咲いた。そっか。吹奏楽部の事もあるだろけど……智花のお父さんの事、私は考えていなかった。心配するよね……そりゃ……。

その後もお父さんは詳しい内容を説明してくれた。できるだけ固定費は下げた方が良いらしい。「固定費」って、家賃とか、そういうヤツっぽい。家賃の安い古いアパートで良いと言っていて、お父さんが探してくれる事になった。そして……大切な塾のテーマというか……コンセプト? についてお父さんが教えてくれた。

「遠藤先生みたいな塾は、君たちはやっちゃダメだな」
「……どういう事?」
「先生の所は、『成績を上げる』って事を大切なテーマにしているだろ? 教育的にはお父さんも賛成だけれど……英里たちは、それはできないと思う」
「……できない?」
「あぁ。君たちは経験が無いから。恐らく無理だよ。それに……若過ぎる」
「……」
「面談だってしなきゃいけない。相手は、お父さん達みたいな大人だぞ? 勉強のやり方なんて、伝えられっこない。舐められて終わるだけだよ」
「そうかな……」
「そりゃそうだ。自分の娘と同じ年代の人から言われる事なんだから。だから」
「……だから?」
「だからっていうか、君たちは大人に無いものを持ってるだろ?」
「大人に無いもの……?」
「あぁ」
お父さんの言う事は、すべて的を得ている。遠藤先生のようなキャリアも無いし、威厳だって無い。正直ここまで聞いてきて「できるんだろうか」と不安が頭をよぎり始める。隣に座っている智花も、同じ事を感じているっぽくて……段々と背筋が丸くなってきたのが分かる。

「君たちは……若さと情熱を持ってるじゃないか」
「若さと……情……熱……」
さっきとは真逆だ。今度は心の底で、メラメラとやる気の炎が燃えたぎっているのを感じた。

「そうだよ! 智花! 私たちは……やる気は負けない! ……でしょ?」
「……うん! そっ、そうだね……!」
「そうだよ! そうこなくっちゃ! おっさん達には……負けないんだから!」

「おいおい……『おっさん達』は無いだろう」
お父さんが笑う。つられて私と智花も笑った。この前みたいに、周りの人たちは「何だ?」と言わんばかりに見てきていたけど……気にする事無く、私たちは笑った。

(やってやる……)
(……やってやるぞ……!)

智花とお父さん。心強いメンバーに後押しされている気がして……「よし!」と心の中で叫び、私はますます燃えていた――