あの日から、凪は何事もなかったかのように接してくる。僕も、ファミレスで意識を手放した日のことは話さないようにしていた。
凪に限らず、母さんまでおかしな反応を見せていたので、僕の記憶のことは自分で解決するしかないという結論に至ったのだ。
凪と母さんの反応から察するに、きっと僕の記憶の断片は凪が握っている。
だから、しつこく付きまとう彼に付き合うことにした。
もしかしたら、何か口を滑らせるかもしれない。
しかし、そんな僕の魂胆は一瞬にして挫かれた。
「陽太! 放課後ラーメンな〜」
「加藤にまた追いかけ回されてさ、もーほんと勘弁〜って感じ!」
「駅前にクレープ屋出来たらしいよ! 陽太甘いの好きだっけ?」
来る日来る日も、僕を何かしらに誘い出しては連れ回した。
ラーメンやクレープに限らず、カラオケや映画館にも行った。ただ、ファミレスだけはあの日以来足を運んでいない。
凪が、意図的に避けているのはわかっていた。
「はーるた! 今日はどこ行く?」
だから、珍しくそう聞いてきた凪に対して「ファミレス」と答えるような、そんな意地の悪いことはしなかった。
もっと、ずる賢くて、卑怯なやり方を選んだ。
「……僕の家、来る?」
凪の顔色を窺いながら、そう聞いた。
もし二人が僕の記憶のことについて知っていることがあれば、母さんと凪には面識がある可能性は決して低くない。そして、わけがあってそのことを隠しているのであれば、僕の前で顔を合わせるのを避けたいはずだ。
ここで、凪が断れば――。
「マジ⁉ いいの?」
予想に反して、凪は目を輝かせながら僕に詰め寄ってきた。
呆気にとられ、思わず「えっ」という困惑の声が漏れてしまう。
「やっぱ無理はナシね!」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
完全に僕の思い違いだったのだろうか。
ただたんに、凪が隠すのが上手いだけなのか。
「そうと決まれば、レッツゴー!」
片手を高々と掲げると、凪は僕の腕に自分の腕を絡ませてきた。るんるんと隣で弾むように歩く凪を横目に見ながら、僕の中の疑念はいまだ強く残っていた。
家の鍵を開けるのに、これほど緊張したことがいまだかつてあっただろうか。
玄関扉を前にした瞬間、僕の胸は早鐘を打ち始めた。
それを凪に悟られないように、平常心を装ってノブを回す。
「……ただいま」
「おかえりなさーい」
母さんの不在を祈ったが、それはあっさりと裏切られた。
リビングから、スリッパの擦れる音がこちらへと向かってくる。
自分が提案したことだというのに、いざその時が来るとなると喉の奥がひりついた。
「今日は早――」
リビングへと続く扉から姿を現した母さんは、早々に言葉を詰まらせた。
視線は、僕の後ろに立つ凪へと移った。
固唾を呑む。
「……あら」
目を丸くした母さんが次の言葉を発するまでが、やけに長く感じられた。
しかし、ここでも予想は裏切られた。
「お友達?」
両肩を上げ、嬉しそうに問いかけてくる母さんに隠し事は透けて見えない。呆気に取られている僕の代わりに、凪が「そーでーす!」と人懐っこい笑顔で返す。
「もうやだ、お友達連れてくるなら先に言ってよ」
「えぇっ陽太、お母さんに言ってなかったの?」
「……ごめん」
「はじめまして! 陽太の親友の、鳥飼凪です!」
溌剌と自己紹介をする凪に、母さんは顔をぱっと明るくして「こんなに元気なお友達がいるなんて知らなかったわ」ぱちんと、手を合わせた。
「さっ、上がって上がって!」
まるで景色のように二人のやりとりを眺めていると、いつの間にか凪のほうが僕より早く家に上がっていた。
――本当に、僕の考えすぎだったのか?
三和土の上で立ちすくんでいると、くるりと凪がこちらを向いた。
「……陽太、どうかした?」
心配そうに顔を覗き込んでくる凪を、じっと見つめ返す。
やっぱり、二人が嘘をついていたり隠し事をしている様子はない。
「ううん、なんでもない」
そうだ、忘れてしまおう。
あれから記憶は戻らないけれど、日々を楽しく過ごせている。特段、困ったこともない。
母さんにジュースとお菓子を頼んで、僕と凪は部屋がある二階に向かった。


