青春、リログイン


 *

 翌日。そんな僕の願いは、儚く散った。

 帰りのホームルームが終わった途端、教室前方の扉が凄まじい音を立てて開かれた。号令が終わった直後の出来事だったため、担任を含めた教室内の全員が音のした方へと顔を向けた。

「すーぎーもーとーはーるーたーっ!」

 ……最っ悪だ。

 視界の端に白金の頭髪が見えた瞬間、僕の体が拒絶反応を示したのかぱっと視線を逸らした。

 クラスメートは唖然として、僕と凪を交互に見ながらも四散(しさん)していく。
 担任も、ホームルーム終了後の出来事だったために特段注意をするわけでもなく、注視するに留めた。しかしその目には、警戒の色がたっぷりと含まれている。

 僕には関係のないことだ。

 スクールバッグを肩にかけ、後方の扉から教室を出る。

「あ、ちょっと!」

 後ろから、僕を追いかけてくる足音が近づいてきた。振り向かずとも、その相手が誰なのかはわかる。

「おい」

「…………」

「おい、杉本陽太」

「…………」

「……おいって!」

 左肩に手が乗せられる。
 それを払うように振り向けば、そこには凪――ではなく、目を丸くした田淵君の姿があった。

「あっ……」

「無視はないだろ」

「……ごめん」

 怒らせてしまったようだ。
 呆れたようにため息をつく田淵君に対し、少しずつ罪悪感がわいてくる。

 それにしても、あの金髪はどこへ行ったのだろうか。てっきり、凪にしつこく付きまとわれているものだと思っていた。

「これ」

 会いたくもない彼の顔を思い浮かべていると、眼前にノートが差し出される。

 昨日と同じ光景だ。

「今日の授業、全然ついていけてなかっただろ。やっぱり必要なんじゃないかと思って」

「いや……えっと、」

「何に渋ってんのかさっぱりわからないんだけど」

 訝しむような視線を向けられ、悟られぬように目を逸らす。
 いまここで冬休み以前の記憶がまったくないと言ってしまえば、変なやつだと思われるだろう。田淵君との関係性が明らかでないいま、下手な発言は今後の学校生活で命取りになるかもしれない。

 だとすれば、やはり逃げるほかない。

「田淵君――、ごめん」

 謝ることしかできず、僕は逃げるようにその場を去った。

 僕の名前を呼ぶ声も、追いかけてくる足音も聞こえてこない。さすがに呆れ返ってしまったのだろう。

 なぜだか、ほっとしている自分がいた。

「みーっけ」

 下駄箱でローファーに履き替え、昇降口を出ようとしたところでどこからか声が聞こえてきた。
 物陰から姿を現したのは、凪だった。

「もぉ、少し目を離した隙にいなくなっちゃったからびっくりしたよ」

「……僕に何の用?」

「昨日のお詫びしたくって!」

 太陽のような笑みを浮かべた凪は「ファミレス行こうぜ」と、提案してきた。

 少し考えこんでから、僕は首を縦に振った。

「……いいよ」

「へへっ、そーこなくっちゃ!」

 昨日と同じように、肩に腕を回される。
 鬱陶しいことに変わりはないが、いまの僕の現状をなんの気なしに話せるのは彼くらいかもしれない。

 駅前は繁華街となっており、同じように制服を着た高校生たちで賑わっていた。ショッピングモールやカラオケに入っていく人たちを横目に、僕と凪はビル地下にあるファミレスへと足を向けた。そこなら、ショッピングモールの中にある飲食店よりかは落ち着いて話せると思ったからだ。

 案の定、客数はかなり少なかった。好きな場所に座っていいということだったので、入り口から一番離れた最奥のテーブル席を選んだ。
 軽食を一品ずつ頼み、それにドリンクバーをつける。

 食事を終え、皿が下げられたところで僕は本題に入ることにした。

「あのさ」

「んー?」

「きみに付いてきたのにはワケがあるんだ。誰にも言わないと約束できるか?」

「言わない、言わない。俺、めーっちゃ口堅いから」

 そのように言う人間こそ一番口が軽いということを陽太は知っていたが、気にしている場合ではない。彼の名前と顔を知らなかったということは、もともと関係値のない間柄ということだろう。記憶がないことを伝えても、今後の学校生活に支障はないはずだ。
 凪は、興味津々といった様子で前のめりになっている。

 ふっと小さく息を吐いてから、冬休み以前の校内における対人関係についての記憶が一切ないことを伝えた。わかるのは顔と名前、そして授業や学校行事などの断片的な記憶だけ。

「もし僕について何か知っていたら、教えてほしいんだ。誰と仲が良かったのか、悪かったのか。顔と名前が一致しているくらいなんだから、僕がいつも誰と一緒にいたかくらいはわかるだろ」

 しかし、凪は困ったように眉根を寄せた。

 何か言いたげな顔をしていたが、逡巡するように視線を彷徨わせたあと、力なく微笑んだ。

「ごめん。俺にはわかんないや」

 含みのある貼り付けられた笑みを、陽太は見逃さなかった。

「……何か隠しているだろ」

 思わず、体が前のめりになる。

「知っていることがあるなら教えてくれよ。記憶がすっかり抜け落ちているせいで、クラスメートとすらまともに話せない。目を合わせるとすべてが見透かされそうで怖いんだ」

「……そう言われてもなぁ」

「僕はきみを助けた。謂れのない罪で、謎の反省文だって書かされたんだ。本当に詫びたい気持ちがあるなら、教えてくれよ。知っていることがあるなら、話してくれたっていいだろ」

 僕の詰問(きつもん)に、いよいよ凪は押し黙ってしまった。
 長い沈黙に、居たたまれなくなる。

「おい」

「…………」

「おい、凪」

 凪の視線が、ようやく僕に向いた。

 硬い顔つきに、思わず背筋が伸びる。

「陽太」

「……何」

「どうやらきみは、混乱しているみたいだね」

 当然だ。というか、さっきかからそう言っているじゃないか。

 凪の指が、テーブルの上で組まれた。似合わない仕草は、僕が認識していた彼の人物像と齟齬(そご)が生まれる。

 頭が痛い。
 焦りと苛立ちのせいだろうか。

「今日はもう帰ろう」

 突然、凪がスクールバッグを手に立ち上がった。

 待て。まだ話は終わっていない。

 止めようと立ち上がったところで、ふらっと視界が回転した。

 直後、脳に稲妻が走ったような衝撃が加わる。

 痛みはもはや感じなかった。
 徐々に麻痺していく頭で、ようやく自分が倒れていることに気づく。

「……またね」

 遠のいていく意識の中、凪の最後の言葉が反響していた。