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なぜだ。なぜ、僕まで――。
かれこれ、一時間は社会科準備室に閉じ込められていた。
元凶となった彼は、鼻と唇の間にシャーペンを挟んでいてまったく反省の色が見られない。向かいの席に座る彼の原稿用紙は、まっさらだ。
なんだか馬鹿馬鹿しくなって、持っていたシャーペンを投げるようにテーブルの上に置いた。
「おっ、もー書き終わったの?」
「終わってない」そんなことより――「巻き込まれただけの僕がこれだけ書いているのに、なんできみは一文字も書けないんだ」
命にかかわる非常に危険な行為だったこと、先生たちの手を煩わせてしまったこと。少なくとも、何も悪いことをしていない僕よりかはまともな反省文が書けそうなのだが。
すると、彼はむっとした表情を向けてきた。
「俺、きみって名前じゃなーい」
「……鳥飼君さ、」
「苗字めちゃくちゃ距離感じるぅ」
なんだ、こいつ。めっちゃ面倒くさいぞ。
無意識のうちに、眉間に力が入る。
「どうしちゃったのさヨウタ。なんか変だよ」
「――ハルタ」
「えっ?」
「ヨウタじゃなくて、ハルタ。杉本陽太」
彼は、驚いたように目を丸めた。
僕はその反応を見て、少しばかりほっとした。
冬休み以前の友人関係についての記憶がごっそりと抜け落ちていたかと思えば、名前も顔も記憶にない同級生から親しげに声を掛けられて、かなりパニックになっていた。
うちの高校は、一学年八クラスある。全員が全員、顔と名前が一致しているわけではないだろう。
目の前にいる彼も、クラス名簿やらなんやらで僕の名前を目にし顔と一致していた。直接的な関わりはなくとも、一方的に認知されているということは不思議なことではない。
今回の事象は、僕の陽太という名前を見て「ヨウタ」と誤認していた極めてフレンドリーな彼が、偶然通りかかった僕に助けを求めた、というところだろう。
それにしても、関係値ゼロとも言える彼に巻き込まれたのは心外だった。
近隣住民からのクレームもなく、大きなけがもなかったことから特指は免れた。代わりに僕たちに課せられたのは、原稿用紙三枚分の反省文だ。
もちろん自分の無罪を主張したが、どうやら彼の普段の素行の悪さが災いしたようで、一緒にいたというだけで有罪判決を下されてしまった。
とことん、運が悪い。
コロナとインフルエンザで冬休みは返上、冬休み以前の一部記憶の消失。それらに加え、得体のしれない同級生との反省文。
厄年を疑うレベルだ。
「ハルタ、か……ごめん」
「いや、よく間違えられるから。えっと……」
「ナギだよ。鳥飼凪」
「凪は、どうしてあんな所にいたの?」
そう問えば、ばつが悪そうにふたたび唇を尖らせた。彼の癖なのかもしれない。
「猫だよ」
「……猫?」
「いたんだよ、庇の上に。偶然窓から見えて――ほら、あんな場所にいたら危ないだろ?」
「君が言えたことじゃないだろ。っていうか、僕の目には猫なんて見えなかったけど」
「それがさ、逃げてったんだよ」
何がおかしいのか、凪はケタケタと笑った。
驚く僕に、「いやさ」と続ける。
「よくよく考えたらさ、そこまで上ってこられたってことは普通に下りられるよなって思って」
「……まぁ、そうだね」
なおも笑い続けている凪を、僕はかなり冷めた目で見ていたと思う。笑いのつぼが、ほかの人とはだいぶ違う位置にあるらしい。
しかし、まさかそんな事情があるとは思わなかった。
「それ、先生に話したら反省文書かなくて済むんじゃない?」
「どうだろ」
「話してみろよ。現に、僕は謂れのない罰を食らって困っているんだ。いますぐにでも帰りたい」
「えぇ、陽太ひどくなぁい? 友達なんだから、これくらい付き合ってよ」
「きみと友達になった覚えはない」
置いていたシャーペンを手に取り、反省文の続きに取り掛かる。
反省することもないが、幸運なことに作文は得意だ。この面倒くさい状況を切り抜けるには、とっとと反省文を書き終えてしまったほうが早い。
凪もようやく書く気になったのか、前からシャープペンが原稿用紙の上をすべる音が聞こえ始めていた。
「よし、終わった」
沈黙の中、原稿用紙と向き合うこと三十分。
以外にも、先に顔を上げたのは凪のほうだった。
あまりの速さに驚き、凪の手元にある原稿用紙に目を移した。
「うそだろ。もう書き終わったの?」
「うん、終わった」
ほら、と言って差し出された原稿用紙を受け取る。
三枚目の最後のマスも余すことなく、きっちり文字で埋められていた。
文章も理路整然としており、およそ凪から出てきたものだとは思えない。
作文が得意な僕ですら、やっと半分書けたところだというのに。
「こんな短時間でどうやって……」
「俺ね、結構なんでもできちゃうんだ!」
胸を張る凪に呆れつつも原稿用紙を返す。
「よかったな。これで帰れる」
皮肉をこめてそう言ったものの、凪は原稿用紙を受け取っても腰を上げようとしない。
「何言ってんの、帰んないよ」
「どうして」
「だって、陽太を巻き込んじゃったのは俺だし」
「その自覚はあったのか」
「ほらほら、口動かさないで手動かして」
面倒事に巻き込んだ側の発言とは思えなかったけれど、いちいち腹を立てていては終わるものも終わらない。
埃っぽい部屋にまばゆい西日が差し込み始めたころ、僕もようやくシャーペンを置いた。
書き終えた原稿用紙を手に生活指導室まで行けば、十分足らずのおまけ説教を受けてようやく解放された。
最初から最後まで、何ひとつ納得できていない。そもそも、なんで僕がこんな目に遭わなければいけなかったのか。
それまで蓋で塞いでいた怒りが、突如として沸々とわいてきた。
そんな僕の気持ちなどつゆ知らず、スクールバッグをリュックのように背負った凪は鼻歌を鳴らしながら隣を歩いている。
外はすっかりオレンジ色に染まっていた。本来であれば、すでに帰宅して一睡しているころだろう。
思わずカメラを構えたくなるほど神秘的な夕焼けも、いまの心境では鬱陶しいだけだ。
「はぁ……」
無意識に、ため息が漏れていた。
軽快なリズムを刻んでいた鼻歌が、ぴたりと止んだ――かと思えば、次の瞬間には肩にずしんと重みを感じる。ちらりと視線を向けてみれば、凪の腕が回されていた。
「ラーメンでも食い行く⁉︎」
「はぁ?」
あまりにも突拍子もない提案に、素っ頓狂な声が出た。「行かないよ」と、回されていた手を振りほどく。
快諾を期待していたのか、凪は膨れっ面を決め込んだ。よくそんな顔ができるもんだ。僕を巻き込んだ自覚はあっても、そこに反省はないらしい。
「えぇ、行こうよぉ。今日は悪いことしちゃったし、俺が奢るからさっ!」
「本当に悪いと思っているなら、もう放っておいてくれよ。きみと一緒にいると、ろくなことがなさそうだ」
「ひっど」
「じゃ、僕はこっちだから」
校門を出て左側を指差す。駅の方面だ。
少々駄々をこねられると思ったが、凪は不服そうな顔を見せながらも「また明日」と手を上げてきた。
さすがに無視するのは感じが悪い。
僕もそれに答えるように手を上げてから、凪に背を向け帰路についた。
また明日、彼に会いませんように。


