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「じゃあ俺、部活だから」
「うん。頑張って」
「じゃあ、また明日」
LHRが終わると、田淵君はテニスラケットを背負って僕より先に教室を出た。
「また明日、か……」
久しぶりの授業で、体はどっと疲れていた。
それでも「また明日」という言葉が、これほどまで希望に満ちているものだとは思わなかった。
今日の田淵君のことを母さんに話したら、また泣いてしまうだろうか。
安堵の涙であるのなら、流させてあげたほうがいいかもしれない。
そんなことを考えながら、僕は昇降口へと向かう。
校門を出ようとしたところで、上からドンッ、と何かが落ちる音が聞こえた。
「え?」
反射的に顔を上げると、そこは校舎の庇部分だった。
何か落ちたのだろうか。
校門を出て、庇の上を見上げる。
心なしか、心臓がばくばくと音を立てていた。
「……なーんだ、猫か」
そこには、庇の上でこちらを見下ろす白い毛並みの猫がいた。
その美しい猫に、僕は誰かを重ね合わせていた。
白金色の髪を揺らした、無邪気な少年のことを――。
「……そうか」
あぁ……なんでいまのいままで忘れていたのだろう。
「そうだったのか」
あれほど、忘れないと誓ったことなのに。
じわりと、視界がぼやける。
「凪――、」
にゃお、と応えるように猫が鳴いた。そんなはずは絶対にないのに「陽太」と、僕の名前を呼んだ気がした。
自分勝手な都合のいい解釈に、涙腺はさらに刺激される。
「……凪、ありがとう。本当に、ありがとう」
傍から見れば、猫に泣きながらお礼を言っているおかしなやつかもしれない。
でもそんなこと、どうでもいい。
凪、ありがとう。
あのとき伝えられなかった言葉を、いまこうして伝えられている。
とめどなく溢れる涙を拭って顔を上げれば、もうそこに猫はいなかった。
誤魔化すように、空を見上げる。
雲一つない快晴だった。
この空は、僕の春の色だ。
一度ログアウトしたこの世界に、僕は戻ってこられた。それは、もうひとつの世界で楽しみを教えてくれた凪のおかげだ。
叶うことなら、この同じ空の下できみと高校生活をともに送ってみたかった。
でももう、僕は戻らない。
あの曇天と、きみと過ごした一週間には――。
僕はもう一度、現実にログインした。
一度きりの青春を、きみのように自由に掴み取ってみせるから。
「見ててくれよ、親友」


