好きなものを好きだと言うこと。

 笹宮はあいつが好き?じゃあさっきの言い方にはあまりにも棘がありすぎたが。
「あいつにはただ……ありのままの姿でチアの服着て踊って欲しかった。だからウィッグ取らないかって」
 この真剣な眼差しにきっと嘘はない。ないからこそもっといい言い方があったはずだった。
「そうか…まああれだな。さっきのは少し言い方がキツかったと思うから明日にでも謝って、ちゃんとお前の気持ちを伝えてやってくれ」
 一時の沈黙を雨音が酷く切り裂く。
 顔を上げた笹宮の目は、いつもだと想像がつかないほど情けなかった。目は口ほどに物を言う。この言葉が今は心底本当であれと願う。
「大丈夫。あいつはちゃんと聞いてくれるよ、見ず知らずの人の意見でも……大事にしてくれるやつなんだから」
「……はい」
 たった二文字。そこからは絶対に大人の俺が介入してはいけない世界だとわかった。
「じゃあちょっと行ってくるよ。今日はもう気をつけて帰りなさい」
 廊下は嫌なほどに静かで、暗いせいかどこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
 泉谷がいる場所は大体想像がつく。階段をかけ登ったその先にはたった一つ。多分扉の前……じゃねえのかよ。
「おいばか泉谷!そこにいると風邪引くって」
 今この瞬間、あの時の景色が心地よかった事に気づく。
 雨粒に叩きつけられたウィッグが、形を崩して地面に倒れ込んでいる。そして何も守られていないその地毛から滴り落ちた雫が泉谷のスカートを撫で下ろし落ちていく。跳ねることを忘れた短い襟足は首に、ぴったりと巻きついていた。
「先生俺さ………」
「気持ち悪い?」
 区切られた声はふらついていて、消えそうで。聞くに耐えない、そんな言葉がぴったりだった。
 顔をこちらに向けた泉谷の目から流れるのは雨であって欲しいと願うばかり。
「好きなものを好きだって言っていいってさ、教えてくれたじゃん。それからずっとこのリングも、一緒に、凄く大事にしてきたよ」
 首元に下げられたチェーンの先にあるリング。期間限定のセットの片割れ。黄色が輝き色めく、こいつにぴったりな。
「俺……やっぱり変だったみたいだ。男が女性物のスカートとか、可愛いものとか……気持ち悪いって」
「もう言うな。それ以上小さい頃の自分をも殺すなよ」
 ぽつりと道端に建てられた雑貨店のショーケースに額くっつけて健気に見つめてたあの頃も、可愛いものを心から好きだと胸を張ってきた今のお前も。
「かっこいいよ。好きを貫けるお前は、有り得ないくらいにかっこいい」
 あの時の俺の行動は気まぐれじゃない。チビだったお前が見つめてたそのリング。知らないチビに買うためにわざわざ嫌いな奴と顔を合わせるほど俺はいい人間じゃないんだよ。
「そしてお前が貫く可愛いはさ、ちゃんっと可愛いよ」
 震えるその、何も言わないこいつの手は、あの頃よりも明らかに大きかった。
「……やっぱり嫌いだ」
「嫌いで結構です」
 保健室に向かい手を引き、雨には触れることのない廊下を渡り歩く。
 嫌いという泉谷の声に棘は一つも感じられなかった。それは、振り向かずとも分かった。