「おい、光史(てるふみ)のテテ」

 職員室から教室へ戻るひと気の少ない渡り廊下。
後ろから俺を呼ぶ声がして振り返ると、何日か前にミミと仲良くしていたバスケの先輩がいた。

「…何ですか」

「光史は俺の事なんだって?
ただ仲良くしてる先輩だとか言ってた?」

「……何も?」

「何も?」

「何も聞いてないし、何も言って来ませんけど…」

「……ああ、そ。何も気にならない?
東京では俺みたいなの珍しく無いか」

「…教室戻っていいですか」

「ああ…ゴメン。っていうか…お前も仲間?
怖くて光史に聞けないの?」

「…?」

「ああ…ゴメンゴメン。何でもない…」

先輩は目も合わせず、再度謝るとすぐ背中を向け3年の教室へと向かったようだった。
…彼はミミが好きなんだな…
そしてミミは……?…分からない。気になるけど…俺の事情を探ろうともしないミミには簡単に聞いたらいけない気がしていた。
気にならないのか、俺の為に聞こうとしないのか…俺の事情。チイ婆ちゃんは知っているけど、俺を信じて疑わない。そう。信じてくれる人も、俺を信じない人も、それはそれ。
俺の周りにはどちらもいて…信用している人に信用されなかった事で東京で生活するのが面倒になった。
俺が父親の元から田舎に追い出された訳。
父親は俺を信じてくれなかった。まぁ言い訳しなかった俺が悪いのかも知れないけど…

「おかえり。先生なんだって?」

教室の前の廊下で待ってくれていたミミと共に、教室の中へ入り席に向かう。

「…前の高校でやってなかった授業は
これから放課後補習だって。
あと部活を勧められたけど…」

「補習かー…多分ノート写して、
過去の小テストやればいいんじゃないかな。
まぁ僕が教えてあげるよ…
あと部活?…写真部なんてどう?
けどテテ運動神経いいだろ?
何かスポーツやらないの?」

「ミミが帰宅部だから帰宅部って言ってるじゃん」

「……急に呼ぶなよ…ビックリした…」

「…?ミミって?何、テテテテ呼ぶくせに。
……急に赤くなるなよ…」

こっちまで赤くなりそう…

頬に指を当てて冷やす様なポーズをするから、その手を掴もうとした時、

「おーい、ここ教室ー!
イチャイチャしないでくださーい!」

クラスの連中、特に女子の声や視線が俺達へと向けられた。
こうやって愛されキャラなミミは、皆んなからすぐからかわれてきたんだろうな。…俺もからかいたい……そんな悔しさ、手を掴み損ねた悔しさが重なり声が上がった方を睨んだ。
隣の席で大人しく頬を冷やしながら外を見るミミに、すぐ視線を戻したけど。そしてミミに話しかける。

「補習で帰りの時間遅れる、ごめん」

「そんな事」

「チミーがお腹空かして待っちゃう」

「あー…まぁね」

やっと目が合う。この目。スッキリとした目。俺の一重とは違い、惹きつけられる。
驚いた目。怒った目。笑った目。全てを撮りたいけど、俺の技術じゃまだきっと収まらないし…

「とりあえず今日は補習無いからすぐ帰ろ」

「…うん」

ミミに頼りきってる。俺の生活の全て。
ミミは居心地が良すぎて、チミーの気持ちが良くわかる。一緒にいるのが普通で、離れたら急に心細く、寂しくなる。
初日に思った。一緒に居れば、なんか不思議と何も怖く無いかもって。


「…雨降ってきたらどうすんの?傘さして歩く?」

「雨の量にもよるけど…
大抵はジャンバーとかカッパとかで
どうにか自転車に乗ってたー。
雨が酷かったら…バスとか…
両親が帰る時間まで時間潰して帰りの車に
拾って貰うとか…」

 駅からの帰り道、いつものように自転車の二人乗り。今にも雨が落ちてきそうな曇り空の下、後ろにミミを乗せてペダルを漕ぐ。

「…チイ婆ちゃんが、雨降るかもって…
朝に傘渡されたけど…
こんな寒い日に雨に濡れたら風邪ひきそ…
ゴホッゴホッッっ…」

「……え、風邪気味?
庭のミカン食べてる??栄養とらないと…
あー…昼に僕達パン続いてるよね…
明日はお弁当作って貰おうかな…って
ほぼ僕が作らなきゃなんだけどねー。
テテもお弁当食べる?ついでに詰めるだけだし」

「ん。ゴホッ。食べる。食べたい」

「んー。早起き出来たら作るね。
栄養…スタミナ…」

「ミカン超食べてる。咳は今出ただけ。
ミミこそちゃんと寝ろよ」

…一日置きでベットを借りている。
というか、一緒に寝るもんだと思って先にベットに入ってしまうと後から入って来ない。三回とも。
先にミミが眠そうになると俺は家に帰る。その後すぐに灯りは消えるからちゃんとベットで寝てるとは思うけど…

「ちゃんと寝てるけどー…
コタツで寝ちゃうとベットに行けなくて…」

「隣じゃん。コタツから這って1.2ハイじゃん」

「…ハイって数えるの?
…そだ。何でズボン脱ぐの?」

「………わかんない。
裸足の方が楽だから…それと一緒。癖」

「あー、裸足……と同じ感覚ね。
まぁ裸で寝るの気持ちいいもんね」

「…………」

振り返ってミミの顔を一瞬だけ見た。……もしかして裸で寝るんだろうか。
この通学で鍛えられてるからか、細い腰、腕、脚に控えめに付いてる筋肉。そしてそれを全て包みこんでる白いスベスベした肌は綺麗すぎて触らなくても肌触りが極上な事が分かる。

「……何?」

「…何でもない」

進行方向を向いてないと進むのも危ない道。きっと今も後ろで可愛い顔をしてる。
前で漕いでも後ろに乗っても顔が見れなくて残念だけど、このスピードに乗ってる時、後ろから回される手に力が入るのが堪らない。一体感と…少しでも頼られてる感じが……嬉しい。

ポツポツと頬に当たる雫。やっぱり雨が降り出した。

「降ってきたー!歩こうか?!傘さして歩こ?!」

「このままいける!その方が早い!」

スピードを上げる。
少し…また回される手が強くなって…1人で前を向き、雨に目を細めながらも口元が緩んでしまう。
家の前、濡れて冷えた身体でとりあえず別れた。
急いで着替えて暖まりたいけど、玄関の鍵が閉まってる。…まだ帰って来てないのか。
何の問題も無い。ミミの方へこのまま向かい、タオルと服を借りて…2人で暖まって…先に入ってるだろうからいつもの廊下から。

「…チイ婆ちゃんまだ帰って無かった」

「え?そうなの?…!早く上がって!」

まだ暖まって無い部屋に入ると、使っていたタオルを頭にかけられ、髪を力強く拭かれる。自分でもタオルで濡れた髪を拭くと今度はミミの手が俺の服を脱がしてく。

「ビショビショ…
テテが前だったから僕より濡れてるな…」

そんな事も無い。タオルでミミの濡れた髪を拭いた。

「僕は大丈夫だから!
テテこれ早く脱いで身体拭いて!
着替え出すから!」

言われた通りに途中まで脱がされたダウン、制服のジャケット、張り付いたズボンを脱ぐと下着まで冷たい。

「ミミ、俺、下着も濡れてる」

「……下着も出すからちょっと待ってて!」

急いで下着が手渡され、他の服を出そうとしてる間に下着を着替えてベットに入った。

「あーーベット汚さないでよ?」

「ベットは暖かい…」

「それならコタツの方が…」

「部屋が暖ったまるまで…
ミミもおいで。ミミも濡れて冷えてる」

出されたスウェットには手を伸ばさず、ベットに潜る。
ミミは返事をせずに呆れた顔して着替え出した。

「……服…着替えてもまだ寒いでしょ?」

話しかけても後ろ向きのままワイシャツを脱ぎ…Tシャツ、大きめなパーカー、細身のパンツを身につける。何で動きも服装の雰囲気も男なのに可愛いんだろ。決して女っぽいわけじゃないのに。

「……何で俺がベットにいると来ないの?」

「…そういうわけじゃ…」

明らかにそういうわけな気が…

「…大丈夫だよ。間違っても何も起きないから」

「え?べつに…何も…」

戸惑って見てくるミミに、笑顔を作って…口をへの字にして頷く。

「じゃあ…このまま少し寝ようか…」

小さい声で呟きながらソロソロと…初めて隣に来た。ベットの中でミミの洋服越しに温もりを感じる。

「………ギュッってしていい?」

「え?何で…寒いからってそこまで…」

そう、寒いから。寒かった気持ちがミミに触れて温たかくなってきたから。
腕を枕と首の間に、もう片方の腕で上から肩を抱きしめた。正面から首元にかかる吐息が温かくて気持ち良い。

自分から人に興味が湧いたり、身体の触れ合いを喜んだり…求めたり…気がつけばこんな気持ちは初めてだ。

「そうだ……今日…何とか流星群ってやつで
沢山流れ星が見れるんだ…
天気……晴れたらだけど…」

「見たいの?」

「……テテは初めてだろうし…
山の上の公園から見ると凄いんだよ…?
写真撮るにもいいかも…」

「……見たいな…撮りたいな…」

「雨雲…無くなるといいね……」


 何度も天気を確認して、深夜、奇跡的に月と星が見えた。
夕方にベットで休息した僕達は眠気も無く、ミミが案内してくれた公園で朝日で空が明るくなるまで2人寄り添って暖をとりながら過ごした。
空には幾つもの流れ星。少しのシャッター音とともに。



〜〜〜1年前〜〜〜

『何歳だと思ってるんだ』

『責任は男がとれ』

『命を何だと思ってるんだ』

『保健体育で習わなかったのか』

知ってる。俺じゃ無い。中学の頃から彼女は途切れた事が無い。だからって…しない奴、出来ない奴だっている。
ED。勃起不全。
もともと性欲が薄かった気がする。彼女とは名ばかりで、ただ仲のいい女友達としての気持ちしか無かったのかも。
何人かの彼女に言われた。

『…何で付き合ってるのにしようとしないの?』

やりたくないのにその事で責められたり、お互い心が離れて別れを繰り返して…益々身体が思うように動かなくなった。
全くSEXしなくても責めて来ない彼女とはいつもより長く付き合っていた。ある日、その彼女からの言葉。

『…妊娠したみたい…
けど…浮気だから……産みたくない……』

怒りも湧いた。
後に自分が言われる言葉が頭の中を巡っていた。けど…ここまで追い詰めたのは……俺か。
嫌いなら別れてた。
優しい子だった。優しいから俺に不満があっても我慢して…他で不満を解消してたのかな。

『……病院に行こ…相手の奴は?
…そいつが行かないなら俺が付き合うよ。
答えが出てるなら…その通りに…』

産まれる事を望まれない命。
簡単に宿るわけじゃないのに、簡単に宿ってしまう運命がイタズラすぎて頭にきた。
彼女にそうさせた俺も、はかり知れない重さの十字架を背負ってしまった。
堕ろす手術、最後まで彼女に付き添うと小さな命の結末を目の前に叩きつけられた。

………ED。勃起不全。
もう俺はこのままでいい。