全身が汗でびっしょり濡れていた。
 目を開くと、真っ白な天井とカーテンが視界に入る。
 ゆっくりと体を起こして周囲を見回す。保健室のベッドだった。
 カーテンを開けて部屋に出ると、椅子に座ってうつぶせている沢渡が視界に入る。
 保健室の先生も関本先生もいない。
 沢渡の小さな寝息だけが、静かに聞こえていた。

『神崎は、ホルン上手くなったよね』
『それは間違いなく、一宮先輩のおかげです。ほんとうにありがとうございました』
『神崎の努力だよ。オレはただ、基礎を軽く教えただけじゃん?』
『その教えが結果となっているのです』

『さて、神崎。学校サボりなら、オレと付き合ってくれない?』
『……は?』
『ちょっと、遊びたい気分なんだよね』

『うっま~~い!! いちごと抹茶とチョコレートを組み合わせた人、口座を教えて!! お布施を入金したい!!』
『ドーナツを買うお金すらないのに、ですか?』
『それはそれ、これはこれ!』


『あのとき、どうして君はオレを見捨てたの?』
『……違う、あのとき俺は……一宮先輩と帰っていません』
『そうやって見たくない現実に背を向けて、事実を改変する』

 一宮先輩と過ごした記憶と、アキラ先輩と過ごした記憶と、さっき見た夢が混ざっていく。どれがほんとうの先輩で、どれが偽物なのか。記憶の蓋が開きそうになるたびに、激しく頭が痛む。現実と夢の境界線が曖昧になる中で、何度も一宮先輩の姿が脳裏に浮かぶ。
 どの一宮先輩も、俺をひどく睨みつけ、怒っているようだった。
 責めるように、問い詰めるように。まるで『気づけ』と言われているみたいだった。
 胸の奥が、じわりと冷たくなる感覚がする。

 しばらく椅子に座っていると、眠っていた沢渡が飛び起きた。
 沢渡は驚いた表情を浮かべて、すぐに俺の肩を持つ。そして「よかった、起きた!」と言って涙を浮かべた。
 詳しく話を聞くと、どうやら俺は気絶していたらしい。
 保健室の先生と関本先生と話した後に意識を失くしたらしくて、ベッドに寝かせてもらっていた。
 今は夕方だった。
 授業を終えた沢渡が俺の様子を見に保健室に来たところ、保健室の先生が「用事ですこし席を外すから、ここにいてほしいな」とお願いをしたらしい。
 それで沢渡はこの場所にいたのだと、小さな声で話してくれた。
「関本先生から聞いたけど、解離性健忘じゃないかって。聞いたとき、スマホで調べたんだ。医者に診断されたわけじゃないけど、なんかお前の症状にピッタリだなって思った」
「……夢を見たんだ」
「え?」
「夢で、ふたりの(・・・・)一宮晃先輩と話した」
「ふたり?」
「……」
 これ以上、何も言えなかった。
 なんとなく、理解できないけど、理解したこと。
 一宮先輩は、事故で死んだということ。
 俺以外には見えないアキラ先輩は、この世に属さない人であるということ。
 そして、一宮先輩とアキラ先輩は、同一人物であるということ。
 俺が憧れていたのは一宮先輩であり、ここ最近一緒に過ごしていたのはアキラ先輩であり、そのどちらもが、一宮晃先輩という亡き人物であること。
 理解できたようで、できていない。
 複雑な感情のまま、俺は窓の外を見た。