オーブンの天使がささやく

 大型連休初日の東京駅は、人で溢れかえっていた。知り合いが近くにいても気づかないレベルの混み具合だ。
 東海道新幹線の指定席に座り、パソコンを広げるが、連休中の課題は進まない。文学部心理学科に合格して進学したのは良いが、将来のビジョンは見えていない。
 テキストの画面を表示しても、すぐにSNSを開いてしまう。段田が昨日の体験教室のことを悪く書いていないか気になったが、段田は昨日の新幹線で出発した京都旅行を満喫しているようだった。入学当時の6人グループのうち、俺、滝本、陽依を除いた3人は特別に仲が良く、段田は2人を従えて楽しそうに過ごしている。
 SNSをだらだら見ているうちに、新幹線は名古屋駅に着いてしまった。俺は新幹線を降り、中央本線のホームに向かった。
「あ!」
「おお」
 ホームで出くわしたのは、滝本だ。まさか、こんなところで会うとは。
「びっくりした……! こんなこと、あるんだ」
「あんたも名古屋なのか?」
「俺は、もう少し先」
「そっか」
「うん」
 会話が終わってしまった。大学にいるときは、段田が一方的に喋っていたから、俺達が喋る必要がなかったのだ。
 来た電車に乗り、滝本は熱田神宮前で降りる支度をする。
「またな」
「うん」
 物理的に、喋る時間も無かった。
 俺が電車を降りるのは、あと40分後の予定だ。のどかな住宅街、郊外の大型ショッピングセンター、田畑を抜け、新緑の山の中に入った。愛知県を越えて岐阜県の古虎渓(ここけい)に至る。古虎渓の次、新緑を抜けた先の多治見(たじみ)が、降りる駅だ。
 改札を出て連絡通路からロータリーを見下ろすと、軽ワゴンが見えた。1か月前まで毎日のように見ていたはずなのに、懐かしい。俺は連絡通路の階段を降りて軽ワゴンに駆け寄った。
「とおちゃん!」
「おお、息子よ。おかえり」
 俺とは似ても似つかないイケオジが軽ワゴンの運転席から手を振る。俺は助手席に乗り、シートベルトを締めた。
「新幹線、混んでたやろ。疲れてないか?」
「疲れてないよ」
「そっか。お前は強いな」
 俺が「とおちゃん」と呼ぶのは、義父だ。母の再婚相手だった人で、俺は養子縁組でこの人の子になった。義父と母は離婚して、俺は義父に引き取られた。結果的には。