走って連れて行かれた先は、トイレの個室だ。よくわからないが、安心した。ここなら、胃がこれ以上おかしくなっても、対処できる。
背中を大きく擦られ、上がった息が落ち着いてきた。胃の違和感も落ち着きつつある。
「大丈夫です」
細く、凛とした声が耳元でささやく。
「大丈夫です。誰も見ていません」
生方閑真だ。背中を擦る手が、温かい。
「……もう、平気です」
返事をしたが、本当は平気ではない。口の中に異様な臭いが残る。パンの香りではない。これまで何度も感じた、耐え難い臭気だ。医者からは、幻臭だと言われたが、俺にとっては存在する臭いだ。
「本当に、平気だから……!」
背中を擦る手が、止まった。背後から腕をまわされ、抱きしめられる。俺達はトイレの個室で何をやっているんだろう。
「……俺は、臭いだろ?」
生方閑真には、俺の醜い様を見せたくない。臭い俺が近づいて良い存在ではない。
「臭くない」
美しい声が、耳元で否定する。マスクの紙の触感が、耳をくすぐる。
「俺は、臭くて不潔だから」
「そんなこと、ない」
「だから俺の料理は不味いって」
「そんなこと、ない」
「俺は臭いんだよ……!」
体をよじると、生方閑真の綺麗な顔が至近距離にあった。整った眉目だけでも充分引きつけられるのに、マスクを顎下に外して顔を近づけてきた。狭い個室で逃げられるわけもなく、唇が重なる。思わず息を止めてしまった。
「あなたが臭いなんて、そんなこと、ない」
吐いた息は唇に掬われ、舌を絡める。
「わかった?」
臭かったらこんなに接しない。臭くないからここまで密着できる。生方閑真は、そう言いたいのだろう。
「わかんない?」
アーモンドアイが、妙に色っぽくまばたきする。落ち着いたはずの呼吸が荒っぽくなり、心臓が早鐘を打つ。
「……わかった! わかったから!」
これ以上は、勘弁だ。
「……ごめん。変なとこ、見せて」
「誰にだって、ちっとくらい後ろめたいことはあるよ」
生方閑真が、ちょっと訛った。なんで、鬼瓦の産地からこんなに美形で訛りのギャップがある青年が生まれてくるんだろう。
「あの、ちなみに、さっきのは、初めてだったとか……?」
さっきの。生方閑真は、戸惑いながら言葉を濁す。
「……恥ずかしながら、初めてでした」
俺が答えると、生方閑真は、撃沈とばかりに、うなだれた。
「でも、カウントはしません。ショック療法みたいなものだし」
「……本当に、ごめんなさい」
生方閑真は、マスクを着け直す。
「いえ、もう、大丈夫」
ふたりで深く息を吐くと、個室の外から呼ばれた。
「出てきて大丈夫だよー」
声の主は、陽依だった。
ここ男子トイレ、と生方閑真が呟いた。
背中を大きく擦られ、上がった息が落ち着いてきた。胃の違和感も落ち着きつつある。
「大丈夫です」
細く、凛とした声が耳元でささやく。
「大丈夫です。誰も見ていません」
生方閑真だ。背中を擦る手が、温かい。
「……もう、平気です」
返事をしたが、本当は平気ではない。口の中に異様な臭いが残る。パンの香りではない。これまで何度も感じた、耐え難い臭気だ。医者からは、幻臭だと言われたが、俺にとっては存在する臭いだ。
「本当に、平気だから……!」
背中を擦る手が、止まった。背後から腕をまわされ、抱きしめられる。俺達はトイレの個室で何をやっているんだろう。
「……俺は、臭いだろ?」
生方閑真には、俺の醜い様を見せたくない。臭い俺が近づいて良い存在ではない。
「臭くない」
美しい声が、耳元で否定する。マスクの紙の触感が、耳をくすぐる。
「俺は、臭くて不潔だから」
「そんなこと、ない」
「だから俺の料理は不味いって」
「そんなこと、ない」
「俺は臭いんだよ……!」
体をよじると、生方閑真の綺麗な顔が至近距離にあった。整った眉目だけでも充分引きつけられるのに、マスクを顎下に外して顔を近づけてきた。狭い個室で逃げられるわけもなく、唇が重なる。思わず息を止めてしまった。
「あなたが臭いなんて、そんなこと、ない」
吐いた息は唇に掬われ、舌を絡める。
「わかった?」
臭かったらこんなに接しない。臭くないからここまで密着できる。生方閑真は、そう言いたいのだろう。
「わかんない?」
アーモンドアイが、妙に色っぽくまばたきする。落ち着いたはずの呼吸が荒っぽくなり、心臓が早鐘を打つ。
「……わかった! わかったから!」
これ以上は、勘弁だ。
「……ごめん。変なとこ、見せて」
「誰にだって、ちっとくらい後ろめたいことはあるよ」
生方閑真が、ちょっと訛った。なんで、鬼瓦の産地からこんなに美形で訛りのギャップがある青年が生まれてくるんだろう。
「あの、ちなみに、さっきのは、初めてだったとか……?」
さっきの。生方閑真は、戸惑いながら言葉を濁す。
「……恥ずかしながら、初めてでした」
俺が答えると、生方閑真は、撃沈とばかりに、うなだれた。
「でも、カウントはしません。ショック療法みたいなものだし」
「……本当に、ごめんなさい」
生方閑真は、マスクを着け直す。
「いえ、もう、大丈夫」
ふたりで深く息を吐くと、個室の外から呼ばれた。
「出てきて大丈夫だよー」
声の主は、陽依だった。
ここ男子トイレ、と生方閑真が呟いた。


