オーブンの天使がささやく

 俺は、閑真の分のピザを残しておいた。それを差し上げると、彼は考えながらピザで頬を膨らませる。
「考えながら食うと、不味くない?」
「あなたのトッピングが一番美味いです」
「やっぱり、あんたのトッピングの方が、不味くなってんじゃん!」
「あなたは関西訛りと東京の言葉が交ざっているね」
「……全然気づかなかった」
「クワトロフォルマッジは、やはり、チーズを吟味した方が良いかな。ベーコンも悪くないけど、チーズオンリーで勝負したい」
「話戻したな」
 仕事から離れた閑真は、いつもの調子に戻った。陽キャが、呆気に取られている。
「仲良いね」
 やば。気づかれたか。
「昼休みとか、タッキーや陽依ちゃんと一緒にいるもんね」
 気づかれなかった。
「なんで家庭科なの?」
 それ訊いちゃうか? 俺だって避けてたのに。
「……ふたつ、理由があります」
 閑真は、嫌がらずに話し始める。
「ひとつは、自分の家庭環境。俺は、中学のときに家族を亡くしています。俺は一人っ子で、祖父母と両親の5人暮らしでした。母は、介護の必要がある祖父母を付きっきりで見ていました。俺も、家に帰ると介護を手伝っていましたが、父がいわゆる『田舎のお坊ちゃん』で、祖父母の介護も家事も母任せ。母と俺だけでは一家の生活が上手くゆかず、祖父母を老人ホームに入れた直後に母は過労で倒れてそのまま帰らぬ人となりました」
 閑真が、美しい声で微笑んで、あまりにも淀みなく話すものだから、陽キャ達は言葉を失ってしまった。
「祖父母も、老人ホーム入所後に老衰で他界。家族は、俺と父親だけになりました。それでも父は家事も近所付き合いもせず、家のことは俺がやらなくてはなりません。俺は当時スマートフォンを持っていなかったし、家にパソコンも無かった。そんなときに頼りにしたのは、家庭科の教科書でした。料理の基礎も、裁縫も、掃除のやり方も、小学校の家庭科の教科書から見返しました。親の助けを借りられない子どもは、他にもいると思います。俺は、そんな子どもに生きるちからを教えたいです。それが、理由のひとつ」
 閑真は語らなかったが、おそらくその後に、彼の父親が亡くなっている。彼が夜を怖がるようになったきっかけだ。結局、彼は父親のことは話さなかった。
「もうひとつの理由は……これも中学ですね。産休に入った家庭科の先生の代わりに赴任した先生が、うちのクラスメイトの元母親だったんです。その子の親は前の年に離婚して、その子の親権は父親にありました。母親の過度な干渉が原因で両親の離婚に至ったそうですが……職員会議でも議題になったらしいけど、先生を辞めさせるわけにもゆかず、かといってその子を転校させるわけにもゆかず、その子は肩身が狭いまま一年近く耐えました。母親は幅を利かせて堂々としていましたが、その子はつらそうでした。よくメンタルが壊れなかったと思いますよ。親が教師だと、そういう生徒が出てくるのかと子どもながらに感じました。その点、俺は結婚願望は無いし、門戸は狭いけど人手不足である家庭科の教員を目指しても悪くないかと思いました。幸い、勉強すればそこそこの成績も取れました。そんな理由ですね」
 話しながら、閑真は、網の上で炭と化したかぼちゃを平気で食べていた。
「閑真先生ー!」
 陽キャが感動していた。


 夜になっても、一向に涼しくならない。テントというか、ゲルみたいなでかいテントから出て夜空を眺めてみるが、天の川は見えない。
「天の川でも期待しましたか?」
 閑真も外に出て、面を上げる。
「この辺りでは、見えないよ」
「地元、ここなんだね」
「ええ、まあ。出身は隣の群馬県藤岡市ですが、高校からはこのグランピング施設を管理する伯父夫婦の家にいました」
 彼の手が、俺の汗ばんだ手に重なる。俺は彼と手をつなぎ、指を絡めた。平気なふりをしているけど、細長い指が震えている。
「やっぱり、夜は怖い」
 彼の震える指に、力が籠もる。
「でも、あなたが居てくれる。その夜だけは、心地良い」
「閑真」
「ありがとう」
 ありがとう、って言いたいのは、俺の方だ。怖いのに甘えてくれて、頼ってくれて、一緒にいてくれて、ありがとう。