今からアパートに帰ってシャワーを浴びて洗濯をして2限に間に合うように出発する、その段取りを頭の中で考えていないと、昨夜のことを思い出してしまいそうだ。電車の中でも、最寄り駅から早足で歩いても、体の熱が埋み火のように残って消えない。
何とか平静を保って帰宅した途端、顔が一気に熱くなってしまった。衣類を脱いで洗濯機に投げ込み、シャワーを浴びてほっと一息ついた瞬間に、心身共に昨夜のあの熱に襲われた。彼の繊細で美しい声が快楽に溺れてに乱れ、恍惚とした溜息に何度も耳朶をくすぐられた。まだ鼓膜が覚えている。体調不良と衝動が交ざりあって震える唇を、欲に抗えない舌を、肌が覚えている。躊躇いながら焦らしながら蹂躙する細く綺麗な指と手のひらに、一度でも触れたら元の関係には戻れない個所を今も撫でられている錯覚を起こし、我慢できずに自分でその場所に触れてしまう。彼に何度も愛された口周りを自分の舌で拭い切るように舐めながら、欲を残さないように独りで処理する。
風呂場から出て、思い出してスマートフォンで時間を確認すると、もう駅に向かっていないと遅刻する時間だった。すぐに服を着て、歯を磨き、髪を乾かす間もなく駅に向かう。
2限の講義室に滑り込んで空いていた席に座ると、隣に段田がいた。気まずい。
「あんたさ」
講義が始まったのに、ビール瓶の破片のような鋭い声が、早速俺に向けられる。
「風邪でも引いたの?」
「え?」
「顔が赤いし、落ち着きないし、珍しく時間ぎりぎりに来るし」
「あ……うん」
また非難されるのではないかと身構えてしまったところ、そうでなくて拍子抜けした。
「だから、髪の毛が濡れたままなのね」
「うん、そう。昨日の夜は風呂に入れなかったから、入らないとやばいと思って」
昨日の夜に風呂に入れなかったから入らないとやばいと思ったのは、事実。
「前から思ってたけど、あんたは衛生に過剰すぎる。あんた、自分のことを臭いとか汚いと思ってるでしょ? 逆だよ。あんた、シャンプーとか洗濯洗剤の良い香りがするから、女子どころか男子までときめいてるの、知らないでしょ? あたしの周りをあんまり色ボケさせないでよ」
「俺、そんなに色気振り撒いてる……?」
「無意識に勘違いさせてるって。しかも、風邪を召した今のあんたなら、介抱イベントで誰でも攻略できるよ」
どういう意味だ。
「とにかく、風邪を悪化させて周りに移さないでよ」
段田が、紙の使い捨てマスクをくれた。
「あ、ありがと」
完全に、風邪引きと勘違いさせてしまったが、顔を隠すには、もってこいだ。でも、何だろう。いつも通り口は悪いのに、今日の段田は、勢いが無い。
「段田、やばいね」
後ろの席から、話し声が聞こえる。
「今更、善人アピールしてるよ。やばいね」
「さっきの基礎ゼミで、滝本をこてんぱんにして良い気になってるのを悟られたくないんだね。やばいね」
滝本の名前が出てきた。段田と滝本は、同じ基礎ゼミで、先程の1限で一緒だったはずだ。余談だが、俺の基礎ゼミは今日の3限だ。
「明らかに準備不足だった滝本も良くはないけど、段田に落ち度があったよ。あんなに否定しなくても良かったのに」
「うちらの意見を代弁したつもりなのかもしれないけど、あれはやばいね」
段田は、一切口を挟まない。そういえば、普段あんなにうるさい段田は、講義の流れを妨げることは、しない。くすくす笑うくせに、くすくす笑うだけだ。面倒臭い奴だけど、自分の中で線引きがあるようだ。
「段田」
「喋んな。週末は、一般教養科目の課題のために博物館の特別展に行かなくちゃならないの。予約したチケットを無駄にしたくないから、風邪を引くわけにゆかないの」
段田こそ衛生を気にし過ぎだと思うが、本当に風邪を引かれて課題が提出できないことになってしまったら、俺のせいになってしまう。段田が風邪を召さない自己暗示のためにも、俺は無駄に口を開かないことにした。段田は母に似て苦手だが、課題を提出できずに単位を落としてほしいとは思わない。
「つらかったら、寝てれば? 風邪を移さないでよ」
普段なら、棘のある言葉を気にしてしまうが、今日の段田は口の悪さの裏に本来の優しさが垣間見えたと錯覚した。この講義の准教授は、扱った内容のデータを受講生に公開している。後でデータを見るだけでどうにかなるから、まともに講義を聞かない学生もいるくらいだ。
昨日の睡眠不足が祟り、俺は本当に寝落ちしてしまった。
何とか平静を保って帰宅した途端、顔が一気に熱くなってしまった。衣類を脱いで洗濯機に投げ込み、シャワーを浴びてほっと一息ついた瞬間に、心身共に昨夜のあの熱に襲われた。彼の繊細で美しい声が快楽に溺れてに乱れ、恍惚とした溜息に何度も耳朶をくすぐられた。まだ鼓膜が覚えている。体調不良と衝動が交ざりあって震える唇を、欲に抗えない舌を、肌が覚えている。躊躇いながら焦らしながら蹂躙する細く綺麗な指と手のひらに、一度でも触れたら元の関係には戻れない個所を今も撫でられている錯覚を起こし、我慢できずに自分でその場所に触れてしまう。彼に何度も愛された口周りを自分の舌で拭い切るように舐めながら、欲を残さないように独りで処理する。
風呂場から出て、思い出してスマートフォンで時間を確認すると、もう駅に向かっていないと遅刻する時間だった。すぐに服を着て、歯を磨き、髪を乾かす間もなく駅に向かう。
2限の講義室に滑り込んで空いていた席に座ると、隣に段田がいた。気まずい。
「あんたさ」
講義が始まったのに、ビール瓶の破片のような鋭い声が、早速俺に向けられる。
「風邪でも引いたの?」
「え?」
「顔が赤いし、落ち着きないし、珍しく時間ぎりぎりに来るし」
「あ……うん」
また非難されるのではないかと身構えてしまったところ、そうでなくて拍子抜けした。
「だから、髪の毛が濡れたままなのね」
「うん、そう。昨日の夜は風呂に入れなかったから、入らないとやばいと思って」
昨日の夜に風呂に入れなかったから入らないとやばいと思ったのは、事実。
「前から思ってたけど、あんたは衛生に過剰すぎる。あんた、自分のことを臭いとか汚いと思ってるでしょ? 逆だよ。あんた、シャンプーとか洗濯洗剤の良い香りがするから、女子どころか男子までときめいてるの、知らないでしょ? あたしの周りをあんまり色ボケさせないでよ」
「俺、そんなに色気振り撒いてる……?」
「無意識に勘違いさせてるって。しかも、風邪を召した今のあんたなら、介抱イベントで誰でも攻略できるよ」
どういう意味だ。
「とにかく、風邪を悪化させて周りに移さないでよ」
段田が、紙の使い捨てマスクをくれた。
「あ、ありがと」
完全に、風邪引きと勘違いさせてしまったが、顔を隠すには、もってこいだ。でも、何だろう。いつも通り口は悪いのに、今日の段田は、勢いが無い。
「段田、やばいね」
後ろの席から、話し声が聞こえる。
「今更、善人アピールしてるよ。やばいね」
「さっきの基礎ゼミで、滝本をこてんぱんにして良い気になってるのを悟られたくないんだね。やばいね」
滝本の名前が出てきた。段田と滝本は、同じ基礎ゼミで、先程の1限で一緒だったはずだ。余談だが、俺の基礎ゼミは今日の3限だ。
「明らかに準備不足だった滝本も良くはないけど、段田に落ち度があったよ。あんなに否定しなくても良かったのに」
「うちらの意見を代弁したつもりなのかもしれないけど、あれはやばいね」
段田は、一切口を挟まない。そういえば、普段あんなにうるさい段田は、講義の流れを妨げることは、しない。くすくす笑うくせに、くすくす笑うだけだ。面倒臭い奴だけど、自分の中で線引きがあるようだ。
「段田」
「喋んな。週末は、一般教養科目の課題のために博物館の特別展に行かなくちゃならないの。予約したチケットを無駄にしたくないから、風邪を引くわけにゆかないの」
段田こそ衛生を気にし過ぎだと思うが、本当に風邪を引かれて課題が提出できないことになってしまったら、俺のせいになってしまう。段田が風邪を召さない自己暗示のためにも、俺は無駄に口を開かないことにした。段田は母に似て苦手だが、課題を提出できずに単位を落としてほしいとは思わない。
「つらかったら、寝てれば? 風邪を移さないでよ」
普段なら、棘のある言葉を気にしてしまうが、今日の段田は口の悪さの裏に本来の優しさが垣間見えたと錯覚した。この講義の准教授は、扱った内容のデータを受講生に公開している。後でデータを見るだけでどうにかなるから、まともに講義を聞かない学生もいるくらいだ。
昨日の睡眠不足が祟り、俺は本当に寝落ちしてしまった。


