オーブンの天使がささやく

 キスした後に普通に食事ができる神経の図太さに、我ながら感心する。
 甘辛ダレが染み込んだ豚丼は、冷凍とは思えないほど美味い。大学の食堂のメニューにあったら、毎日食べていると思う。もやしのナムルや、えのきのわさびポン酢和えとのあっさり感と、豚丼のこってり感が止まらない。
「うう……っ、まあ……っ!」
 あまりの美味さなのに、苦しみもだえる声しか出なかった。
「美味いですか?」
 閑真が、声のボリュームを落として訊いてくる。
「店の味だよ!」
 祖母の料理は安心する味だが、閑真の料理は、特別な日におもてなしする味だ。
「冷蔵庫にあるもので急いでつくったから、手をかけられなかったけど」
「俺が、急に上がり込んだから」
「いいえ、俺が引きずり込んだから」
 閑真は箸を置き、俺の口元に指を伸ばす。
「何か、ついてる?」
「何も」
 そう言われても、俺も箸を下ろして自分の口を触ってしまう。本当に、何もついていなかった。恥ずかしい。
 それから、閑真の頬に触ってやる。閑真は、一瞬だけ、呆気に取られた顔をし、徐々に顔を赤くしてしまった。
「く……っ、俺を殺す気か」
 お互い、何も言えず、黙って完食した。
「洗うよ」
 俺は食器をまとめて立つ。
「いいえ、俺が」
 争ってシンクに向かい、タッチの差で俺が負けた。
「シュークリーム、食べますか?」
「食べる!」
 結局、俺は、閑真のペースに乗せられてしまう。
「……閑真も食べるなら」
「俺も、良いのか」
「閑真は、自分の手料理(もの)を食べられるんやろ?」
「食べられるけど」
「一緒に、食べようよ」
「……ありがとう」
 カスタードクリームをたっぷり詰めたシュークリームは、パティスリーみたいな味だ。ほんのり洋酒の風味もある。
「……あま……っ!」
 溢れたクリームが、手にこぼれてしまったことに、シュー生地を食べ終えてから気がついた。すかさず閑真が膝を詰め、俺の手に吸いつく。一瞬で、体が熱くなってしまった。彼の唇にクリームがくっついている。俺は彼の唇を舐めてクリームを掬った。唇を求められ、舌を絡める。抱きしめ、抱きしめられ、キスを繰り返し、体温を確認し合う。熱くなった体は座位を保てなくなり、ロータイプベッドに倒れ込んだ。


 互いを求め合っているうちに深い眠りにつき、気がつくと朝になっていた。
 やべー。恥ずかしい。熱に浮かされて大胆になっていた記憶がある。
 体をよじると、隣で寝る彼に擦りつかれた。
「こんなにぐっすり寝られたのは、本当に久しぶり」
 昨夜の余韻が抜けない体が、まだ熱を帯びている。
「また来るよ」
 なんでこんなこと言っちゃったのか、自分でもわからない。
「来て」
 あられもない姿で抱きしめられ、恥ずかしいのに、嬉しくなってしまった。が、すぐに現実に戻される。
「1限、間に合うのか?」
 朝とはいえ、もう8時になろうとしている。
「間に合わせる。あなたこそ、一度帰宅した方が」
「うん、ごめん。すぐ帰る」
 身支度を整えて閑真のアパートを出ると、閑真も出てきた。超特急でシャワーを浴びた閑真から、清潔な石鹸の香りがする。汚い俺なんかが近くにいてはならないと思って駅まで早歩きすると、閑真も同じ速さで着いてくる。俺が走ると、閑真も走る。ストーカーかよ。
 駅の階段で振り返ると、閑真は結構後ろで息を切らせていた。戻ろうとすると、手で止められ、俺が足を止めると、手を振ってくれる。俺も手を振り、きびすを返して改札へ向かった。