オーブンの天使がささやく

 物心ついたときには、父親はいなかった。病死したらしい愛知県の田舎で、母とふたり暮らし。
 母は、よく言っていた。
「男の『料理好き』は武器になるけど、女の『料理好き』は搾取されるだけ」
 幼心に、母の料理は美味いと思っていた。外食は一切しないため、学校給食との比較だが、給食よりも母の手料理の方が美味しいと感じた。
 小さな工場の事務員だった母は、従業員のために毎日昼食と夜食をつくっていた。嫌でも腕前が上がった。
 ある日、母は過労で倒れた。数日の自宅療養の後、職場復帰したが、もう母の居場所は無くなっていた。母の代わりに、料理好きの若い男の従業員複数人が当番制で料理担当になり、その男の料理の方が喜ばれたのだ。しかし、母が復帰した途端、当番制は廃止され、再び母ひとりの担当になった。そこで、母は気づいた。「料理好き」は男性にとって有利なのだと。
「あたしはあんたを料理好きの男に育てる」
 母の信念の元、小学生になったばかりの俺は料理のいろはを叩き込まれることになった。1年生のとき遠足の弁当に、野菜と茹で卵を切って食パンに挟んだサンドイッチをつくって持っていったのを覚えている。2年生では、オムライス弁当。3年次は、油淋鶏丼。嫌でも腕技術は身についた。
 俺が料理できるようになるにつれて、母は口汚く罵るようになった。
「飲み込めないほど不味い」
「口に入れられないほど不味い」
「見ただけで不味い」
「あんたは料理してない。残渣を集めただけ」
「不衛生なあんたがつくるものなんて、食べるレベルに達していない」
「無理矢理食わせるなんて、親を虐待している」
「あんたは料理好きなんだから、毎食つくるのが楽しいんでしょう? これからも毎食つくりなさいよ。でも、美味しいもの意外つくるの禁止だからね」
「あんたの料理は趣味であって、家事や自炊とは違うのよ」
 母は仕事で料理することをあんなに嫌がっていたのに、アルバイト先は居酒屋のホール担当だった。
 母が義父と入籍したのは、俺が小学4年生のときだった。居酒屋に義父が客として来たのを母が猛アタックしたらしい。義父は、大手建設会社のタイルの製造をしていた。
 夜のシフトが中心の母に代わり、義父はすすんで家事をやってくれた。ふたり暮らしのときは荒れ放題だった家の中は、整頓されて明るい光が入るようになった。
 母は次第に、義父を疎むようになった。好きで結婚したが、自分のテリトリーに義父が入り込むのが嫌だった。母のテリトリーには、俺も含まれていた。義父が俺と関わるのを、母は嫌がった。特に、義父が料理しようとするのを強烈に拒んだ。
「料理は息子のやりたいことなんだから、息子の可能性を奪わないで」
 義父は押しに弱いが、脇が甘いわけではない。母の暴言をボイスレコーダーで録音し、児童相談所に通報した。結果は、要観察。だが、義父は仕事を辞めて、俺を連れて実家の多治見に帰った。俺が小学校5年生のときだった。俺は多治見の小学校に転校し、義父の実家から通った。
 離婚も親権も裁判でかなり揉めたが、結果的に義父と母は離婚し、親権は義父になった。母は全く納得していなかったが、弁護士に止められて訴訟を起こすこともなかった。
 今、母がどこにいるのか、そもそも生きているのか、全く知らない。母の暴言がきっかけで壊れてしまった俺を、義父も祖父母も理解して接してくれる。まるで血のつながった家族みたいに。