文化祭が終わった。クラスの打ち上げには参加せず、オレは帰り道を歩いている。
「……みやー」
だっておかしい。クラスメイトたちから次々に声をかけられた。しかも、よかったよだとか好意的な。意味が分からなくて、思わず逃げてきてしまった。
「なー、真宮ってばー」
「……ん?」
教室からずっと早足で歩いていたオレは、靴底をぎゅっとコンクリートに押しつけて立ち止まった。聞き間違えでなければ、白瀬に呼ばれた気がする。
「あ、やっと止まってくれた」
「は? お前なんでここにいんの?」
「なんでって。真宮が飛び出したから、追いかけてきた」
「えー……白瀬がいないとみんな盛り下がるんじゃねえの」
「俺よりも、真宮がいないほうがみんな寂しいんじゃない?」
「んなわけあるか」
一体なにを言うんだか。ため息が出るけど、戻れと言ったところで素直に聞いてはくれなそうだ。諦めて、ゆっくりと歩き始める。
「真宮、もう帰ろうとしてる?」
「帰るって言うか、公園寄るとこ」
「公園……」
ショーの準備を始めてから、ミーコにずっと会えていない。今日はこれを楽しみに頑張れた部分も、大いにあったりする。
「白瀬、ミーコにごはんあげてくれてありがとな。おかげでリメイクに没頭できたし、助かった」
白瀬に礼を言いつつ、公園の中へと足を向ける。けれど急に進めなくなってしまった。白瀬に腕を掴まれたからだ。
「ミーコなら、もういないよ」
「……は? お前なに言って……」
「それは……なあ、俺んちに来て。ふたりで打ち上げしようよ」
「は!? ちょっ、ミーコがいないってどういうことだよ!」
「いいからいいから」
「全っ然、なんもよくねえけど!?」
結局、白瀬の家まで無理やり連れてこられてしまった。何度聞いても、白瀬はミーコについて口を割らない。もういないだなんて、想像もしたくない最悪のことばかり考えてしまって、具合が悪くなってきた。
「真宮、俺の部屋行こう。多分いるから」
「……うん」
ミーコに会えなくなった代わりに、ユキと遊ぼうという意図だろうか。ユキにももちろん会いたいけど、ミーコに会えない穴はきっとミーコにしか埋められないのに。
「ほーら、行こ」
動き出さないオレに痺れを切らした白瀬が、再び腕を引っ張ってくる。抵抗する気力もないオレはされるがままで、白瀬の部屋へと入った。
「やっぱりここにいた。すっかりなかよしだな」
なかよしってどういう意味だろう。ユキ一匹にかける声としては、違和感がある。
「真宮、見て。俺のベッドの上」
今日はちょっと、ユキの満足する遊び相手になってあげられないかもしれない。申し訳なさでゆっくり顔を上げたオレは――ベッドを視界に入れた瞬間、息が止まってしまった。
丸くて綺麗な愛らしい瞳が、オレを見ている。二匹分の瞳が、だ。
「……えっ、なんで? ミーコ?」
名前を呼ぶと、三毛猫がニャアンと鳴いて立ち上がった。ベッドを下りて、オレの足にすり寄ってくる。
「実はさ、ミーコをうちで飼うことになったんだ。親に相談したら、連れておいでって。病院も行ってきたよ。ケガも病気もなし、今一歳くらいだろうって」
「…………」
「真宮? 勝手なことしてごめんな。やっぱり嫌だった?」
「っ、嫌じゃない」
こみ上げてくる涙を、オレは堪えることができなかった。みっともなく鼻がズズっと鳴って、拳で目元を拭う。こんな日が来るなんて、思ってもみなかった。
「オレ、ミーコがあの公園で冬を迎えるの、すげー不安だった。でもオレんちでは飼ってやれないし……白瀬、ありがとう。白瀬の家の子になったなんて、ミーコは幸せ者だ」
「真宮……そう言ってくれてよかった。はい、ティッシュ」
「……ありがとう」
涙と鼻を拭いていたら、白瀬が部屋を出ていった。けれどすぐに戻ってきて、その手にあるトレイにはジュースが注がれたグラスといくつかのお菓子が載っていた。
「真宮、俺と打ち上げしてくれる?」
「……ふ。うん、やろう」
白瀬とオレ、それからユキとミーコ。ふたりと二匹での打ち上げが始まった。ジュースとお菓子もそこそこに、オレは膝に乗ってきたミーコに夢中だ。今まで抱っこは我慢していたから、感動もひとしおだ。
「真宮、ファッションショー引き受けてくれてありがとうな。最高だった! できれば優勝したかったけど……急きょ作られた特別賞もらえたって、結構すごいことだよな」
ヘソ天で寝転がるユキをそっと撫でながら、白瀬が今日を振り返る。そう、オレたちは優勝できなかった。出るのがオレなんだから、とれるわけがないって思っていたのに。実際逃してしまえば、悔しい自分がいたのもまた確かで。でもそんなオレたちに、特別賞が与えられた。優勝者とはまた別に、衝撃を与えられたペアということらしい。副賞はなしだけど、オレと白瀬は思わずハイタッチをしたほどだった。
「礼を言うのはオレのほうだよ」
「え?」
構いすぎたのか、ミーコがオレの膝から下りる。ベッドの上へと戻り、ユキの隣に寄り添うように落ち着いた。
「白瀬に声かけられてから、本当に色々あったなって。最初は練習台なんて冗談じゃないって思ったけど……放課後毎日ここに通ってたのとか、私服で遊びに行ったこととか。楽しかった」
「真宮……」
月日で見たら、たった三か月ほどの出来事だなんて信じられない。それくらい日々が賑やかだった。
「ファッションショーもさ、白瀬がいなかったら考えもしなかった。すげー怖かったし、緊張したけど。出てよかったって今は思ってる。あと、ミーコのことも。全部、白瀬のおかげなんだよな。白瀬が美容師って夢にまっすぐだから。オレにもおこぼれがあった。なんかずるいかもな。でも本当、ありがとう」
「っ、ずるいわけないだろ! あと、おこぼれなんかじゃないから」
「わっ、白瀬?」
白瀬が急に立ち上がって、オレは思わず肩を跳ね上げてしまった。白瀬って、たまに言葉遣いが崩れるんだよな。学校では聞いたことないけど。
「俺だって同じだよ」
「同じって?」
「俺も毎日楽しかったよ。真宮のおかげで、ヘアセットして人に喜んでもらえる喜びも知れたし。でもそれだけじゃ、ファッションショーに挑戦しようなんて考えなかった。真宮の服が本当にすごくよかったから、真宮のセンスを引き立てられるヘアメイクをやってみたいって思ったんだからな。真宮とじゃなきゃ、こんな今なかった。俺のほうこそ、感謝してる」
「……なんか、恥ずいかも」
「たしかに。俺たち小っ恥ずかしいこと言い合ってるかもな」
「……ふ」
「はは!」
こんな風に白瀬と笑い合う日が来るなんて。願ったことも、想像したことすらない。けれどこの今が嫌じゃなくて。恥ずかしい気持ちもまあいいか、なんて思えてくる。
「もしよかったらさ、毎日でもミーコに会いに来てよ。じゃないと真宮もミーコも寂しいだろ」
「……じゃあ、そうさせてもらおうかな。でも、ひとつ条件がある」
「条件?」
一度仲違いをしてしまったけど、ショーに出ると決めてから後悔していたことがある。
「オレの髪でよかったら、また練習に使ってよ」
「え……いいのか!?」
「うん。急にやめて悪かった。白瀬が真剣にやってんの、分かってたのに」
「ううん、マジでありがとう。じゃあ、俺たちの関係も元通りってことか」
「元通り?」
「うん。ギブアンドテイク」
「そう言えばそうだったな」
「まあ今は、始まりとはちょっと違うけど」
「どういう意味だ?」
「ギブアンドテイク兼、友だち。だろ?」
「……恥ずかしいヤツ」
白瀬がグーを差し出してくる。それが少し鼻につくけど、数秒置いてオレも同じようにしてグータッチをする。
「ミーコ、よかったな。真宮毎日来てくれるって。そうかユキも嬉しいかー」
猫たちと戯れだした白瀬を横目に、ジュースを口に含む。ニャアンと鳴く声がふたつと、学校では聞けない白瀬のはしゃぐ声。その光景を眺めつつ、オレはシャツの胸元をそっと握る。
オレの中に芽生えた、新しい気持ちに気づいている。将来に希望なんてなにもなかったのに、今日を機にたしかにそれが変わった。どんな形でもいいから、服に関わってみたいだなんて。ただの趣味が未来として、ぼんやりとでも輪郭を持った。
「なあ、白瀬」
「んー? なにー?」
「……やっぱなんでもない」
「ええ!? 気になるじゃん!」
だけど、まだこの気持ちを言葉にはできそうにない。まだまだ自分でも不確かで、ちょっとくすぐったいからだ。でも、もしも今よりハッキリと形を持ったら。いちばんに伝えたい、なんて思える相手がいる。きっと一緒に喜んでくれるだろうって、そんな気がするから。
「んー……じゃあさ、今度ヘアメイクの練習だけじゃなくて、髪も切ってよ」
「じゃあってなに? てかそれはさすがに責任重大すぎる!」
「いいじゃん、もう乗りかかった船だし」
「えー……ちょっと考えとく」
「うん。オレも考えとくよ」
「…………? なにが?」
「なんでもない」
「……みやー」
だっておかしい。クラスメイトたちから次々に声をかけられた。しかも、よかったよだとか好意的な。意味が分からなくて、思わず逃げてきてしまった。
「なー、真宮ってばー」
「……ん?」
教室からずっと早足で歩いていたオレは、靴底をぎゅっとコンクリートに押しつけて立ち止まった。聞き間違えでなければ、白瀬に呼ばれた気がする。
「あ、やっと止まってくれた」
「は? お前なんでここにいんの?」
「なんでって。真宮が飛び出したから、追いかけてきた」
「えー……白瀬がいないとみんな盛り下がるんじゃねえの」
「俺よりも、真宮がいないほうがみんな寂しいんじゃない?」
「んなわけあるか」
一体なにを言うんだか。ため息が出るけど、戻れと言ったところで素直に聞いてはくれなそうだ。諦めて、ゆっくりと歩き始める。
「真宮、もう帰ろうとしてる?」
「帰るって言うか、公園寄るとこ」
「公園……」
ショーの準備を始めてから、ミーコにずっと会えていない。今日はこれを楽しみに頑張れた部分も、大いにあったりする。
「白瀬、ミーコにごはんあげてくれてありがとな。おかげでリメイクに没頭できたし、助かった」
白瀬に礼を言いつつ、公園の中へと足を向ける。けれど急に進めなくなってしまった。白瀬に腕を掴まれたからだ。
「ミーコなら、もういないよ」
「……は? お前なに言って……」
「それは……なあ、俺んちに来て。ふたりで打ち上げしようよ」
「は!? ちょっ、ミーコがいないってどういうことだよ!」
「いいからいいから」
「全っ然、なんもよくねえけど!?」
結局、白瀬の家まで無理やり連れてこられてしまった。何度聞いても、白瀬はミーコについて口を割らない。もういないだなんて、想像もしたくない最悪のことばかり考えてしまって、具合が悪くなってきた。
「真宮、俺の部屋行こう。多分いるから」
「……うん」
ミーコに会えなくなった代わりに、ユキと遊ぼうという意図だろうか。ユキにももちろん会いたいけど、ミーコに会えない穴はきっとミーコにしか埋められないのに。
「ほーら、行こ」
動き出さないオレに痺れを切らした白瀬が、再び腕を引っ張ってくる。抵抗する気力もないオレはされるがままで、白瀬の部屋へと入った。
「やっぱりここにいた。すっかりなかよしだな」
なかよしってどういう意味だろう。ユキ一匹にかける声としては、違和感がある。
「真宮、見て。俺のベッドの上」
今日はちょっと、ユキの満足する遊び相手になってあげられないかもしれない。申し訳なさでゆっくり顔を上げたオレは――ベッドを視界に入れた瞬間、息が止まってしまった。
丸くて綺麗な愛らしい瞳が、オレを見ている。二匹分の瞳が、だ。
「……えっ、なんで? ミーコ?」
名前を呼ぶと、三毛猫がニャアンと鳴いて立ち上がった。ベッドを下りて、オレの足にすり寄ってくる。
「実はさ、ミーコをうちで飼うことになったんだ。親に相談したら、連れておいでって。病院も行ってきたよ。ケガも病気もなし、今一歳くらいだろうって」
「…………」
「真宮? 勝手なことしてごめんな。やっぱり嫌だった?」
「っ、嫌じゃない」
こみ上げてくる涙を、オレは堪えることができなかった。みっともなく鼻がズズっと鳴って、拳で目元を拭う。こんな日が来るなんて、思ってもみなかった。
「オレ、ミーコがあの公園で冬を迎えるの、すげー不安だった。でもオレんちでは飼ってやれないし……白瀬、ありがとう。白瀬の家の子になったなんて、ミーコは幸せ者だ」
「真宮……そう言ってくれてよかった。はい、ティッシュ」
「……ありがとう」
涙と鼻を拭いていたら、白瀬が部屋を出ていった。けれどすぐに戻ってきて、その手にあるトレイにはジュースが注がれたグラスといくつかのお菓子が載っていた。
「真宮、俺と打ち上げしてくれる?」
「……ふ。うん、やろう」
白瀬とオレ、それからユキとミーコ。ふたりと二匹での打ち上げが始まった。ジュースとお菓子もそこそこに、オレは膝に乗ってきたミーコに夢中だ。今まで抱っこは我慢していたから、感動もひとしおだ。
「真宮、ファッションショー引き受けてくれてありがとうな。最高だった! できれば優勝したかったけど……急きょ作られた特別賞もらえたって、結構すごいことだよな」
ヘソ天で寝転がるユキをそっと撫でながら、白瀬が今日を振り返る。そう、オレたちは優勝できなかった。出るのがオレなんだから、とれるわけがないって思っていたのに。実際逃してしまえば、悔しい自分がいたのもまた確かで。でもそんなオレたちに、特別賞が与えられた。優勝者とはまた別に、衝撃を与えられたペアということらしい。副賞はなしだけど、オレと白瀬は思わずハイタッチをしたほどだった。
「礼を言うのはオレのほうだよ」
「え?」
構いすぎたのか、ミーコがオレの膝から下りる。ベッドの上へと戻り、ユキの隣に寄り添うように落ち着いた。
「白瀬に声かけられてから、本当に色々あったなって。最初は練習台なんて冗談じゃないって思ったけど……放課後毎日ここに通ってたのとか、私服で遊びに行ったこととか。楽しかった」
「真宮……」
月日で見たら、たった三か月ほどの出来事だなんて信じられない。それくらい日々が賑やかだった。
「ファッションショーもさ、白瀬がいなかったら考えもしなかった。すげー怖かったし、緊張したけど。出てよかったって今は思ってる。あと、ミーコのことも。全部、白瀬のおかげなんだよな。白瀬が美容師って夢にまっすぐだから。オレにもおこぼれがあった。なんかずるいかもな。でも本当、ありがとう」
「っ、ずるいわけないだろ! あと、おこぼれなんかじゃないから」
「わっ、白瀬?」
白瀬が急に立ち上がって、オレは思わず肩を跳ね上げてしまった。白瀬って、たまに言葉遣いが崩れるんだよな。学校では聞いたことないけど。
「俺だって同じだよ」
「同じって?」
「俺も毎日楽しかったよ。真宮のおかげで、ヘアセットして人に喜んでもらえる喜びも知れたし。でもそれだけじゃ、ファッションショーに挑戦しようなんて考えなかった。真宮の服が本当にすごくよかったから、真宮のセンスを引き立てられるヘアメイクをやってみたいって思ったんだからな。真宮とじゃなきゃ、こんな今なかった。俺のほうこそ、感謝してる」
「……なんか、恥ずいかも」
「たしかに。俺たち小っ恥ずかしいこと言い合ってるかもな」
「……ふ」
「はは!」
こんな風に白瀬と笑い合う日が来るなんて。願ったことも、想像したことすらない。けれどこの今が嫌じゃなくて。恥ずかしい気持ちもまあいいか、なんて思えてくる。
「もしよかったらさ、毎日でもミーコに会いに来てよ。じゃないと真宮もミーコも寂しいだろ」
「……じゃあ、そうさせてもらおうかな。でも、ひとつ条件がある」
「条件?」
一度仲違いをしてしまったけど、ショーに出ると決めてから後悔していたことがある。
「オレの髪でよかったら、また練習に使ってよ」
「え……いいのか!?」
「うん。急にやめて悪かった。白瀬が真剣にやってんの、分かってたのに」
「ううん、マジでありがとう。じゃあ、俺たちの関係も元通りってことか」
「元通り?」
「うん。ギブアンドテイク」
「そう言えばそうだったな」
「まあ今は、始まりとはちょっと違うけど」
「どういう意味だ?」
「ギブアンドテイク兼、友だち。だろ?」
「……恥ずかしいヤツ」
白瀬がグーを差し出してくる。それが少し鼻につくけど、数秒置いてオレも同じようにしてグータッチをする。
「ミーコ、よかったな。真宮毎日来てくれるって。そうかユキも嬉しいかー」
猫たちと戯れだした白瀬を横目に、ジュースを口に含む。ニャアンと鳴く声がふたつと、学校では聞けない白瀬のはしゃぐ声。その光景を眺めつつ、オレはシャツの胸元をそっと握る。
オレの中に芽生えた、新しい気持ちに気づいている。将来に希望なんてなにもなかったのに、今日を機にたしかにそれが変わった。どんな形でもいいから、服に関わってみたいだなんて。ただの趣味が未来として、ぼんやりとでも輪郭を持った。
「なあ、白瀬」
「んー? なにー?」
「……やっぱなんでもない」
「ええ!? 気になるじゃん!」
だけど、まだこの気持ちを言葉にはできそうにない。まだまだ自分でも不確かで、ちょっとくすぐったいからだ。でも、もしも今よりハッキリと形を持ったら。いちばんに伝えたい、なんて思える相手がいる。きっと一緒に喜んでくれるだろうって、そんな気がするから。
「んー……じゃあさ、今度ヘアメイクの練習だけじゃなくて、髪も切ってよ」
「じゃあってなに? てかそれはさすがに責任重大すぎる!」
「いいじゃん、もう乗りかかった船だし」
「えー……ちょっと考えとく」
「うん。オレも考えとくよ」
「…………? なにが?」
「なんでもない」



