放課後ギブアンドテイク

 ファッションショーにエントリーを済ませて教室に戻ったら、女子たちは白瀬へと謝った。無理強いをしていたと。それを受けた白瀬も、自分もハッキリ言うべきだったと謝って。自分を偽る場面があったとして、嫌いなわけじゃないのだろう。その顔は心底ほっとしているように見えた。
 放課後、オレたちは公園で落ち合った。ごはんを食べるミーコの前で、ふたりでしゃがみこむ。
「本番までもう二週間もないしさ、服は真宮の手持ちの中から決めるか」
 今日の五、六時限目は、いつも以上に授業に身が入らなかった。ファッションショーのことが頭を埋めつくしていたからだ。白瀬が言うことはもっともで、オレもその答えにたどり着きはしたんだけど――
「あのさ、白瀬。オレもそれがベストだとは思うんだけど……新しいの、作ってみてもいいかな」
「え?」
「せっかくだから、チャレンジしてみたくなって……まっさらな服は今2着くらいしかないから、買うところからになるんだけど」
 なんだか今日のオレは、おかしいみたいだ。参加すると決めただけでも一大事なのに、さらに自分を試してみたくなるなんて。そんなこと、一度もなかった。
「っ、すげーいいと思う!」
「……マジ?」
「うん、真宮すごいよ。なあ、それなら俺にも協力させてほしい」
「協力って?」
「俺んち行こ」
「は? あ、ちょ、引っ張んなって!」
 白瀬ってたまに強引なところがあるんだよな。急いで空っぽになった猫缶を片づける。ミーコにまたなと手を振って、急かす白瀬に引っ張られながら公園を出た。
「この中から好きなの選んで持ってって」
「は? それはさすがに……」
 一体何事かと思えば、家に着くなり白瀬のクローゼットが全開にされた。その前へと立たされ、白瀬の言葉にオレは目を丸くした。
「新しく買うのももちろんいいんだけどさ、せっかくふたりで組むんだし、俺もヘアセットだけじゃなくてなんかしたいし。使えそうなのない?」
「そんなこと言われても……」
 まさかの提案に、オレはしどろもどろになってしまう。白瀬のワードローブは質がいいものばかりだから、余計にだ。ファストファッションや古着で集めている、オレのとは大違い。そう思いつつも眺めていたオレは、一着のシャツに目が留まった。ブラウンを基調とした、チェックのシャツだ。これだったらオレの手持ちのと合わせて、とつい想像が膨らんでしまう。
「それ気に入った?」
 思わず手に取ると、すかさず白瀬が覗きこんできた。
「いや……うん。これかわいいな」
「真宮にそう言ってもらえるとテンション上がるな。ちなみに、俺もそれ特に気に入ってる」
「そっか」
 やはり白瀬の服を使うなんてできない。そう思ってクローゼット内に戻そうとしたのだけど。白瀬に手を掴まれてしまった。
「使ってよ」
「いやダメだろ。気に入ってんなら大事にしろ」
「残念だけど、ここにあるのは全部気に入ってる」
「はあ? じゃあ最初からやめとけ……」
「だからだよ。ふたりでエントリーしたんだから」
「…………」
 白瀬は真剣な目をしている。もしかすると、気を使うほうが失礼なのかもしれない。そのくらい白瀬は、今回のショーに力を入れたいということだ。だったらオレも、変に尻込みしている場合じゃないのか。
「じゃあ、これ使わせてもらう」
「うん、そうして」
「……白瀬の好きな感じになるかは分かんないからな。どうしてもオレの好みになっちゃうし」
「うん、それでいいよ。真宮が好きに作るヤツが、俺も見たいから」
「分かった。オレ、マジで頑張る」
「俺に手伝えることがあったら、遠慮せずに言ってな」
「うーん、それは特に……」
 服のリメイクはずっとひとりでやってきたことだから、手伝ってほしいことは正直思いつかない。でも、白瀬がそわそわしているのがよく分かる。白瀬にとっては念願のショーへの参加だから、じっとしていられないのだろう。
 練習台ももう辞めると宣言したままだし、時間はないしリメイクしながら頭を貸し出すなんて無理だし。そこまで考えて、ふと思いついた。そうだ、時間がないんだ。今週の土日も本番までの放課後も、一秒残らずリメイクに充てたい。背負ったままだったリュックを下ろして、中からあるものを取り出す。
「やっぱり白瀬にお願いしたいことあった。これ」
「猫缶?」
「うん。オレ、文化祭まで学校以外の時間は全部、リメイクに使いたい。その間、ミーコのごはんお願いできるか?」
 昨日お得パックを買っておいてよかった。足りない分は買い足して、学校でこっそり白瀬に渡そう。
「マジか。重大任務だな」
「そうだぞ。頼んだからな」
「任せろ」
「じゃあ、帰る。この服、ありがとう」
「どういたしまして。あ、ユキ」
「っ、ユキ……」
 帰る準備をしていたら、ユキが部屋へと入ってきた。白瀬が抱き上げて、オレの腕へと渡される。
「久しぶりだなー、ユキ。元気にしてたか?」
 横抱きにしてあごの下を撫でたら、ナァンと返事が返ってきた。
「真宮に甘えてるな」
「また会えてよかった」
「そうだな。ユキも嬉しいよなー」
 ひとしきりユキをかわいがって、今度こそと部屋を出る。玄関まで見送りにきた白瀬と向かい合ったら、背筋が伸びる心地がしてくる。
「じゃあ、服、頑張るから」
「俺はミーコの世話しつつ、真宮に合いそうな髪型も研究しておく。それぞれがそれぞれのできること、だな」
「そうだな」
 それじゃあと軽く手を振って、白瀬家の敷地を出る。何気ないはずの一歩を、オレは噛みしめるように踏み出した。

「真宮、顔上げて。それじゃ髪できないよ」
「だって……緊張して吐きそう」
 あっという間に文化祭当日になった。ファッションショーは目玉のイベントで、文化祭のフィナーレとして午後に設定されている。出演する人用に控え室が設けられているけど、オレたちは理科室で準備中だ。日頃から先生受けもいい白瀬が担任に頼んだら、快く貸してもらえたらしい。今日は白瀬様と呼ぶべきかもしれない。他の人たちと同じ控え室で準備をして白い目を向けられたら、オレはもう絶対にステージになんて上がれないから。いや、ここにいてもオレの気持ちは、後ろ向きになっているけれど。
「なあ真宮。今日はさ、こんな感じの髪型にしようと思ってるんだけど、どうかな」
 俯いたままのオレの視界に、白瀬のスマホが映った。その絵にオレはぎょっとして、勢いよく顔を上げた。
「なっ……オレ、こんな顔出てんの嫌だ!」
 全体的にウェーブがかかった髪をゆるめにハーフアップ、前髪はセンターパート。これ、イケメンにしか許されない髪型だろ。顔が丸見えだ。
「遊びに出かけた時も、そう言ってたよな」
「そうだよ、分かってるんだったら……!」
「真宮」
 思わず張り上げたオレの声を、白瀬が遮った。落ち着いたトーンの声なのに、オレの言葉は引っこんでしまった。白瀬の目があまりにもまっすぐ、オレを射抜いていたからだ。
「真宮が完成した服の写真送ってくれて、本っ当にかっこよかったから。この服を、この服を着てる真宮を、俺のヘアアレンジで台無しにしちゃダメだって、すごく考えた」
「……分かってるつもりだよ。白瀬、美容師って夢にマジで真剣だって、伝わってくるから。でも……顔こんなに出すの、怖えんだよ」
「見られたくない理由、聞いてもいい?」
「見られたくないって言うか……オレっていう存在を消す、カーテンみたいなもん」
「カーテンか。きれいな顔してるのに」
「っ、はあ!? んなわけねえだろ……白瀬が言うと嫌味にしかならねえよ……」
「なんでだよ、マジで言ってるよ」
 大真面目な顔でそう言った白瀬は、オレの後ろに立った。コテの電源を入れて、オレの髪をブラシで丁寧に梳かしはじめる。
「でもまあ、真宮が嫌って言うならやらないよ。前髪だけ変更する。コテで巻きつつ、顔に垂らす感じになるかな」
「……白瀬、もっかいさっきの絵見せて」
「どうぞ」
 渡してくれたスマホの画面を、じいっと見つめる。オレがリメイクした服から、白瀬がイメージを膨らませたヘアアレンジ。オレのただの趣味に今、白瀬の夢が乗っかっている、ということだ。
「白瀬」
「んー?」
 コテがあたたまったようで、オレの髪に巻きつけられていく。白瀬は鼻歌を唄っている。放課後の練習台の時も、白瀬は楽しそうだったなあなんて思い出す。
「オレ、決めた」
「…………? なにを?」

 体育館の舞台袖で、オレはぶるぶると震えている。やっぱり辞める、と今にも言ってしまいそうな口を、押し留めるのに必死だ。
「まさかトリなんてなあ。なんか緊張するよな」
「なんかどころじゃねえよ……心臓が口から出そうってヤツ、これかって感じ……う……」
 エントリーした順に発表らしく、締め切り日に駆けこんだオレたちが最後になってしまった。観客たちが飽きているのを願うしかない。でもそれも無理か。舞台に上がるのはどうやら、オレだけじゃないらしいから。
「白瀬くん真宮くんペア、もうすぐ出番です」
 運営の生徒から声がかかった。吐きそう。そんなオレを知ってか知らずか、白瀬がオレの髪を最終調整していく。
「真宮の服、最高だから自信持って」
「服はまあよくても、オレがなあ」
「真宮自身も、もっと胸張っていいと思うけどな」
「白瀬くん真宮くん、お願いします!」
 自分に胸を張るなんてできっこない。そう答える前に、ついに出番が回ってきてしまった。ああ、怖い。固まっていたら、白瀬に背中をパンとたたかれた。勢いに任せて、オレは白瀬とふたりで舞台に出た。
 途端、大きな歓声が体育館中に響いた。最初から袖にいたけど、確実にいちばんデカい。白瀬の後ろにほぼ隠れているオレだけど、みんなの視線が白瀬へと向けられているのが分かる。
「白瀬くんじゃん!」
「なんで!? 出ないって聞いてたんだけど!」
「でも嬉しい! あれ、でも白瀬くん、制服のままじゃない?」
 歓声の中に、少しずつ困惑した様子が混じっていく。ごもっともだろう。白瀬ほどの男が舞台に上がるなら、誰もがモデルだと思うはずだ。
 うん、今からでも逃げ出したい。ここにいる全員を絶対にガッカリさせてしまう。あーあ、足が震えてきた。くちびるをぎゅっと噛んで、目をつぶった時。白瀬がそばに立っている運営の生徒に声をかけた。
「すみません、ちょっとマイク借りてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
 白瀬がマイクを持つと、途端に体育館が静まり返った。それを確認してから、白瀬は口を開いた。
「今回、真宮とペアを組ませてもらった白瀬です。見て分かる通り、オレはプロデュース側です。真宮の作った服を、真宮を、ぜひ見てください。すごくかっこいいので」
 マイクありがとうございました、と白瀬がマイクを運営へと戻す。そしてオレを振り返って、勝ち気な顔を見せた。
「それでは、ステージへお願いします!」
 舞台の前方中央に、円形のステージが組まれている。そこにモデルが立って、服がよく見えるように一回転するという段取りだ。
 もう逃げられない。あそこでくるっと回るのも恥ずかしすぎる。でも、不思議だ。白瀬があんな、俺たちは最強だ、みたいな顔をしたから。なんだかもう、どうにでもなれ、みたいな気持ちになってきた。やけっぱちだろうけど、それでもいいのかもしれない。
 ぎこちない動きで、円形ステージへと上がる。深呼吸を二回して、顔を上げる。
 白瀬から託されたブラウンのチェックシャツと、オレが持っていたイエローのトレーナー。大胆に斜めにハサミを入れて、縫い合わせた。秋らしい落ち着いた色味の布やリボンなどを買って、不揃いの長さにヒダを寄せた。それをワイドデニムと、ハイカットのスニーカーに合わせている。
 そして……髪型は、白瀬の当初の案でセットしてもらった。つまり、大勢の生徒たちの前で顔が丸見えだ。
「え、あれ誰?」
「白瀬くんが真宮って言ってなかった?」
「真宮? そんな人いたっけ?」
「……え、真宮ってもしかして、あの真宮?」
 みんなひそひそと話しているつもりなんだろうけど、よく聞こえるもんだな。やっぱりどうしたって、場違い感が否めない。それでもやるべきことをやるしかないと、ゆっくりと回転する。後ろ側を向いた瞬間、白瀬と目が合った。なぜか白瀬はドヤ顔をしている。オレはそれを見て、つい吹き出してしまった。
「ふっ、なんでドヤ顔」
「だって真宮、すごくかっこいいから」
 白瀬のせいで笑いが抜けないまま、前を向く羽目になってしまった。すると、観客たちがどよめきだす。あー、うん、分かるよ。キモいよなあ、オレみたいのが笑ったら。でも、ショックじゃないと言ったら嘘になるけど、割と平気な自分に気づく。
 だって、見てもらえた。オレの――いや違う。オレと白瀬の合作を。オレがリメイクした服と、白瀬が仕上げたヘアアレンジ。誰がなんと言おうと、オレにとっては最高だ。
 正面で動きを止める。早くここから下りたくて素早くお辞儀をする。立ち去ろうと背中を向けたら、信じられない言葉が聞こえてきた。
「今の服、めっちゃかわいくなかった?」
「私も思った! どこのブランドだろうね?」
「白瀬くんプロデュース、さすがって感じ」
 思わず立ち尽くしていると、なぜかまたマイクを持った白瀬が近づいてきた。両肩を掴まれたと思ったらもう一度正面を向かせられ、そして白瀬が言う。
「この服は、真宮がリメイクしたものです」
「えっ、リメイク?」
「あれ作れんの?」
「めっちゃすごくない!?」
 会場のあちこちがどよめいている。呆然とするオレと得意げな顔をしている白瀬に、下がるようにと運営が急かす。白瀬が腕を引いてくれなかったら、オレはきっといつまでもそこから動けなかったと思う。