友だち、なんて言葉がうっかり白瀬との間に出てから、オレの学校生活はちょっと変わってしまった。白瀬がたまに目配せをしてくるのだ。あのニヤリとした笑みを口元にだけ浮かべた顔と目が合ったら、オレは思いっきり睨みつける。すると白瀬が吹き出して、周りの女子たちが「どうしたの?」と不思議そうにする。オレはその度にヒヤヒヤしている。その視線の先がオレだと知れたら、なんでお前が? と奇妙なものを見るような視線が向けられるだろうから。
ばーか。
女子たちをどうにか抑えた白瀬と目が合って、口バクでそう言ってみた。すると白瀬がそっと舌を出してみせる。へえ、白瀬ってあんなふうにおどけたりするんだ。オレまでつい吹き出しそうになって、慌てて拳を口元に当てる。それを見た白瀬がまたおかしそうに笑う。こんな時間が別に嫌いじゃなかったりするけど、気が気じゃないからほどほどにしてほしい。
「ねえねえニュース! 文化祭でイベントやるって!」
昼休みの終わり際、ひとりの女子が興奮した様子で教室に駆けこんできた。たしか彼女は、文化祭の実行委員だ。
「イベントって?」
白瀬を囲む女子たちの輪に入った彼女は、少しもったいぶるように顎を上げた。
「ファッションショー! まあ実質、ミスコンとミスターコンだね。投票もあるみたいだし」
「マジ? そんなん前からあったっけ」
「今年からみたいだよ。目玉にするって委員長が張り切ってた。ショーに出る人とプロデュースする人でペア組んで、エントリーするんだって。個人の自由参加だけど、優勝した人にはクラス人数分のジュースが出るらしい」
「副賞はちょっとしょぼいね」
「まあ高校の文化祭だしね」
ひとしきり盛り上がった女子たちは、好奇心に満ちた目を白瀬へと向けた。
「ねえ、白瀬くん出てみない?」
「え、俺?」
「絶対に優勝できると思う」
「いやー……どうかな」
煮えきらない態度で、白瀬は苦笑いを浮かべている。すると、周りにいた陽キャの男子たちも食いついた。
「いいじゃん、白瀬出ろよ。俺絶対投票する」
「俺も俺も」
「私もー!」
同意の波が、クラス中に広がっていく。オレは全然興味ないけど、たしかに白瀬は優勝できると思う。この調子だと、もうほとんど決定事項だな。がんばれよー、と心の中でやる気のないエールを送りながら、オレはあくびをこぼした。
「…………」
「…………?」
今日も今日とて、放課後は白瀬の練習台だ。公園でミーコにごはんをあげて、遊んで。それから白瀬の家へとやってきた。先に帰っていた白瀬が出迎えてくれて、いつも通り部屋へと通されたのだけれど。白瀬はオレの髪をコテに巻きつけながら、黙りこくっている。いつもはなんだかんだで、ずっと話していたのに。
「あのさ、真宮」
「あ、喋った」
「え?」
「いや、今日は喋んないなあと思ってたから」
「そうだったんだ。考え事してた」
「そっか。で、なに?」
「真宮は聞いた? 文化祭でファッションショーやるって話」
「うん。聞いたっていうか、聞こえてた」
「そっか。あれさ、出てみたいなと思ってて」
なんだ、神妙な顔をしていたから、よほどの悩み事でもあるのかと思ったら。オレは練習の邪魔にならない程度に頷く。
「それも聞こえてた。オレも白瀬なら優勝できると思うよ」
「いや、そうじゃなくて」
「え?」
どういう意味だ? コテを置いた白瀬はオレの肩に手を置いて、鏡越しに目線を合わせるように腰をかがめた。
「俺はプロデュースをやりたい」
「あ、そっち? ショーに出るほうじゃなくて?」
「そう。真宮をプロデュースしたいんだけど、どうかな」
「………………は?」
なるほど、白瀬は美容師になりたいんだもんな。そっちはそっちで納得かも。そんな風に思えたのは、ほんの数秒になってしまった。
今、コイツはなんて言った? オレをプロデュース? 頭おかしくなったんじゃないのか。
「いやいや、なに言ってんだよ。オレが出るのはおかしいだろ」
「なんで? 真宮がリメイクした服を着て、俺はヘアセットをする。すごくいいと思う」
「っ、絶対無理! オレは目立ちたくないんだよ、前に言っただろ!」
「聞いたけど……真宮の服、本当にすごくいいから。それで……」
「もうやめろ!」
椅子から立ち上がったオレは、いつの間にか肩で息をしていた。ギリギリと噛むくちびるは、けれど痛みは感じない。多分、胸のほうがひどく軋んでいるからだ。
オレがどんな思いで学校の時間を過ごしているか。白瀬はなにも分かっていない。そりゃそうだ。根暗なオレと陽キャな白瀬は、全然違うから。そんなの分かりきってたことだけど、呑気なことを言う白瀬に心底腹が立つ。
「プロデュースなら、誰か他の人にしてやれば? 巻く練習いっぱいしてるんだし、女子の髪で実践するのがいいんじゃねえの?」
「それはそうかもだけど……俺は真宮と!」
「できるわけねえじゃん。オレ、こんなんだよ? 根暗でキモがられてて、誰もショーなんて場で見たくねえよ」
「真宮……」
自分で言っていて、情けなくなってきた。半端に巻かれた髪をくしゃっと握りこむ。放課後を白瀬とふたりで過ごして、休日に遊んで。勘違いなんてしていたつもりはないけど、ただ日々がちょっと明るくなっているのを感じていた。楽しかったんだ。でも、もう潮時なのかもしれない。
「白瀬、もう練習も今日で終わりにしよ」
「……は?」
「ショーでプロデュースする子に今後も頼んだらいいじゃん。男のオレの髪より、ちゃんとした練習になるに決まってる。ユキと会えなくなるのは寂しいけど……」
ベッドのほうを見ると、くつろぐユキが不思議そうにオレたちの顔を見比べていた。寂しいけど、お別れするのがきっといい。身分不相応な幸せだった。
「真宮、ほんと待って。俺はやめたくないよ」
「でも、もう決めたから」
「そんな……」
「じゃあな。ショー、頑張れよ」
リュックを引っ掴んで部屋を出て、階段を駆け下りる。玄関を出たら、二階の窓から白瀬が呼び止めてきた。反射的に足が止まって見上げれば、しょげた眉が見えた。
なんでそんな顔するんだよ。まるで別れ際のミーコみたいで、胸がぎゅっと苦しくなる。なんだよ、オレが悪いみたいじゃないか。そんなはずないのに。アイツがショーに出ようなんて言うからいけないのに。
持たなくていいはずの罪悪感が、じわじわと体中に広がっていくみたいで。オレはそれを振り払うように、走って立ち去った。
あんなことがあったのだから、白瀬との一時の関係は強制終了。そのはずだったのに。
もう一回話そう。ショーのこと諦めたくない。ねえ真宮。ねえってば。返事してよ。
そんなメッセージがこの一週間、何度も送られてきている。無視しているのに、だ。しつこすぎる。オレ、決別したつもりなんだけど。アイツ正気か? 白瀬を取り巻く女子たちは、白瀬のこんな一面を知っているのだろうか。いや、きっと知らないな。その証拠に、今日も白瀬を取り囲んでいる。知ってたらきっと、あんなにキャーキャー言わない気がする。顔がいいから、それすら許されるのかも知れないけど。
「ねえ白瀬くん、ファッションショー出ようよー。エントリー今日でしめ切りだよ? 私、プロデュースしたいな」
「私もやりたーい。白瀬くんなんでも似合いそうだし、めっちゃかっこよくしたい!」
昼休み。女子たちは、熱心に白瀬を誘い続けている。オレはそれに心の中で毎回共感する。ほんと、なんでも似合うだろうな。モードやトラッドスタイルもいいし、アメカジだって着こなせるはずだ。オレには関係ないけど。
「いやー、どうかな。俺じゃ無理だと思うよ」
白瀬は謙遜しているのか、曖昧に笑いながらそう答えた。俯いて、あ……ちょっとくちびるを噛んでいるのが見える。でも女子たちはそんな白瀬を見て、なぜかいっそう盛り上がる。
「そんなことないよ! 絶対平気! 優勝できる!」
「そうそう! ねえ、お願い!」
「…………」
あーあ、どうして白瀬のあの表情に気づかないのだろう。呆れた気持ちで窓の外へと視線を逃がす。すると、
「……白瀬くん?」
という女子の不思議そうな声が聞こえてきた。もう一度教室の中を見てみれば、白瀬がひとり立ち上がっていた。
「俺、ファッションショーには出るつもりはないよ」
その言葉に、頬杖をついていたオレの背が自ずと伸びた。白瀬のいつもとは違う雰囲気に、女子たちも顔を見合わせる。でも諦めもつかないらしい。
「……でも、もったいないと思うけどなー」
食い下がるひとりに、周りも同調していく。
「そう言ってもらえるのはありがたいけど……俺はそういうの、出たいと思わないんだ」
白瀬はきゅっとくちびるを噛んで、そっと頭を下げた。それから教室を見渡して、ほほ笑みを残して出ていった。
ここにいる全員が言葉を失っている。オレはと言えば、白瀬にちょっと腹が立っている。オレには現在進行系で、ショーに出ないかと誘うくせに。自分は頑として引き受けないなんて、勝手すぎないか? 自分はしたくないことをオレにさせようとしている、ということじゃないか。そこまで考えて、ふと思い出す。遊びに出かけた日の、帰り際の会話だ。
『素を出したら幻滅されるかもっていつの間にか怖くなって、褒められる通りに振る舞っちゃうんだよな』
思わず立ち上がったら、静まり返る教室に大きな音が響いてしまった。途端にクラス中の視線が刺さって、オレの体は跳ね上がる。でもそれよりも、アイツのことが気がかりで。居ても立ってもいられず、オレは教室を飛び出した。
白瀬が曲がったほうの廊下の先に、その姿をすぐに見つけることができた。
「っ、白瀬」
「……真宮」
「ちょっとこっち」
「え?」
白瀬の腕を引っ張って、人気のないほうへと向かう。どんどん進んでいると、屋上へと続く扉の前へと到着した。ここまで来たら、さすがに誰もいないみたいだ。
「いいのか、俺に話しかけて」
「え?」
「学校では話しかけんなって言ったの、真宮じゃん」
「ああ……うん。でもなんていうか、それどころじゃなかったから」
「それどころじゃないって?」
階段のいちばん下の段に腰を下ろして、白瀬が笑ってみせた。でもその笑顔はやっぱり弱々しい。
オレが今から言おうとしていることは、お節介だとか余計なお世話だとか、そういう類のものだろう。そんなことしたくなんかないけど、どうにも感化されてしまったみたいだ。目の前にいる、この男に。
「まず、ムカつくんだよ。オレにはゴリ押しでショーに出ようって言うくせに、自分だって断ってんの」
「……たしかに。勝手だよな」
「でも……すげーなって思った」
「……え?」
深呼吸をして、オレも階段に腰を下ろす。白瀬が座っているのと同じ段の、はじっこに。
「前、言ってたの思い出したから。幻滅されるのが怖くて、言われてる通りに振る舞っちゃう、ってヤツ」
「…………」
「だから、すげー勇気いったんだろうなって。オレの勝手な想像だけどさ。だから、だからオレ……」
「真宮?」
「出るよ、ファッションショー」
「っ、え?」
別に乗り気になったわけじゃない。今だってすごく怖い。でも白瀬の誘いを断ってからもずっと、頭の中から消えなかった。注目されることは心底嫌でも、オレの大好きな服のことだから。燻る想いが残ってしまっていた。それに焚きつけられてしまった。
「オレも、出そうかなって。その、勇気……」
「っ、マジで!? いいのか!?」
「……うん。言っとくけど、優勝とか絶対無理だぞ。白瀬の腕を持ってしても、なんせオレだからさ。服だって大好きだけどただの趣味でしかなくて、お前みたいに将来を見据えてるわけでもないし。それでもいい……かな」
「っ、いいに決まってる」
あ、白瀬の声が震えている。いつの間にか俯いていた顔を上げると、整った瞳に涙がなみなみと揺れていた。でもそれを落とすことなく、白瀬が拳を突き出してきた。
「じゃあ、よろしくお願いします……」
弱々しい声で応えながら拳をくっつける。すると白瀬が、
「こちらこそ! よろしくお願いします!」
と笑った。あ、これは心の底からの笑顔だ。なんだか妙にホッとしてしまって、オレはへなへなと脱力してしまった。うなだれれば白瀬が「どうした?」とオロオロし始めて、今度はそれがおかしくて。おれたち格好がつかないなと笑い合いながら、勢いって大事だからとそのままエントリーをしに向かった。
ばーか。
女子たちをどうにか抑えた白瀬と目が合って、口バクでそう言ってみた。すると白瀬がそっと舌を出してみせる。へえ、白瀬ってあんなふうにおどけたりするんだ。オレまでつい吹き出しそうになって、慌てて拳を口元に当てる。それを見た白瀬がまたおかしそうに笑う。こんな時間が別に嫌いじゃなかったりするけど、気が気じゃないからほどほどにしてほしい。
「ねえねえニュース! 文化祭でイベントやるって!」
昼休みの終わり際、ひとりの女子が興奮した様子で教室に駆けこんできた。たしか彼女は、文化祭の実行委員だ。
「イベントって?」
白瀬を囲む女子たちの輪に入った彼女は、少しもったいぶるように顎を上げた。
「ファッションショー! まあ実質、ミスコンとミスターコンだね。投票もあるみたいだし」
「マジ? そんなん前からあったっけ」
「今年からみたいだよ。目玉にするって委員長が張り切ってた。ショーに出る人とプロデュースする人でペア組んで、エントリーするんだって。個人の自由参加だけど、優勝した人にはクラス人数分のジュースが出るらしい」
「副賞はちょっとしょぼいね」
「まあ高校の文化祭だしね」
ひとしきり盛り上がった女子たちは、好奇心に満ちた目を白瀬へと向けた。
「ねえ、白瀬くん出てみない?」
「え、俺?」
「絶対に優勝できると思う」
「いやー……どうかな」
煮えきらない態度で、白瀬は苦笑いを浮かべている。すると、周りにいた陽キャの男子たちも食いついた。
「いいじゃん、白瀬出ろよ。俺絶対投票する」
「俺も俺も」
「私もー!」
同意の波が、クラス中に広がっていく。オレは全然興味ないけど、たしかに白瀬は優勝できると思う。この調子だと、もうほとんど決定事項だな。がんばれよー、と心の中でやる気のないエールを送りながら、オレはあくびをこぼした。
「…………」
「…………?」
今日も今日とて、放課後は白瀬の練習台だ。公園でミーコにごはんをあげて、遊んで。それから白瀬の家へとやってきた。先に帰っていた白瀬が出迎えてくれて、いつも通り部屋へと通されたのだけれど。白瀬はオレの髪をコテに巻きつけながら、黙りこくっている。いつもはなんだかんだで、ずっと話していたのに。
「あのさ、真宮」
「あ、喋った」
「え?」
「いや、今日は喋んないなあと思ってたから」
「そうだったんだ。考え事してた」
「そっか。で、なに?」
「真宮は聞いた? 文化祭でファッションショーやるって話」
「うん。聞いたっていうか、聞こえてた」
「そっか。あれさ、出てみたいなと思ってて」
なんだ、神妙な顔をしていたから、よほどの悩み事でもあるのかと思ったら。オレは練習の邪魔にならない程度に頷く。
「それも聞こえてた。オレも白瀬なら優勝できると思うよ」
「いや、そうじゃなくて」
「え?」
どういう意味だ? コテを置いた白瀬はオレの肩に手を置いて、鏡越しに目線を合わせるように腰をかがめた。
「俺はプロデュースをやりたい」
「あ、そっち? ショーに出るほうじゃなくて?」
「そう。真宮をプロデュースしたいんだけど、どうかな」
「………………は?」
なるほど、白瀬は美容師になりたいんだもんな。そっちはそっちで納得かも。そんな風に思えたのは、ほんの数秒になってしまった。
今、コイツはなんて言った? オレをプロデュース? 頭おかしくなったんじゃないのか。
「いやいや、なに言ってんだよ。オレが出るのはおかしいだろ」
「なんで? 真宮がリメイクした服を着て、俺はヘアセットをする。すごくいいと思う」
「っ、絶対無理! オレは目立ちたくないんだよ、前に言っただろ!」
「聞いたけど……真宮の服、本当にすごくいいから。それで……」
「もうやめろ!」
椅子から立ち上がったオレは、いつの間にか肩で息をしていた。ギリギリと噛むくちびるは、けれど痛みは感じない。多分、胸のほうがひどく軋んでいるからだ。
オレがどんな思いで学校の時間を過ごしているか。白瀬はなにも分かっていない。そりゃそうだ。根暗なオレと陽キャな白瀬は、全然違うから。そんなの分かりきってたことだけど、呑気なことを言う白瀬に心底腹が立つ。
「プロデュースなら、誰か他の人にしてやれば? 巻く練習いっぱいしてるんだし、女子の髪で実践するのがいいんじゃねえの?」
「それはそうかもだけど……俺は真宮と!」
「できるわけねえじゃん。オレ、こんなんだよ? 根暗でキモがられてて、誰もショーなんて場で見たくねえよ」
「真宮……」
自分で言っていて、情けなくなってきた。半端に巻かれた髪をくしゃっと握りこむ。放課後を白瀬とふたりで過ごして、休日に遊んで。勘違いなんてしていたつもりはないけど、ただ日々がちょっと明るくなっているのを感じていた。楽しかったんだ。でも、もう潮時なのかもしれない。
「白瀬、もう練習も今日で終わりにしよ」
「……は?」
「ショーでプロデュースする子に今後も頼んだらいいじゃん。男のオレの髪より、ちゃんとした練習になるに決まってる。ユキと会えなくなるのは寂しいけど……」
ベッドのほうを見ると、くつろぐユキが不思議そうにオレたちの顔を見比べていた。寂しいけど、お別れするのがきっといい。身分不相応な幸せだった。
「真宮、ほんと待って。俺はやめたくないよ」
「でも、もう決めたから」
「そんな……」
「じゃあな。ショー、頑張れよ」
リュックを引っ掴んで部屋を出て、階段を駆け下りる。玄関を出たら、二階の窓から白瀬が呼び止めてきた。反射的に足が止まって見上げれば、しょげた眉が見えた。
なんでそんな顔するんだよ。まるで別れ際のミーコみたいで、胸がぎゅっと苦しくなる。なんだよ、オレが悪いみたいじゃないか。そんなはずないのに。アイツがショーに出ようなんて言うからいけないのに。
持たなくていいはずの罪悪感が、じわじわと体中に広がっていくみたいで。オレはそれを振り払うように、走って立ち去った。
あんなことがあったのだから、白瀬との一時の関係は強制終了。そのはずだったのに。
もう一回話そう。ショーのこと諦めたくない。ねえ真宮。ねえってば。返事してよ。
そんなメッセージがこの一週間、何度も送られてきている。無視しているのに、だ。しつこすぎる。オレ、決別したつもりなんだけど。アイツ正気か? 白瀬を取り巻く女子たちは、白瀬のこんな一面を知っているのだろうか。いや、きっと知らないな。その証拠に、今日も白瀬を取り囲んでいる。知ってたらきっと、あんなにキャーキャー言わない気がする。顔がいいから、それすら許されるのかも知れないけど。
「ねえ白瀬くん、ファッションショー出ようよー。エントリー今日でしめ切りだよ? 私、プロデュースしたいな」
「私もやりたーい。白瀬くんなんでも似合いそうだし、めっちゃかっこよくしたい!」
昼休み。女子たちは、熱心に白瀬を誘い続けている。オレはそれに心の中で毎回共感する。ほんと、なんでも似合うだろうな。モードやトラッドスタイルもいいし、アメカジだって着こなせるはずだ。オレには関係ないけど。
「いやー、どうかな。俺じゃ無理だと思うよ」
白瀬は謙遜しているのか、曖昧に笑いながらそう答えた。俯いて、あ……ちょっとくちびるを噛んでいるのが見える。でも女子たちはそんな白瀬を見て、なぜかいっそう盛り上がる。
「そんなことないよ! 絶対平気! 優勝できる!」
「そうそう! ねえ、お願い!」
「…………」
あーあ、どうして白瀬のあの表情に気づかないのだろう。呆れた気持ちで窓の外へと視線を逃がす。すると、
「……白瀬くん?」
という女子の不思議そうな声が聞こえてきた。もう一度教室の中を見てみれば、白瀬がひとり立ち上がっていた。
「俺、ファッションショーには出るつもりはないよ」
その言葉に、頬杖をついていたオレの背が自ずと伸びた。白瀬のいつもとは違う雰囲気に、女子たちも顔を見合わせる。でも諦めもつかないらしい。
「……でも、もったいないと思うけどなー」
食い下がるひとりに、周りも同調していく。
「そう言ってもらえるのはありがたいけど……俺はそういうの、出たいと思わないんだ」
白瀬はきゅっとくちびるを噛んで、そっと頭を下げた。それから教室を見渡して、ほほ笑みを残して出ていった。
ここにいる全員が言葉を失っている。オレはと言えば、白瀬にちょっと腹が立っている。オレには現在進行系で、ショーに出ないかと誘うくせに。自分は頑として引き受けないなんて、勝手すぎないか? 自分はしたくないことをオレにさせようとしている、ということじゃないか。そこまで考えて、ふと思い出す。遊びに出かけた日の、帰り際の会話だ。
『素を出したら幻滅されるかもっていつの間にか怖くなって、褒められる通りに振る舞っちゃうんだよな』
思わず立ち上がったら、静まり返る教室に大きな音が響いてしまった。途端にクラス中の視線が刺さって、オレの体は跳ね上がる。でもそれよりも、アイツのことが気がかりで。居ても立ってもいられず、オレは教室を飛び出した。
白瀬が曲がったほうの廊下の先に、その姿をすぐに見つけることができた。
「っ、白瀬」
「……真宮」
「ちょっとこっち」
「え?」
白瀬の腕を引っ張って、人気のないほうへと向かう。どんどん進んでいると、屋上へと続く扉の前へと到着した。ここまで来たら、さすがに誰もいないみたいだ。
「いいのか、俺に話しかけて」
「え?」
「学校では話しかけんなって言ったの、真宮じゃん」
「ああ……うん。でもなんていうか、それどころじゃなかったから」
「それどころじゃないって?」
階段のいちばん下の段に腰を下ろして、白瀬が笑ってみせた。でもその笑顔はやっぱり弱々しい。
オレが今から言おうとしていることは、お節介だとか余計なお世話だとか、そういう類のものだろう。そんなことしたくなんかないけど、どうにも感化されてしまったみたいだ。目の前にいる、この男に。
「まず、ムカつくんだよ。オレにはゴリ押しでショーに出ようって言うくせに、自分だって断ってんの」
「……たしかに。勝手だよな」
「でも……すげーなって思った」
「……え?」
深呼吸をして、オレも階段に腰を下ろす。白瀬が座っているのと同じ段の、はじっこに。
「前、言ってたの思い出したから。幻滅されるのが怖くて、言われてる通りに振る舞っちゃう、ってヤツ」
「…………」
「だから、すげー勇気いったんだろうなって。オレの勝手な想像だけどさ。だから、だからオレ……」
「真宮?」
「出るよ、ファッションショー」
「っ、え?」
別に乗り気になったわけじゃない。今だってすごく怖い。でも白瀬の誘いを断ってからもずっと、頭の中から消えなかった。注目されることは心底嫌でも、オレの大好きな服のことだから。燻る想いが残ってしまっていた。それに焚きつけられてしまった。
「オレも、出そうかなって。その、勇気……」
「っ、マジで!? いいのか!?」
「……うん。言っとくけど、優勝とか絶対無理だぞ。白瀬の腕を持ってしても、なんせオレだからさ。服だって大好きだけどただの趣味でしかなくて、お前みたいに将来を見据えてるわけでもないし。それでもいい……かな」
「っ、いいに決まってる」
あ、白瀬の声が震えている。いつの間にか俯いていた顔を上げると、整った瞳に涙がなみなみと揺れていた。でもそれを落とすことなく、白瀬が拳を突き出してきた。
「じゃあ、よろしくお願いします……」
弱々しい声で応えながら拳をくっつける。すると白瀬が、
「こちらこそ! よろしくお願いします!」
と笑った。あ、これは心の底からの笑顔だ。なんだか妙にホッとしてしまって、オレはへなへなと脱力してしまった。うなだれれば白瀬が「どうした?」とオロオロし始めて、今度はそれがおかしくて。おれたち格好がつかないなと笑い合いながら、勢いって大事だからとそのままエントリーをしに向かった。



