放課後ギブアンドテイク

 今日は土曜だというのに、平日と同じくらいの時間に目が覚めてしまった。いや、本当はそれより早かったかも。緊張しているからだ、高校生になってからいちばんくらいに。
 その理由は、このクローゼットの中にある。昨日は了承してしまったけれど、やっぱり行きたくない。白瀬の、もっと言うと同じ年頃のヤツの反応が怖い。でもオレはもう、勉強を教わるという恩恵を受けてしまったから――腹をくくるしかない。

 白瀬家のチャイムを押したのは、約束の十時を十五分ほど過ぎた時間だった。気が重いけど、どうにかここまでやってきた。
「いらっしゃい真宮……って、え?」
「…………」
 ほら、やっぱり思った通りだ。オレを見る白瀬の目がまん丸になっている。
 オレの唯一と言っていい趣味は、服をリメイクすることだ。スウェットやシャツを切って縫い合わせて、ゆるいシルエットにするのが特に好き。
 オレの私服はほぼ、リメイクしたものしかない。だから外に出る時はそれを着るしかないわけで。制服で来ることも考えたけど、せっかくの休日にまで学生の象徴みたいな格好はしたくなかった。
「えーっと、やっぱ帰る。お目汚し失礼しました。勉強のお返しは他の方法でお願いします」
「っ、え!? なんで!? 待った待った、真宮!」
 ペコリと頭を下げたオレは、すぐに踵を返した。けれど白瀬の両手に左手が捕まってしまった。引き抜こうとしてもびくともしない。イケメンで勉強もできて、力もあって。なんだコイツ。神様のお気に入りか?
「……変だって思ってんだろ」
「変? なにが?」
「なにがって……この格好が」
 好きなものを恥じることなんて、本当はしたくない。でも、根暗でキモいオレなんかがこんな服を着ても、似合わないと思われる。そんなことは重々分かっている。だから私服を着る時は、万が一学校の知り合いと出くわしてもいいように、簡単に髪を結んで変装しているけれど。それだって美容師を目指す白瀬にしてみれば、へんてこりんに見えるんだろう。
「ごめん、全然意味が分かんない。すごくいいと思ったけど」
「いや嘘だろ」
「だからなんでだよ。なあ、もしかしてその服、真宮が作ったのか?」
「作ったっていうか、まあ……リメイクしたやつ。それしか持ってないんだよ」
「マジか。めっちゃいいと思う! 本気で。なんで真宮がそんな風に言うのか、全然分かんない」
「…………」
 白瀬の言葉が信じられなくて、オレはそろそろと振り返った。すると白瀬はまっすぐに、オレの目を見てきた。嘘をついているなんて思えない、強い光だ。
「とりあえず上がってよ。それでさ、真宮さえよければ今日は予定変更しない?」
「予定変更?」
「俺頑張るからさ。それ見た後に、どうするか真宮が決めてよ」
「……意味わかんない、怖ぇんだけど」
「いいからいいから」
 ニヤリと笑った白瀬にぐいぐいと背中を押され、家の中に入る。するとユキが出迎えてくれた。白瀬とオレと一緒に二階へ上がってきて、健気でかわいすぎる。
「はい、座って」
「はいはい」
 オレにはもう抵抗する気力はなくなっていて、白瀬にされるがままだ。いつも通り椅子に座れば、白瀬は道具を出し始める。ヘアアイロンにコテ、ヘアゴム。それから――
「ん? それってワックス?」
「そう。俺がたまに使ってるヤツ」
「それ使うんだ? 珍しいな」
 もう何度も白瀬の練習台になってきたけど、ワックスを使われたことはない。整髪料はなしで結んだり巻いたりして、水で戻すのがルーティンだったから。不思議に思っていると、オレの髪からヘアゴムを抜いて、ブラシをかけながら白瀬が言う。
「本当はさ、今日も巻き髪とかの練習をさせてもらうつもりだったよ。でもさ、気が変わった」
「え?」
「真宮の今の格好、最高だから。これに似合うメンズのヘアアレンジをさせてほしい」
「この服に似合う、メンズの……」
「どう? 嫌?」
「嫌ってことは全然ない、けど……」
「よかった。じゃあやってみるよ」
 もう慣れはしたけど、女子の髪型をしている自分を見るのはやっぱりキツいものがある。だからむしろ、メンズのヘアアレンジのほうが気楽に決まっている。それに、オレのリメイクした服に似合うものをと言われれば、興味が湧いてくる。頷けば白瀬はやけに上機嫌で、じゃあまずはとあたためられたヘアアイロンを手に取った。
「よし、完成。はい、鏡」
「……っ」
 十分ほど経っただろうか。渡された手鏡を覗いたオレは、思わず息を飲んだ。
 アイロンやコテを駆使する白瀬の目は、いつも以上に真剣だった。そうやって仕上げられた髪型は、素直にオレの好みだった。全体的にゆるく巻かれた髪はワックスで無造作にセットされていて、左側だけ編み込みが入っている。前髪はセンターパートで、顔がよく見えてしまうのは落ち着かないけど。リメイクしたこの服に、雰囲気がよくマッチしている。
「どう? あんまり好きじゃない?」
「そんなことない……オレ、これ好きだよ」
「マジ!?」
「うん……オレさ、服をリメイクして自分好みにするのがすごく楽しくて、好きで」
「うん」
 なんでだろう。リメイクするという趣味は自分だけが楽しめればそれでよくて、誰にも、特に学校の誰かには知られる必要もなかった。いや、知られたくなかったと言えるものだったのに。こんな風に仕上げてくれた白瀬には、ぽろぽろと零してしまうみたいに心の中を明かしてしまう。
「自分で作ったの、本当に全部好きなんだけど……オレが着てもなって思ってて。学校のヤツらに見られたくなくて、髪結んで変装したりして……そんな自分が本当は嫌だったんだ。自分の好きなもの、恥じてるみたいで」
「うん。分かるよ、そういう気持ち」
「でも……白瀬がセットしてくれて、その……オレが着てもいいんだって、やっとちゃんと思えた。気がする」
「そっか。はは、どうしよ、すげー嬉しい。なんか、ワクワクする」
「ワクワク?」
 鏡を下ろして、白瀬のほうを振り向く。すると白瀬は、照れくさそうな顔で笑っていた。
「うん。あっ、そうだ真宮! さっき予定変更って言った件だけど」
「そうだった。あれどういう意味?」
 ワクワクの正体は分からないままになってしまった。けれどその件はオレも気になっていた。
「今日は練習やめてさ、遊びに行かない?」
「え? 遊びに?」
「そう。その服着てる真宮見たら、そうしたいなと思って。ダメかな」
「いやでも、練習は? お礼しなきゃだし」
「出かけるのがお礼でいいよ」
「えー……それってお礼になる?」
「俺がそうしたいって思ったから、なるよ。じゃあ決まりな。俺も準備するから、ユキと遊んで待ってて」
「分かった……あ、でもごめん。外に出るなら、前髪もうちょっと前に垂らしてほしい」
「そう? 真宮がそう言うなら」
 せっかく白瀬がセットしてくれたけど、顔を出して外に出る勇気はオレにはなかった。快く白瀬が受け入れてくれて、ほっと胸をなでおろす。
 改めて、白瀬は張り切った様子で準備をはじめた。ちらっと見えたクローゼットは、プレッピー系からスポーツカジュアルなものまで幅広く揃っている。その中から白シャツに秋らしいブラウン系統のベスト、ゆるめのパンツをチョイスした白瀬は、髪をワックスで散らすように整えた。普段の白瀬とはちょっと違う装いだ。イケメンが、あっという間にもっとイケメンになってしまった。その様子を、オレはユキと一緒に眺めた。
「よし、オッケー。じゃあ行こっか」
「……おう」

 県内のいちばん賑やかな街で、ファーストフードのハンバーガーを食べた。ショッピングモールで服屋を見て回り、古着屋にも入った。ゲーセンでクレーンゲーム、涼しいけどまだいけるよなとアイスも食べた。そんな風に過ごしていたら、あっという間に夕方になってしまった。
「あー、久しぶりにこんな遊んだ! 楽しかったー」
 駅へと向かう道中、白瀬が夕空を仰ぎ伸びをするようにそう言った。
「真宮は? 楽しかった?」
 その問いに、オレの足は止まってしまった。
「真宮? どうした?」
「オレは……」
 同級生とこうして外で遊ぶなんて、オレにとっては初めてのようなものだ。小学生の頃、学校の帰り道に公園に寄ったのがきっと最後だから。
 オレにはないと思っていた。それでいいはずだった。それなのに……
 好きな服を着て、それをまっすぐに肯定してくれる白瀬と、普通の高校生みたいな遊び方をして。まるで青春だ、なんて思ったりして。そこまで考えて、途端に自分が恥ずかしくなった。けれどこの気持ちのほんの端っこくらいは、白瀬に渡したっていいのかもしれない。
「楽しかった。こういうの、オレにもあるんだなって。友だ……じゃなくて、同級生と遊ぶとかそういうの、ないと思ってたから」
「真宮……はは、そっか。よかった。なんかさ、自分で言うのもなんだけど……俺ってチヤホヤされてるじゃん? 学校で」
「そうだな」
 急にどうしたのだろう。少しさみしげに白瀬が笑う。
「でもさー……俺は別にそんなすごい人間じゃないのにって、たまに息苦しくなる。素を出したら幻滅されるかもっていつの間にか怖くなって、褒められる通りに振る舞っちゃうんだよな」
「……へえ。モテる男も辛いんだな?」
「はは、ピンときてない顔してる。でもさ、真宮といると、そういうのちょっと楽になる」
「え?」
「真宮はさ、俺のことあんまりよく思ってなかったろ?」
「う……はい」
 態度に出まくっている自覚はあったけど、言葉にされるとちょっと居た堪れない。それでも降参するように答えると、今度は花が開くみたいに、白瀬は鮮やかに笑った。
「それがいいなって。だから俺も素でいられるし、思い切って夢の話もできたんだと思う。真宮といると、すげー楽しい」
「白瀬……」
 まさか、そんな風に思ってくれているなんて考えもしなかった。胸の真ん中が、じんわりとあったかい心地がしてくる。それなのに――
「なあ真宮、またよかったら遊ぼ。俺たち、()()()なんだし」
 してやったり、というように白瀬がニヤリと口角を上げた。
「……なっ。白瀬〜!」
「ははっ!」
 あーあ、今オレちょっと感動してたのに。白瀬のヤツ、オレがさっき口を滑らせそうになってやめた言葉を、わざわざ拾いやがった。友だちだなんて間違えただけなのに――そのはずなのに。
「お前、やっぱ極悪人だな」
「自分でもそんな気がしてきた」
「ふ、ばーか」
 なんだかくすぐったい心地が満ちて、満更じゃない自分がいる。オレはそれをごまかすように、へなちょこなパンチを白瀬の腕にお見舞いした。