陽キャがあちこちで騒ぐ高校という魔窟で平穏に過ごす秘訣は、空気のようにできる限り存在を消すことだ。オレこと間宮(まみや)宙夢(ひろむ)は、その点において満点を取れていると自負している。

 もともとおとなしい性格で友だちもいないから、休み時間も基本的に自分の席から動かない。180センチに到達してしまいそうな、無駄に伸びてしまった身長はちょっとネックだけど、ひっそりと座っていれば誰も気には止めない。目にかかる前髪や首元まで伸びた後ろ髪は、顔を隠してくれるカーテンみたいで好都合だ。

 別に学校なんて楽しくなくて構わない。オレにだって趣味くらいはあるし、ひとりの時にそれを楽しめればそれでいい。宙夢だなんて壮大な名前をつけてくれた親たちには、ひとり息子がこんなんで申し訳ないなとちょっと思うけれど。


 二学期がはじまったばかりの、九月の教室。二年生になったからか、クラスメイトたちは昨年の今頃よりも騒がしい。ざわざわとうるさい音に溶けこませるようにため息をついて、オレはふと教室内に視線をめぐらせた。すると、とある男と目が合ってしまった。一瞬でも早く逸らしたいのをグッと堪えて、悪目立ちしないようにそっと視線を外す。

 白瀬(しらせ)(いずみ)。この学年で、いや下手したらこの学校一のモテ男だ。今も数人の女子に囲まれて、それが当然だと言わんばかりにほほ笑みをたたえている。オレのいちばん苦手なタイプ。

 白瀬と目が合うのは、実は度々あることだ。キモいクラスメイトをついつい見てしまう、といったところだろうか。絵に描いたようなイケメンで身長はオレよりも高く、女子だけではなく男子たちからの人望もあって。そうなると、オレみたいな存在が不思議でたまらないのだろう。あんな身なりでひとりぼっちで、なにが楽しくて生きているんだろう? みたいな?

 そこまで想像したところで腹が立ってきて、つい舌打ちをしてしまった。するとたまたま近くにいた女子が、ドン引きした顔でそそくさと逃げていく。それを見てまたため息が出た。

 このくらいの年代なんて、人を簡単に値踏みしてはぶったりする。そんなヤツらと関わるのは、こっちから願い下げだ。でもやっぱり、あからさまな態度を向けられるといい気はしない。だから最初から存在を消して過ごすのがベスト。それが中学時代を経てたどり着いた、オレの答えだ。


 放課後になり、どこで遊ぼうだとか部活がどうだとか、一日の中でいちばんうるさい教室からそそくさと抜け出す。部活にも委員会にも入ってないし、残っている理由はなにひとつない。

 学校を出て、駅の方面に歩きつつ途中にある公園へ入る。学校のヤツらが周りにいないことを確認して、奥にある木のそばにしゃがむ。猫の餌の缶詰めをリュックから取り出し蓋を開けると、どこからともなく野良猫がやってくる。

「ミーコ。お待たせ」

 現れたのは、一匹の三毛猫だ。“ミーコ”というのは、オレが勝手に呼んでいる名前。
 ミーコとは今年の春頃にここで出逢って、その時は今よりもちいさな仔猫だった。今はずいぶんと成長していて、きっとオレ以外からもこうやってごはんをもらっているのだろう。

 みゃうみゃうと声をもらしながら、がっつくミーコを眺める。猫は好きだ、すごく。趣味と言ったらちょっとおかしいかもしれないけど、嬉しいと感じられる数少ないことのひとつなのは間違いない。

「美味いか? ミーコ。はは、甘えてる」

 ごはんを食べ終えたミーコが、オレの足に体をすりつけてくる。ぐるぐると喉を鳴らしているのもたまらなくて、あごの下を撫でていると。突然、

「あ、猫。なにしてんのかと思ったら」

 と背後から声が聞こえてきた。突然のことに肩がビクッと震えて、靴底の下で砂が悲鳴をあげた。そんなオレに驚いたのか、ニャッと短く鳴いたミーコは草むらへと消えていってしまった。

 なんでコイツがこんなところに? 白瀬泉……学校の外で顔を合わせるだけでも最悪なのに。ミーコとの貴重な時間を邪魔されてしまった。

「真宮って猫好きなの?」

 白瀬を無視して、立ち上がる。話したくないという意思表示だ。それなのに白瀬は、そんなオレの態度を汲む様子もなく更に話しかけてくる。

「俺も猫好きなんだよ」

 知るかよそんなの。心底どうでもいい。

「ミーコって呼んでたけど、真宮がつけたのか?」

 うわ、最悪。名前を呼ぶとこまで聞かれてたとか。普段より高い声が出てただろうから、キモいと思われたに決まってる。いや、普段の声なんて知られてないだろうけど。

「なあって。真宮んちは猫飼ってる?」
「っ、だー! なんなんだよお前!」

 ずっと無視して、早足で公園の出口へと向かったのに。ついてくる白瀬はついにオレを追い越して、顔を覗きこんできた。立ち止まって応じる他なく、苛立ったオレは自分の髪をぐしゃっと握りこんだ。

「あ、やっと返事した」
「っ、するしかねえだろ。しつこいんだよ……」
「はは、ごめん。なあ、それで?」
「……それでって?」
「猫。飼ってんの?」
「……うちは親がアレルギーだから飼えない」
「あ、そうなんだ。真宮すげー好きそうなのに、それは残念だな」
「…………」

 コイツは一体なにを考えているのだろう。怖いくらい整った顔が真正面からオレを見ていて、すごく居心地が悪い。

 返事もしたし、もういいだろ。気を取り直して公園を出ようとしたら、

「なあ待って」

 と白瀬は更に食い下がってきた。

「っ、なんだよ!」
「そんな怒んなって。あのさ、実は俺、前から真宮にお願いしたいことがあってさ」

 なんだよオレにお願いしたいことって。ああ、あれか。パシリにしたいとか? オレにとっては苦手なヤツだけど、成績はいいみたいだし優等生だとばかり思っていたのに。

「はあ、そうなんですね。お断りします。それじゃあオレは帰るので」
「ちょっ! ちょっと待って!」
「オレ、パシリとかしたくないんで」
「はあ? そんなんじゃないから! なあ! 真宮にも悪い話じゃないと思うからちょっと聞いてって!」
「…………」
「猫! ふわふわの猫!」
「っ!?」

 公園を出て駅までの道を急ぐオレの足は、不覚にも“ふわふわの猫”というワードに止まってしまった。正直な体がすごく憎い。

「うち、猫飼ってるんだけどさ。めっちゃ人懐っこい子なんだ。俺の話聞いてくれたら、抱っこし放題。どう?」
「…………」

 そろそろと振り返ると、自信の現れみたいなセンターパートの前髪の下で、整った切れ長の瞳が必死な色でオレを見ていた。だけどコイツは極悪人だ。わけのわからない取引に、純粋無垢な猫を持ち出してくるなんて。オレは絶対に騙されない。

 そう、オレにできるのは断ることだけ。そう思っているのに。ふわふわの猫、抱っこし放題――そのあまりに魅力的なワードに、つい生唾を飲みこんでしまった瞬間。オレの右手首は白瀬にきゅっと握られてしまった。

「黙ってるってことはオッケーだよな。よかったー、助かる!」
「っ、は!? オレはそんなこと言ってない!」
「いいからいいから。目が言ってたし。ほら、俺んちこの近くだから」
「あ、おいちょっと! 引っ張んな!」

 このスタイル抜群の細い体のどこに、こんなパワーがあるんだろう。抵抗しようにもできない力で、情けなくもオレはずるずると引きずられている。こんなヤツの言うことなんか、絶対に聞きたくないのに。意外と頑固な様子は、これ以上抵抗しても無駄に終わりそうだ。

 適当に話を聞いて、すぐに帰ろう。駅へと続く道を通り過ぎた時に、オレは考えることを放棄した。