サークル合宿に飛び入り参加した謎の後輩に、なぜか執着されている


「伊織さん!」

3人と合流すると、蓮が駆け寄ってきた。
やっぱ犬みてぇ。

「電車、大丈夫だった?いなくなっちゃったから、すごく心配した」
「ガキじゃねぇんだし、心配いらねぇよ」

蓮が俺に手を伸ばしかけるけど、ハッとしたように動きを止め、そのまま戻した。
千冬とマキさんが歩き出したのに続いて、ぞろぞろと構内を進む。

「今から展望台で夕陽をみるんだって、楽しみだね!」
「そうだな」
「展望台は、俺の希望なんだよね〜」

一歩先を歩いていた圭太が、わざと歩調を緩めて、俺と蓮の横に並ぶ。

「圭太さんは行ったことある?」
「あるんだけど、今回はこれがやりたくて!」

圭太がスマホでこれからいく展望台の特設ページを開く。
展望台になっている高層ビルの最頂部を、命綱だけで歩くというアトラクションの紹介ページだ。

「蓮、これ一緒にやらない?2人分予約してたけど、酒入ってる人はできないらしいからマキさんと伊織はできないし、千冬にも断られたんだよねー」
「わー!やってみたい!」
「よし決まり!よかったー!せっかく予約できたのに、キャンセルは勿体無いもんな〜」

そう言って蓮の頭をポンポンと撫でる。

「あ、みんな!」

明るい声に振り向くと、先に到着していた明日香さんたちが待っていた。



全員が揃ったところで、入場手続きを済ませ、エレベーターで最上階まで一気に昇る。光の演出が展望台に向かう気持ちのワクワク感を高める。

「早ぇ!」
「エレベーターの中も綺麗〜」

到着の音と共に扉が開くと、一面ガラス張りの壁の向こうに、地上300メートルからの大阪の景色が広がった。
わあっと、歓声が上がる。

「綺麗!」
「これはすげぇな」
「空ちかーい!」
「明日香先輩、彩葉先輩、あっち行きましょうよ!」
「あ、暗くなる前に写真撮ろう」

人の少ない場所を狙って、集合写真を撮ると、夕陽が見える西側の窓へ移動する。
西側は手すりもなく、天井から床まで遮るもの無しに景色が見えた。

ちょうど日が沈む頃の外は、オレンジ色の太陽が、空と、大阪の街を夕焼け色に染めている。東から西へ、濃紺から橙に神秘的なグラデーションがかかり、ビル群も、陰影が夜と昼が同居する不思議な空間を作り出していた。
絶景だな。

「伊織さん、すっごいきれいだね」
「ああ」

俺の隣に来た蓮に声をかけられ、返事をしながら蓮を見る。
夕日を浴びる蓮の美しい横顔は、金色の髪がキラキラと輝き、肌も陶器のように優しく光る。俺に向けられた美しい瞳は、透き通ったガラス玉のように澄んで光を映していた。
…さすが、イケメン。
こんな絶景さえ味方につけるんだな。

「どうかした?」
「あ、いや。」

つい、見過ぎちまったみてぇ。
慌てて目を逸らすと、蓮が俺の頬にそっと手を添えて、また蓮の方を向かされる。

「オレンジ色の伊織さんも、すっごくきれいだね」

甘く細められる目。砂糖を溶かしたような微笑み。
触れている蓮の手の温度のせいか、頬が少し熱くなる。

「おい、からかうな」

無性に胸の奥がざわざわして、蓮の手を払いのける。
やっぱコイツは、俺のこと舐めてるな。
そうに違いねぇ。

すると、背後から圭太が蓮を呼んだ。
アトラクションの時間らしい。

「伊織さん、」
「圭太が呼んでるぞ、早く行けよ」
「……うん」

蓮の顔も見ずに、俺は蓮より先にその場から立ち去る。


怒ってるわけじゃねぇけど、

なんとなく、
むず痒い感じで、いたたまれなくなったから。

…それだけ。













ガラスの向こうの景色を見ながら、展望台内をゆっくり回っていくと、少しずつ胸のざわざわも落ち着いてくる。
きっと、こんな景色の中に来て、興奮してああなったんだ。そうに違いねぇ。

西側は人で賑わう中、東側は人もまばらで、静かで薄暗い空間が広がっていた。
そこに佇む、見慣れた背中。

「マキさん」
「ああ、伊織」

それ以上は特に何も言わずに、マキさんの隣に並ぶ。
たまにマキさんの部屋で二人で映画を観る時は、いつもこんな風にマキさんの隣に座るから、その時と同じ感じだ。
今日は立ったままだけどな。

マキさんからほのかに香るタバコの匂いが、不思議と心を落ち着けてくれる。

「マキさんは夕日、見なくていいんですか」
「んー」

東側の街並みの中には、電車の線路が何本も見える。俺たちが降りた天王寺駅に、束のように線路がまとまり、そこから、街の間を縫って、緩やかな曲線を描いて、それぞれの方向へ伸びていく。
都会だな。

「伊織はいいの?」
「もう、いいです」

今は静かで薄暗いこっちの方が心地いい。
マキさんがいつものように俺の顎下を撫でる。
それから、ゆるく微笑んで、また窓の外に視線を戻した。

マキさんの側では、不思議と時間がゆっくり流れる。
はぁ、落ち着く。

「何見てるんですか」
「電車、かな」

マキさんの呟きのような声を受けて、俺も地上を走る電車を、いくつか目で拾う。
すると、マキさんは俺の背後に回り、後ろから覆うように、俺の手を取った。
左手は、手すりを持つ俺の手の横に置かれて、右手はマキさんにゆっくりと持ち上げられる。

「見て」

柔らかな低音が、俺の視線を指先に誘導する。
俺の指は、マキさんにされるがまま、ガラスの向こうを指し示した。
そこには、電車はなくて、線路だけがある。

「こうやって、街中を抜けて…」

マキさんと辿る指先は、徐々に実際に敷かれているレールから大きく外れていく。

「山を越えて、」

指先がなぞっていく先には、もう何もない。

「…誰もいない場所に、向かってく」

耳元に響く、優しい掠れ声がくすぐったい。
マキさんに染みついた微かな煙たさが、俺の体にもじんわり移っていく。

「マキさん、くすぐったい、です」

小さく身じろぎしながら、訴える。
マキさんは、返事の代わりに俺の手を解放して頭を撫でた。

「伊織、」
「何ですか」
「俺と、どっかいかない?」
「え?」

ゆっくりと瞬きをするマキさんの横顔は、どこかアンニュイで、視線の先が何を見つめているか分からねぇ。

「どっか、って?」
「…」

いつもと同じ、全てを包み込むような優しい微笑みを、俺に向ける。
どこか危ない色気を纏う瞼が、俺を試すように伏せられる。

「誰も、知らない場所」

マキさんの目の奥に、深海に揺蕩う光のような、怪しい色が揺らめいた。
背中にゾクっと寒気が走った。

「…マキさん、映画の見過ぎですよ」
「フッ、そうかも」

そう言うと、マキさんは俺の腕に手を添えてそっと引き寄せた。

「伊織、プレゼントがあるんだけど、受け取ってくれる?」
「プレゼント?」
「二十歳のプレゼント。遅くなったけど」
「いや、そんな…、いいですよ」
「俺があげたいから」

そう言ったマキさんの手には、細身のシルバーのネックレス。
マキさんの腕が、俺の両耳の横をすり抜け、首の後ろに回る。
首にひやりとした感覚。

またもやされるがままでいると、ほとんどマキさんに抱きしめられるような格好で、マキさんの胸元に鼻先を埋められる。
マキさんの胸元の温もりと、タバコの匂いに混ざる、温かくも重みのあるウッド系の香りを感じる。

「マキ、さん…」
「…」
「マキさん…?」

そろそろつけ終わった頃かと思ったけど、なかなか解放されねぇ。
それどころか、マキさんが更に近づいて、肩に重みを感じる。頭も、なんか重い。マキさんの顔が当たっている気がする。
そんな手こずってんのか?

「あの、自分でやりますよ」
「んー、あと少し」

肩と頭の重みが消え、マキさんの指先が、ネックレスを整えるように、俺の首の裏から表へ、ゆっくり流れていった。

「っ、」

くすぐったさに小さく声が漏れる。
するとマキさんは手を止めて、頭に柔らかい何かが当たった。

「できた。似合ってるよ、伊織」
「…ありがとうございます。」

俺から離れたマキさんは、またいつものようにゆるく微笑む。

「俺、なんかお礼しねぇと…」
「要らないよ」

静かに首を傾げ、俺を見つめるマキさん。耳から落ちた髪が、マキさんの頬にかかる。

「もらってくれて、ありがとう」
「いえ…」

ガラスの向こうには、一足早く夜が訪れていた。
静かに、時間が流れていく。
マキさんの纏うタバコの香りが、重く腹に落ちた。