放課後、本当は生徒たちにメイド姿を披露する約束だったが、果たせなくなった。
というのも、あのあと服を汚してしまったから。
「悪ぃ。こんなことになっちまって…」
「え〜何こぼしたの〜?」
「これじゃあ着れないね〜」
「気にしないでください、先生。」
「大丈夫ッス!きっと今からでも胸筋は育つッスよ!」
「そんな話はしてねぇよ」
この汚れは、クリーニングに出さないととれねぇだろうなあ。
…にしても。
「これ、クリーニングに出したくねぇな…」
「「先生が新しく用意すれば〜?」」
「え?は、ちょ、」
みんなが作業に戻る中、俺の呟きを聞いた双子が、俺の両腕を持って廊下まで引っ張る。
なんだよ?
「正直、メイドとセーラーは飽和してるんだよね〜」
「他のクラスも考えること一緒だからさ〜」
「…なるほどな」
確かに。男の考えることなんて単純だ。
メイドやセーラーはみんな好きだし、男が着ればネタに全振りできるし、人気高そうだな。
「でもうちは、せっかく先生が出るんだから、もっとガチの、大人女子って感じがいいと思うんだよね〜」
「女子大生のデート服、みたいなの〜」
「……おう?」
女子大生のデート服?
彼女なんていたことない俺は、もちろんそんなもんは見たことがねぇ。
「「と、いうことで〜」」
息ぴったりに言うと、スマホをいじる双子。
「せんせー、土曜日空いてる?」
「空いてっけど…」
「じゃあ買い物行ってきて?」
「「うちの兄貴と!」」
「え?」
「兄貴も土曜は空いてるって言ってたから、伝えとくね〜」
「かわいい服、買ってきてね〜」
ケラケラ笑って教室に戻っていく二人。
……は? なんで千冬と??
「伊織先生」
廊下に置き去りにされた俺を、蓮の声が呼んだ。
振り返ると、蓮が教室のドアからひょこっと顔を出していた。
「こっちの作業、一緒にやろう?」
「…ああ、分かった」
「ありがとう」
ニコッと綺麗に微笑む蓮に、この前の倉庫横の景色を思い出して、一瞬、心臓が跳ねる。
…いや、今は、俺は教師なんだ。
変な緊張、するんじゃねぇ。
教室に入り、蓮の横の床に座る。
床には大きく繋げた段ボールが置かれている。教室の出入り口に貼るパネルだ。
武家屋敷の敷地を囲う塀を模したデザインで、すでに漆喰のような白色が上半分に塗られている。
あとは、墨色の色紙を貼った段ボールを細長い板状にカットして、下半分に一枚ずつ貼り付けていくらしい。
「下書きは、シュンとハルがしてくれた」
「へぇ。上手いな」
「うん。すごいよね」
自分が褒められたかのように、嬉しそうに微笑む蓮。
大丈夫、普通に話せる。
蓮から道具を受け取り、早速、二人で段ボールに色紙を貼っていく。
「最初は墨汁で塗るつもりだったんだけど、やってみたら、段ボールがくたくたになっちゃって」
「水っぽいもんな」
「みんなで予算みながら考えて、色紙を貼ることにした」
「へぇ?いい考えだな」
俺の相槌に、照れたように笑う横顔。
つられて俺の頬も緩む。
「俺、こうやってみんなで協力して何かするのって、初めてで…、」
「おう」
「自分ひとりでやろうとしてたら、声かけてくれて、もっとこうしようとか、これを試してみようとか、自分じゃ思いつかない考えもたくさん知って」
「うん」
「みんなでやるから、たまに意見が食い違ったり、話が脱線して戻って来れなくなったりもするけど、」
想像して少し笑うと、蓮もつられて笑う。
「でも、…全部、楽しい」
「フッ、良かったな」
「うん。伊織先生、ありがとう」
「俺じゃなくて、寛大なクラスメイトたちに言えよな」
「うん。俺、みんなともっと仲良くなりたい」
「いいじゃねぇか。高校時代の友達は一生モンって言うしな」
蓮の頭をクシャクシャと撫でる。
少しだけ頬を染めた蓮が、照れくさそうに目を細めた。
…人の成長を見れるのって、すげぇ嬉しいな。
一面に色紙を貼り終えて、次はカッターで一定のサイズに切っていく。
段ボールにカッターを当てながら、たわいもない会話が続く。
「先生は、一生の友達、いる?」
「んー、圭太か?気が合うから、何かと一緒にいること多いしな」
「圭太さん、俺も好き。今日も、廊下で会って、サークルの夏合宿に誘ってくれた」
「おう。ふざけた奴だけど、結構人のことちゃんと見てるし、励ましたり笑わせたりするのも上手いし。…これからも一緒にいたいって思える奴かな」
「…うん」
返事をする蓮の声が、弱まる。
どうかしたのかと蓮を見ると、蓮は静かにカッターの刃を仕舞った。
「……伊織先生は、圭太さんみたいな人が好き?」
「は?」
「俺も、伊織先生ともっと仲良くなりたいし、…好きになってもらいたい」
「す、…」
いきなり何言い出すんだと、戸惑う。
蓮が上半身を軽く傾け、俺の二の腕に蓮の肩が、トンと、ぶつかった。
「俺は先生が好きだよ」
「…っ、」
蓮の静かな低い声が、腕から身体に響く。
「先生に、俺を好きになってもらうには、どうしたらいい?」
顔を上げ、下から俺を覗き込む蓮。
瞬きで上下するまつ毛に押され、伸びた前髪が微かに揺れた。
「は、えっ…と…、」
「蓮〜!俺たちも手伝うぜっ!」
「これを切っていけばいいか?」
「あ、うん」
答えに詰まっていると、響輝と雄大の声がして、蓮がパッと離れる。
自分の呼吸が浅くなっていたことに気付く。
俺は静かに、ため息をついた。
「てかさー、俺マジでびっくりしたんだよ!蓮って、すっげぇイケメンだったんだな!」
「今までは、あまり顔を見ることがなかったもんな。」
「先生もそう思うッスよね!?蓮くらいのイケメンって、なかなかいないッスよね!?」
「お、おう」
段ボールのカットが終わり、一枚ずつ貼り付けている最中、響輝が次の話題を口にした。
「どうして急にイメチェンしたんだ?めっちゃ似合ってっけど!やっぱアレか?彼女か!?」
「ここまで見た目がいいと、どこ歩いても声かけられそうだもんな。」
目を輝かせて響輝が尋ね、雄大も口の端を上げて推測を口にする。
「彼女じゃないけど…。でも、好きな人に振り向いてもらうため、だよ」
「「「「「………」」」」」
「…っ、」
「「「「「好きな人!!?」」」」」
いつの間にか響輝の声に耳を傾けていた他のクラスメイトたちも、蓮の周りに寄ってくる。
「オイ!誰だよそれ!どこの子!?」
「早川!お前、なに抜けがけしようとしてんだよ!」
「なんのツテだ!?俺にも紹介しろ!」
「もしかして、この前の写真にいた大学生か!?」
この前の写真というのは、ユニバの集合写真のことだろう。
蓮はコクリと頷くと、群れの外にいる俺を見つめた。
「うん。あの写真の中にいた、いちばん、かわいい人」
目を細め、愛おしそうに言う。
お、俺…?
…の、こと、だよな…。
みるみる顔が熱くなり、俺は目を逸らした。
「〜っ先生!あの写真、もう一回見せてほしいッス!!」
「確か女子は3人くらい写ってたよな?」
「くっそー!」
今度は俺に群がる生徒たちを、適当にいなす。
「う、うるせぇ、騒ぐな。そろそろ完全下校の時間だろ、早く片付けろ」
「先生、ケチ!」
「蓮がモテるから嫉妬してるッスか!?」
「早川に先越されろ〜!」
文句を言いながらも、渋々片付け始める。
呼吸を整えて、俺も散らかった新聞紙や紙くずを拾う。すると、ちょうど手を伸ばしたゴミが、拾い上げられた。
「蓮、」
「先生、俺がやるよ」
そう言って、手に持っていたものも全て奪われる。
「ああ、ありがと…」
「俺、がんばるね」
「あ?」
「先生に、好きになってもらうために」
「え…、」
蓮が、俺の耳元に顔を寄せた。
「赤くなってた先生、かわいかった」
「なっ…!?」
綺麗な顔で、ニコッと笑うと、俺の横を抜けて立ち去る。
また熱くなる頬を隠すように、俺は教室を出た。
実習が終わるまで、あと1週間と少し。
そうしたら、この、蓮の、変に緊張させられる攻撃からも解放される。
早く、無事に終わってくれ。

