事件が起きたのは、木曜の朝だった。
いつも通り、ホームルームの時間に教室に入る。
すると、生徒たちの絶望の叫び声が、教室に響いた。
「雄大!」
「嘘だろ雄大!!」
「みんな…、すまない…。」
悲しみに暮れる男たちの中心にいるのは、腕をギプスで固めた雄大。
「メイドは…、ミスコンはどうすんだよ!」
「雄大よりあの服を着こなせる奴なんて、このクラスにいないんだぞ!」
「なのにっ…、そんな体になっちまってよぉ!」
…大袈裟過ぎねぇか?
「おい、ホームルームやるぞ、席つけ」
教壇に立つと、あの日以来また目が合うようになった…というか、ずっと見つめてくるようになった蓮が、1番後ろの席から満面の笑みを向ける。
なんのアピールか知らねぇが、教壇に立つ以上は気を引き締めて、なるべく蓮は気にしないようにする。
「先生っ!ホームルームの時間で、雄大の代わりに誰がミスコンに出るか、決めさせてください!」
「はぁ?」
響輝が机を叩きながら立ち上がった。
確かに、今日は、大した連絡事項はない。
教室の隅で見守っている根室先生に目配せすると、目尻を下げたまま頷いた。
根室先生がいいって言うなら…、仕方ねぇか。
「じゃあ10分で決めるぞ。立候補はいるか?推薦でもいい」
「「「「「………」」」」」
……なんで急に静かになるんだよ。
「正直、雄大以外なら、誰でも一緒だよな」
「インパクトに欠けるもんなあ」
「はぁ。惜しい奴をなくした…!」
死んでねぇから。
「いねぇのか?なら、じゃんけんな。全員立て。俺に勝ったやつから座ってけ」
誰がやっても同じと言うなら、決め方なんてどうでもいいだろう。
「じゃんけん、ぽん」
掛け声の後、3分の1程度の生徒が座る。
これは早く決まりそうだ。
「ズルはすんなよ。次。じゃんけん、ぽん」
また、3分の1程度が座る。
座って気楽になった奴らが、じゃんけんの掛け声を一緒に言いながら、誰が負け残るかと騒ぎ出す。
誰でも一緒といいつつ、楽しんでやがるな。
数回繰り返すと、雨宮双子と蓮、響輝が残る。
「じゃんけん、ぽん」
俺はグー。
双子と響輝もグー。
蓮はパー。
「あー、早川ダメかあ!」
「でも早川は、2組の執事喫茶から客(主に女子)を奪うために、呼び込み係やってもらわないとだから!」
「よく勝ってくれた!早川!」
知らねぇ間に、蓮は役割が与えられていたらしい。
ちゃんとクラスに馴染めてるみてぇだな。
「そろそろ最後にするぞ。じゃんけん、ぽん」
俺はパー。
双子と響輝は、チョキ。
「よっしゃーー!」
「「せんせー、よろしく〜」」
「は?」
「うわ!先生がやんの!?面白っ」
「頑張れー」
教室中が笑いと拍手に包まれる。
いやいや…、は?
「おい、俺じゃダメだろ。…ですよね、根室先生?」
「ほ、ほ、ほ。楽しみですね」
「根室先生!?」
唖然とする俺に、席を立ち上がった雄大が紙袋を渡す。
…なんだよ、コレ。
「伊織先生。俺の…、俺たちの[[rb:優勝 > 夢]]を…っ、頼みます!」
紙袋の中には、メイド服。
再び教室内は拍手に包まれる。
………本気か?
昼休みはいつも通り、実習生部屋で圭太と昼飯を食う。
「今朝、3組から拍手喝采が聞こえたけど、なんかあったの?」
「………」
今日も爽やかな顔でコンビニ弁当を食う圭太。同じくコンビニ弁当を食べる俺は、苦い顔で箸を止めた。
絶対に、バカにされる。茶化される。ネタにされる。
…俺は、誤魔化すことにした。
「……いや、何でもねぇよ」
「……」
圭太は大きな一口で米を食べると、俺の荷物の脇に置いてあった紙袋を見た。
中身は言わずもがな、メイド服だ。
今日の放課後、教室で披露するように双子から言われている。
いじめだ。
実習生いじめ。
「その袋が、どうかしたの?」
「は、はぁ!?」
「だって伊織、今その袋、すっごく睨んでたから」
無意識って怖ぇな。
なんとか上手く誤魔化せねぇかと、俺も弁当を一口、口に運んで僅かな時間稼ぎをする。
……ダメだ。なんも思いつかねぇ。
どうせそのうちバレることだと開き直り、俺は紙袋から、メイド服を取り出した。
「ミスコン、俺が出ることになって」
「ブッッ!」
「おい、汚ぇぞ」
「ゲホッ、ゲホゲホ、ご、ごめ…」
赤い顔で咽こみながら、メイド服と俺を交互に見る圭太。
笑えよ、くそっ。
「え?伊織が着るの?それを?」
お茶を飲んでやっと落ち着いた圭太が、机に置かれたメイド服を指しながら、改めて俺に尋ねる。
そうに決まってんだろ。
頷き返し、メイド服を机にほったらかしたまま、俺は弁当に戻る。
圭太は口元を隠すように頬杖をついて、じっとメイド服を見ている。もう片方の手に握られた箸は動く気配がない。
…こいつ、メイド服好きなのか…?
しばらくすると、食べかけの弁当に蓋をして、端に寄せる。
コイツが食べかけで終わるなんて、珍しい。
「着て、みないの?」
「…は?」
「それ。見た感じ、伊織にはちょっと大きそうじゃん」
「確かにな。もともと着る予定だった奴は、俺よりデカい奴だったからな。まあ、放課後にクラスで着て見せることになってっから」
「……」
圭太が黙り込む。
「着せてあげよっか。今」
「はぁ?」
残りわずかな俺の弁当に、圭太が勝手に蓋をする。
「いーからいーから。放課後だと手伝えないしさ〜」
「それ今着ることと関係ねぇだろ」
コイツ、絶対、俺を笑いたいだけだろ。
ニコリと笑った顔は、そんな意地悪さを感じさせないほど爽やかだけどよ。
「分かったから放せ。ったく、自分で着るわ。あと、俺が着たら、次お前だからな」
「あはは、いいね〜」
圭太の手からメイド服を奪い取り、席に戻るように言う。
はぁ。仕方ねぇ。
しゅるりとネクタイを外し、シャツを脱ぐ。ベルトを緩めるカチャカチャという音だけが狭い部屋に響く。
圭太は、また口元を手で隠したまま、じっと俺を見ている。
心なしか、目が据わってるような気もする。
「…おい」
「ん?」
パッと視線を上げ、首をかしげる圭太。
高校時代から一緒の圭太に、今更着替えを見られて恥ずかしいとは思わねぇけど。
「弁当、途中だろ?一人で着れるから、お前は食ってろよ」
「ん、ありがと」
圭太の目が細められる。
俺も早く終わらせて弁当の続きを食おう。
緩んだベルトごと、その場にスラックスを落とした。
すでに紙袋から出してあったのは、ワンピースになっている1番メインっぽい服。黒地の布に、ヒラヒラした白いエプロンが付いてるやつ。
紙袋には、なんだか細々、ヒラヒラしたものが、まだ残っている。
まあ、このワンピースみたいなのだけ着ればいいだろう。
背中のチャックを全開にして、足を通す。
うわ、スカート短けぇな、コレ。
背中に手を伸ばしてチャックを引き上げるが、肩甲骨辺りから届かねぇ。
…ま、いいだろう。ここまで着れば。
「ほら着たぞ、圭…わっ!」
チャックとの格闘に夢中になっていた俺は、すぐ背後に圭太が立っていたことに全く気付かなかった。
「ビビらせんなよ」
「…伊織、まだ着れてないよ?」
俺の文句は無視して、背中のチャックを引き上げる。
そのまま紙袋をひっくり返し、長くてペラペラの白ストッキングと、手首だけに巻くリボン付きの装飾、腰に後付けするデカめのリボン、それとカチューシャを、机の上に落とす。いずれもヒラヒラしている。
「脚、かして」
「は?いいだろ、そこまでしなくても」
「だーめ」
ストッキングを持った圭太が俺の足元に跪き、優しく片足をとる。
よろけた俺は、そのまま圭太の両肩に手をついた。
「伊織の脚って、綺麗だよね」
「はぁ?」
圭太みたいに長くもねぇし、特に筋肉がついてるわけでもねぇ。普通の脚だ。
「キツかったら言ってね」
そう言うと、履きやすいように小さく縮ませたストッキングを、つま先に入れ、くるぶし、ふくらはぎ、膝、腿まで引き上げていく。
「っ、ちょ、くすぐったい…、」
「……」
皮膚の色が透けるほど薄い生地は、圭太の指先の感覚をダイレクトに肌に伝える。
圭太がやけにゆっくり履かせるから、妙にくすぐったくて、反射的に脚が閉じる。
腿の半分までの長さしかないスカートの裾が、圭太の前髪を撫でて、圭太の動きが止まった。
……パンツ、見えちまいそう。
いや、別に見られても問題ないが…、なんだ?
スカートを履くと、ちょっと女子思考になるのか??
「…圭太?」
固まったままだった圭太は、ふぅ、と息を漏らした。
疲れたのか?
「…反対側も、履くよ」
「おう」
楽だな。コレ。
圭太は疲れるのかも知れねぇが、正直、超楽だ。
同じように反対側の足も圭太に優しく触れられる。
ほぼ一日中、立ちっぱなしだった足が、労られる気分。
…シンデレラって、こんな気持ちだったのかも知れねぇな。
「…っ、…」
「………」
ちょっと、くすぐってぇけど。
脚に力が入りそうになるのを堪えながら、圭太の頭を見る。
艶のある、綺麗な黒髪。
育ちがいいのか、食ってるもんがいいのか、両方なのか、本当に綺麗だ。
特に断りもせず、圭太の髪に触れ、手櫛するようにして、指の間を抜ける黒髪の触り心地を確かめる。
「…気持ち、いいな」
「……、」
「ひっ…!?お、おい、圭太…!」
ストッキングを引き上げる感覚と一緒に、腿に何か生温い感触がした気がして、圭太を呼ぶ。
俺に髪を掴まれ、少し髪が乱れた圭太が、ゆっくり俺を見上げた。
「今、なんかしたか?」
「……ううん?」
「そ、そうか…」
「…うん。はい、両方履けたよ」
「おう、さんきゅ」
気のせいか。
なんか恥ずかしいな…。
「あと、これを頭につけて、」
抵抗する間もなく、白いヒラヒラがついたカチューシャを頭に嵌められる。
「あとこれと、これ。後ろ向いて?」
くるりと体を180度回転させられ、腰のリボンがつけられる。
「手も」
「ん」
言われたまま手を後ろに回す。
手首にヒラヒラしたものが巻かれる感覚。
「うっ、…何…?」
「できたよ。こっち向いて、伊織」
「…おい、なんかおかしいぞ、圭太」
「そう?」
「ひっかかってんのか?」
急に両手首を強めに引かれて、声が出る。
圭太はできたと言うが、後ろに回した両手が、くっついていて、離れない。
圭太に確認してもらおうとするも、また体をくるりと回転させられ、圭太と向き合う。
「圭…」
「かわいいね、伊織」
整った顔を幸せそうに緩ませ、俺の頬を優しく撫でる。
もっと笑われてバカにされるかと思っていたのに、意外だ。
…こいつ、やっぱメイド服好きなんだな。
「なぁ、圭太、手がひっかかってんだよ。見てくれねぇか?」
「うん」
「っ、!?」
腰を抱き持ち上げ、ひょいと机の上に座らされる。
視点が高くなって、いつもは見上げる高さの圭太と目が合う。
ていうか、背中に回った手を見て欲しいのに、向き合ったままじゃねぇか。
しかし圭太はそのまま机に手をつくと、もう片方の手で俺の胸に指先を置いた。
「ここ、開いてるんだね」
「ちょっ…、ぅ、」
胸元の、ハート型にくり抜かれた部分を、圭太の指がゆっくりなぞる。
手も拘束されて、足も床に着いていない。踏ん張って耐えることができなくて、ちょっとした刺激も、すごく、くすぐったい。
「け、けぇた…、やめっ…」
「……」
圭太の整った顔が目の前に迫り、俺の顎下を、指で持ち上げる。
「こんな格好、子供たちに見せる気だったの?」
「…っ、し、仕方ねぇだろ…、」
「伊織先生、へんたーい」
「………」
──ガブッ!
「ッッ痛っったああああ!」
「圭太!ふざけるのも大概にしろ」
「ご、ごめんてー」
圭太の指に、思い切り噛みついてやった。
くそ、散々遊びやがって。
「もういいだろ。手がなんか引っかかってんだよ。早く手伝え」
「…ハイ」
「次はお前の番だからな、とっとと脱げ」
「………ハイ」
噛まれた指を握りながら、床に転がった圭太を半笑いで見下ろす。
ざまあみやがれ。

