「あ!伊織先生じゃないッスか!」
放課後の教室。腕にガムテープをブレスレットのようにくくりつけた響輝が、元気よく叫んだ。
教室の隅にいた目立つ金髪は、一瞬俺を見るも、すぐに顔を逸らした。
まあ気まずい、よな。
本当は俺も、教案作成やレポート作成に時間を充ててぇところだが、根室先生に「ちゃんと授業を受けてもらうには、生徒達の信頼が大事ですからね」と言われてしまったから、今日はクラスの手伝いを優先することにした。
「お疲れ。俺も手伝いするわ」
「マジッスか!?めっちゃ助かるッス!」
「「伊織せんせーやっほ~」」
3組の文化祭の出し物はお化け屋敷。「呪われた武家屋敷」というテーマで、和風のお化け屋敷を作ると聞いている。
教室を見回すと、障子や仏壇、井戸、最後に参加者に札を貼ってもらう刀などなど、どれも気合を入れて作っている。
「これ全部作ったのか、すげぇな」
「でしょ~?」
「せんせー、こっちも見て~!」
教室の隅には新撰組の和装、洋装両方の衣装と、男物の着物がそれぞれ何着かかけられていた。
いずれも血糊や黒い汚れなんかが付けられていて、ホラー映画好きの血が騒ぎそうになる。
「面白ぇな。千冬も喜びそうだよな」
そう雨宮兄弟に言うと、同じ顔の二人が同時に首を傾げた。
「「なんで兄貴が~?」」
「だって千冬、ホラー映画好きだろ?サークルメンバーの中で俺とホラー観てくれんの、千冬だけだからな」
「「………」」
顔を見合わせる二人。
雨宮家の血なのか、この双子も整った顔をしている。
もう一人の弟はしらねぇけど、美形家族だな。
「兄貴、もしかして…?」
「サークル行く日は張り切ってオシャレしてるのって…?」
コソコソ2人で話して、ニヤッと笑い合う。
なんだこいつら?
「お!雄大ーー!!」
「雄大ー!かわいーー!!」
双子と話していると、教室の入り口付近で、の太い歓声が上がる。
振り向くと、そこにいたのは、パツパツのメイド服を着た、ムキムキの雄大の姿。
…は?
いじめか?
「あの格好は…、」
「あ~、女装ミスコンがあるの~」
「うちのクラスは雄大が出る予定だから~」
「伊織先生っ、雄大のメイド、完璧じゃないッスか!?」
「え…知らねぇけど」
完璧…?
俺の呟きに、双子と響輝が続き、そして他のクラスメイトも次々と語り出す。
「ふんっ、知ってますか、伊織先生…」
「男子校に絶対に無いのに、誰もが求めているもの…」
「そう、それこそが…」
「「「「「おっぱい!!!」」」」」
「……お、おう…」
すげぇ声量。
聞いてるこっちが恥ずかしいわ。
「なんと雄大には」
「雄っぱいがある!!」
そう言って響輝が雄大の胸元を指差す。
ハート型に開いた胸元は、逞しい胸筋が見えている。
雄大も得意げに胸筋をアピールする。
「みんな、ありがとう。」
「雄大すげーよ!これならミスコン、優勝できるかもしれないよな!」
「うん。絶対に優勝しよう!」
「「「「「オー!!」」」」」
男子高校生ってこんなにアホだったか?
俺は、思わず遠くを見てしまう。
………無理だろ。
作業に加わってから2時間ほど。そろそろ外は日が沈み始めている。
今朝のホームルームでは目が合わなかった蓮だが、この作業時間で気付いたことがある。
結構、見てる。
蓮の方を振り向くと、蓮は全く違う方向を見ているけど、体を戻すとすげぇ視線を感じる。
それに時折、「早川、伊織先生に何か用なのか?」と蓮に尋ねる声も聞こえる。
なんだよ。
言いたいことがあるなら言えよ。
「段ボール足りないなー」
「伊織先生、段ボール持ってきてもらえますか?」
「おう」
近くで作業をしていた生徒に依頼され、返事をするが、そういえば段ボールがある場所を知らねぇ。
「悪ぃ、段ボールってどこにあんだ?」
「あ、そっか、先生知らないか」
「じゃあ早川、一緒に行ってきて教えてあげてよ」
「え、」
蓮が弾かれたように立ち上がり、今日初めて、蓮と目が合う。
ちょうどいい。
蓮も何か言いたそうだしな。
「蓮、頼めるか?」
「!うん…、あ、はい…。」
パッと顔を輝かせたと思ったら、すぐに目を逸らす。
「えっと、…あっち、です…」
俯いたまま教室を出る蓮の後に続く。
どのクラスも準備に勤しんでいて、廊下を歩くと、各教室から楽しそうな声が聞こえてくる。
「蓮、文化祭準備、ちゃんと参加してたんだな」
黙ったままの背中に、俺から声をかける。
蓮はチラッと俺を振り返り、また前を向く。
「今日、初めて参加した」
「へぇ…。は?初めて?」
「…」
蓮が立ち止まった。
「伊織さ…先生が、クラスメイトと仲良くして欲しそうだった、から」
「…」
「上手くできてないかもだけど、それで、伊織先生に認めてもらえるなら、頑張りたいと思って…」
そこまで言うと、また歩き出す。
…珍しく会話が成立してやがる。
まぁ、クラスメイトと仲良くしようとしてるところも含めて、嬉しい成長ではあるよな。
俺に認めてもらう、ってところはひっかかるが。
教室が並ぶ廊下を抜け、階段を降りる。
一年の教室が並ぶ1階。クラスごとの出し物が無い一年生は、どのクラスも既に空だ。
廊下には、俺たちの足音だけが響く。
「…」
「…」
結構視線を感じたから、何か言いたいのかと思ってたけど、蓮は黙ったまま。
俺の勘違いだったか。
「外、出るから、靴…」
「おう」
校舎裏につながる職員用玄関から外へ出る。
西陽に照らされたオレンジ色の世界が、蓮の金髪を輝かせる。
昨日、俺に釣り合うため見た目を変えたと言っていた蓮。
あの金髪も、俺に会うために染めたってこと、だよな…。
「あそこ」
「ん」
蓮が控えめに振り向き、倉庫横を指差す。
フェンスの前のコンテナに、たくさんの段ボールがクラスごとに括られ、置かれていた。
「すげぇな。俺が高校生の時は、近所のスーパーなんかにかき集めに行ったけどな」
「先生が、高校生の、とき…」
「もう3、4年も前だけどな」
「…」
コンテナの中を覗き込んで2年3組の束を探そうとすると、急に蓮が無言で距離を詰めてきて、思わず後退りする。
「な、何だよ」
よろける俺の背中に、フェンスが当たる。
これ以上は退がれない。
──ギシリ。
蓮が、俺の顔の横で、フェンスに手をかけた。
背中のフェンスに、振動が伝わる。
「先生が、俺の『好き』を認めてくれないのって…、俺が、高校生だから?」
「……まぁ…、それも、あるけど…」
「4年の差って、そんなに大きい、…かな」
「え?」
蓮の顔は、伏せられたまま。
透けるように輝く金色の髪の下で、まつ毛が震えている。
「先生、昨日、『よく知らない人を好きになるのはおかしい』って…、言ったよね」
「…言ったな」
「それなら、これから知っていって、それでも好きなら…」
蓮が顔を上げる。
西陽に染まる綺麗な顔。
大阪の展望台で見た、蓮の横顔を思い出す。
「それでも好きなら、俺の『好き』は本物だって、信じてくれる…?」
「…、」
ゴクリと、喉が鳴る。
蓮の切なげな瞳と声に、心臓が跳ねた。
「ちゃんと、先生って呼ぶし、抱きつくのも我慢する。クラスメイトとも、仲良くするし、いろんな人とたくさん関わるようにする」
蓮の握るフェンスが、ギッと音を立てる。
「先生に言われたことは、全部やる」
綺麗な顔が、鼻先が触れそうなほど近付く。
「そしたら、先生も…、俺を、認めてくれる?」
キス、できそうな距離。
掠れた声。
俺の心の奥まで覗き込むような、美しい瞳。
「…わかっ、た…」
口が、勝手に答えていた。
蓮は下唇を噛んで、照れ臭そうに笑った。
「ありがとう、先生。大好き!」
「…っ、」
心臓が、また跳ねる。
了承したのは、失言、だったか…?
自分の言葉に対する迷いか、それとも目の前の蓮の笑顔のせいか。
なんだか、胸の奥が、ぎゅっとした。

