翌日。根室先生にホームルームを任された俺は、少し早めに教室に入る。
生徒達に挨拶をしていると、蓮が登校してくる。今日は時間通りに来ている。昨日少し話したクラスメイト達が、蓮に声を掛けると、かなり不慣れそうながらも、ちゃんと応えている。
やればできんじゃねぇか。
…ただ、俺とは目が合わねぇけど。
ホームルームが終わると、職員室で根室先生と打ち合わせをした後、実習生部屋に戻る。
先に戻っていた圭太がヘラッと笑って手を挙げた。
「初ホームルームどうだった?」
「連続で3回も噛んだ、最悪」
「あはは!途中で3組から爆笑聞こえたのそれ?」
「多分そう」
圭太の向かいに腰掛け、今日も爽やかな笑顔をみる。それだけで、心がホッとした。
圭太は部活動指導にも参加することにしたらしく、今朝もバスケ部に顔を出すため、俺より先に学校に着いていた。
慣れない実習と、蓮の一件。
こうやって圭太といつも通り話せるだけで、気が楽になる。
圭太と一緒に来れて、良かった。
「で?蓮と話した?」
「っ、…ああ」
蓮の話題が出て、体が小さく跳ねた。
昨日の蓮がフラッシュバックする。
切なさを孕んだ蓮の声が、耳に蘇った。
──俺を、伊織さんの恋人にして?
「…、」
「伊織?」
黙ってしまった俺を圭太が心配して呼ぶ。でもその声は聞こえない。
俺の意識は、昨日の記憶に集中していた。
蓮に触れられていた腰が、蓮の手の温度を覚えている。
あの時は動揺して、頭の中はちょっとパニック状態だったけど、今思い返すと…なんか…、
……なんか…、変な感じだ。
鼓動が早くなって、顔が熱くなる。
無意識に、自分の胸を抑えた。
「伊織〜?」
「うわっ、」
向かいに座っていたはずの圭太が、俺のすぐ近くに立ち、机に手をついたまま俺の顔を覗き込んでいた。
「どうした?体調悪い?」
形の良い眉を下げ、心配そうに俺を見る圭太。
いつも緩く着こなしているシャツも、今はネクタイを巻き、きっちり着ていて、頼れる社会人そのもの。
同じようにスーツを着ているのに、なぜか学生っぽさが抜けない俺とは大違いだ。
「…、いや…。なんでもねぇ」
「…」
そう言って、圭太から視線を逸らす。
昨日のことは、誰にも言わずにおこう。
圭太は信頼できる奴だが、これは蓮のプライドにも関わることだしな。
今は勘違いしてる蓮も、勘違いに気づいた時は、昨日のことを後悔するかも知れねぇ。
誰にも言わず、俺も忘れてやろう。
それが1番いい。
「ねぇ、」
少し乱暴に、グイッと顎を持ち上げられる。
「蓮に、何かされた?」
静かで、低い声。
いつも通り整った顔には違いないが、表情はどこか冷ややか。俺を見つめる瞳の奥には、深い闇が見えた気がした。
「…別に。何もねぇよ」
動揺を悟られる前に、圭太の手を引き離し、立ち上がる。
しかし今度はその手首を掴み返される。
「嘘。俺に通用すると思ってるの?」
「痛っ、」
狭い室内で、俺は簡単に壁に追い込まれる。
掴まれた手首は頭の横に押し付けられ、握る力の強さに痛みが走る。
至近距離で俺を見下ろす圭太の顔は、見たことのない表情。
怒っているような、泣き出しそうな。
「…どうしたんだよ、圭太」
「…」
いつもヘラヘラしている圭太らしくねぇ。
こんな強引な態度も、初めて目の当たりにする。
不可解な圭太の言動に、ストレートに疑問をぶつけた。
まあ、昨日も夜遅くまで学校にいて、今朝も早くから部活指導に来てる圭太だ。
余裕そうな笑顔を振りまいてるけど、結構疲れてんのかもしれねぇな…。
「圭太。昨日、蓮と話して分かったんだよ。アイツ、やっぱ知り合いだった」
「…」
「2年前の塾バイトのとき、晩飯奢ってやった塾生だった。」
圭太が聞きたがっている、蓮についての話をすると、圭太はそのまま静かに話を聞き始めた。
「あの時は、蓮も大変な時だったらしくてさ。…俺が晩飯奢ってやって、大学は楽しいって話をしたらそれを覚えてて」
「……」
「だから大学生だって嘘ついて、合宿まで来たらしい」
かなりかいつまんで話したけど、嘘は言ってねぇ。
「……それだけ?」
「それだけ」
少し沈黙した後、圭太は小さく息をつくと、俺の手を解放して、一歩引き下がる。
「…ごめん、痛くして」
「いいけどよ」
正直、まだちょっと痛ぇけどな。
「圭太、お前疲れてんじゃねぇか?」
「…そうかも」
「無理すんなよ?」
俯いた圭太を、今度は俺から覗き込む。
「俺はお前と実習来れて、すげぇ心強い。だから、お前がいなくなると、困んだよ」
いつも圭太がするみたいに、俺もヘラッと笑ってみる。
圭太は少し目を見開いてから、少し頬を赤くして、視線を逸らした。
「…うん」
小さく答えた圭太は、いつものように俺の肩に腕をかけると、意地悪そうな笑顔を見せた。
「だよね〜、伊織は、俺がいないと寂しくて泣いちゃうもんね〜?」
「そこまで言ってねぇだろ」
重てぇよ、と腕を払い落とすと、圭太は声を上げて笑った。
まったく、世話の焼ける奴。
そう思いながらも、俺も口元を緩めた。

