サークル合宿に飛び入り参加した謎の後輩に、なぜか執着されている


授業見学をして、実習生用に当てがわれた小さな部屋でレポートの作成をする。先生達に授業見学のお願いに行って、合間の時間は「教案」という自分の授業の細かな計画書を作成する。放課後は1日の反省会と模擬授業の練習、学級日誌のコメントも書く。

「疲れた…」

文化祭の準備を手伝うよう言われていたけど、全てを終えてクラスを覗くと、すでに誰もいなかった。
部活もない日だから、生徒は全員帰っているようで、学校全体がひっそりしている。

実習生も早く帰るよう言われ、俺は帰り支度をして、職員室へ挨拶へ向かう。
同じ実習生のはずなのに、圭太は既に戦力として認められたのか、仕事の手伝いをお願いされていた。

「伊織、先帰ってて」
「ん。じゃあまた明日な」
「うん。また明日」

圭太は、1日の疲れなんて微塵も感じさせないほど、爽やかに微笑む。
…顔か?
圭太は確かに優秀だけど、この顔が、更に好感度と信頼度を高めている気がする。

天は二物を与えないなんて、嘘だな。












校舎を出ると、既に日は沈んでいて、辺りは薄暗かった。
眠ぃ。
この学校から大学近くの自分のアパートまで、バスと電車を利用して1時間ほどかかることを思うと、明日からの実習生活に少し気が滅入る。

「え、」

裏門を出て、人影に気付く。
ポケットに手を突っ込み、壁に寄りかかって遠くを見つめる、綺麗すぎる横顔。柔らかく光る金髪。
蓮だ。
薄く透ける金色の前髪の下の、長いまつ毛や陶器のような肌は、儚ささえ秘めている。

「何してんだ?こんな時間に」
「伊織さん!」

声をかけると振り向き、途端に破顔して俺に駆け寄る。そこには先ほどまでの儚さはなく、人懐っこい犬そのもの。

「帰らねぇのか?」
「伊織さん待ってた」
「はぁ?」

待ってたって…。
下校時間から3時間は経ってんぞ。

「何か大事な用か?」
「うん!一緒に帰りたくて!」
「…」

マジで言ってんのか?
頭に浮かぶのは、忠犬ハチ公。

「お前なぁ、親が心配すんぞ。スマホ、壊れてて、連絡できねぇんだろ?」
「…うん。合宿行った帰りに、落として壊しちゃった」
「そうなのか?」

さっき教室でスマホが壊れているとクラスメイトに言っていたのを思い出す。
なるほどな。合宿帰りに壊して、だから合宿後に連絡が取れなくなったのか。
…でも、あれからもう1ヶ月だ。修理に出して、もう戻ってるはずだろ。

「壊しちゃったけど、貯めてたお金も無くなっちゃって、だからまだ修理に出せてない」
「金か。それにしても不便だろ。親に相談してみろよ」
「…。」

口をキュッと結んで黙り込む。
なんだ?地雷踏んだか?

「…あんまり、話さないから」
「…そうか」

表情が抜け落ちたような暗い顔。
これ以上踏み込まない方がいいかも知れねぇ。
適当に話題を変える。

「蓮は家どこなんだ?」
桜白(おうしろ)だよ」
「え、」

思わず、蓮の顔を見る。
桜白市は、俺の地元でもある。
でも、ここからは電車で1時間の距離だ。

「遠くねぇか?」
「遠いからここにした」
「あー…。そうか」

話題を変えたつもりだったのに、また戻ってしまう。
これは俺が悪いな。すまん。

「じゃあ駅までバスか?」
「ううん、歩き」
「…」

俺は今朝、圭太とバスで来たけどな。
今は、蓮に合わせて、俺も駅まで歩くか。

学校から駅までの道は、車も滅多に通らないような田舎道。
登下校の時間は藤高の生徒がわんさか通る道だが、下校時間をすっかり過ぎた今は、ぽつんぽつんと点在する街灯の明かりと、初夏の虫の声が聞こえるだけの、静かな道だ。

「そういえば蓮、お前なんで大学生なんて嘘ついてたんだ?」
「…ごめんなさい」
「誰も責めてねぇよ。昼に圭太とも話したけど、純粋に不思議がってた」
「…」

蓮は少しの沈黙の後、口を開いた。

「高校生だと、相手にしてもらえないから」
「え?」
「俺、去年のオープンキャンパスの時も、伊織さんに会いたくて大学に行った」
「へぇ?」

俺に会いたい、のとこは意味不明だが、そのまま続きを促す。

「でも、伊織さんが何学部か聞いてなかったから、どこにいるか分からなかったし、」
「…」
「部活紹介のチラシにも伊織さんが言ってた映画サークルはなかったし、」
「え…?」
「頑張って大学生の人に話しかけても避けられるし、」
「……ちょ、ちょっと待て」
「?」
「俺が言ってた、って何?」
「伊織さん、映画サークル楽しいって言ってた」
「…」

……怖ぇんだけど。
今までの蓮の「前から知ってる」的な発言は、全て蓮の勘違いだと思って流していたけど、今回ばかりは薄気味悪ぃ。
俺の入ってる映画同好会は、蓮の言うとおり全く宣伝なんてしてねぇ。
入部する奴がいなくなれば、すぐ消えるような、知る人ぞ知るサークルだ。
もはや、サークルというより、ただの集まりでしかねぇからな。

「なぁ、お前、いつ俺と会ったんだ?」
「…」

これ以上、この問題を放っておくわけにはいかない気がして、蓮に尋ねる。
蓮は、俺の顔を覗き込むように小首をかしげる。金色の前髪が、サラリと揺れた。

「…2年前、だよ」
「2年前?」
「伊織さん、ドリア奢ってくれた」
「ドリア?」
「…」
「…え、まさか」

蘇る、2年前の記憶。

蒸し暑い、夏の夜。
帰省中に短期で勤めた、塾バイトの最終日。

自習室を閉める時間になっても、帰ろうとしない、ボサボサ頭の中学生。
ろくに口も利かず、でも家に帰る様子もない。放っておくわけにもいかなくて、仕方なく、近くのファミレスで晩飯を奢ってやった。


──家…帰っても、いるところ、ないから。

かろうじて聞き取れる程の声量で、そう呟いた少年。
「母親が違う妹の誕生日」とやらで、家に帰りたくないと言っていた。
俯きがちで、伸び切った髪と、縁の太い眼鏡がさらに顔を暗く隠していた。

──大学って、そんなに楽しいの?

口数の少ないそいつに、俺はひたすら自分の話をした。
自分も中学時代に趣味を否定されて、疎外された経験があること。大学に入って、今はその趣味で仲間ができたこと。
今は辛い環境でも、きっと、もっと生きやすい場所があるはずだと伝えたかった。

──ありがとう。俺、がんばるね。

最後に見せた笑顔は、俯いたまま。
でも下唇を噛んで照れくさそうに笑っていた。


「お前っ、あの時の中学生か?」
「わ、伊織さん…!やっぱ覚えててくれたんだねっ!嬉しい!」
「うっ、」

一瞬で目を潤ませ、キラキラと輝く笑顔でぎゅうっと、抱きつく蓮。
苦しい。
今とは見た目は全く違うものの、過去の極端に人を寄せ付けない蓮を思い出して、他人との関わり方とか距離感が、どこかズレてることに、なんとなく納得。

「放せ、歩けねぇだろ」

人気のない道ではあるが、こんなところで抱擁するような人間は、まずいない。
というか、やたら人に抱きつくのはおかしいから辞めろ、ということから教えないといけねぇのか?

「おい、聞こえねぇのか?こんなところで──」
「伊織さん、…聞いて?」
「は?なんだよ?」

俺の肩口に顔を埋める蓮が、涙声で俺を呼ぶから、抵抗をやめて、おとなしく聞いてやる。
蓮、泣いてんのか…?

「俺、あの時からずっと、伊織さんのこと忘れなかったよ」
「…おう?」
「あの夜の次の日、塾に行ったら、もう、伊織さんはいなくて、次の日も、その次の日も…。」
「…」
「俺、すっごく悲しかった」

蓮と飯に行ったのは、バイトの最終日だ。

「…悪かったな」

俺の謝罪に、蓮が小さく首を横に振る。

「でも、また伊織さんに会うために、勉強がんばろうって思った」
「…うん」
「伊織さんと同じ大学に行ったら、また会えるから」

布越しに蓮の鼓動が伝わってくる。
熱い体温を全身で感じる。

「…俺、あの日から、ずっと伊織さんが心の支えで、」

たまに鼻を啜る音も聞こえるし、俺の肩が生温く濡れていく感覚もある。

「伊織さんに会いたくて、会いたくて…」

時折震える蓮の背中を、静かに叩いてやる。
俺より筋肉があって逞しい背中。

「だんだん、大学生になるまで、待てなくなって…」

年相応、もしくはそれより幼く感じる蓮。
あの時の短い時間が、蓮の中でそんなに大きくなってるとは思いもしなかったが、それで蓮が救われたと言ってんなら、良かったのかもしれねぇ。

「そうか。それで、大学生だって嘘ついてまで、会いに来てくれたってことだな?」
「…」

かわいい奴じゃねぇか。
背中をトントンと叩きながら優しく尋ねる。
蓮は答えない。
代わりに、腕の力がぎゅっと強まった。

「伊織さん、俺…、」
「おう?」
「それだけじゃなくて、」
「?」

変なところで言葉を区切ると、蓮は俺の二の腕を掴んで、顔を上げた。
街灯の光が、蓮の透けるような金髪を輝かせる。
赤くなった鼻先と目元は、蓮の綺麗な顔を痛々しく見せる。でもその痛ましささえ、蓮の美しさを引き立てた。

「もう、伊織さんのことが、大好きになってた」
「…………は?」


…だ、だいす…?

…いや、おかしいだろ。

何言ってんだ?


「だから、伊織さんに釣り合うように、大学生に見えるように、見た目も変えた」


好きって、言ったか?今。


「合宿で伊織さんとたくさん一緒にいて、もっと好きになった」


好きって…、どういう…?


「ねぇ、伊織さん」

混乱して固まる俺を、蓮が呼んだ。
蓮の腕が、そっと腰に回る。
さっきまでの勢い任せの抱きつきと違い、優しく、でも逃れられないように身体を密着させる。
蓮の顔が近付き、コツンと額を合わせると、長いまつ毛が伏せられた。


「俺を、伊織さんの恋人にして?」


微かに震える小さな声に、心臓が跳ねた。
顔がじわじわ熱くなっていく。

「…え、…」

頭は真っ白。

コイビト…?
恋人……!?

「お前…、」

これって、あれか?
もしかして、これって…、

「…告白…か?」
「…うん」
「…」
「…」


………ハァ!?


「待て、何言ってんだ?お前、」
「伊織さんが、大好きって言った」
「違っ…、いや、それだ、それと、」
「伊織さんと付き合いたい」
「…っ、」

真剣な眼差しを向けられ、ドクンと、また心臓が脈打つ。

だって、相手は男といえ、告白なんて初めてされたし、それに、こんな強い視線を送られたら………、


…ビビる……?よな?

だから、こんなドキドキして…。



…ビビってるだけ、だよな…俺?


「蓮。落ち着け」
「俺は落ち着いてるよ」
「そうか。じゃあ俺が落ち着く時間をくれ」

とりあえず腰に回る蓮の腕を掴んで、引き剥がそうとするが、びくともしない。

「おい、放せ」
「伊織さんが答えてくれるまで離さない」


くそっ、なんなんだよ、コイツ!


蓮の視線から逃れるために、目をぎゅっと瞑る。
今の俺にはこれしかできることがねぇ。


真っ暗な視界は少しは俺を落ち着けた。
今の蓮の話を、冷静に思い出そう。
…そうだ。蓮は、過去のなんてことない出来事を、やたら美化して記憶しているだけなんじゃねぇのか?
詳しくは聞いてねぇけど、家でも学校でも辛い状況だったから、そんな風に…、

「伊織さん、」

そんな風に思ってるだけで、

「…いいの?」
「…なんだよ!」

真剣に考えを整理してるところで、しつこく呼ばれ、目を開き睨みつける。
こっちは忙しいんだよ、話しかけんな。

「キス、していいの?」

クイッと顎を持ち上げられ、熱っぽい目と目が合う。
息を飲む。
顔がまた、ブワッと熱くなった。

「っアホ!」
「い゛っ」

思わず思い切り蓮の頭を叩いてしまった。
体罰になるか?これ。
って、違う、そんなこと言ってる場合じゃねぇ。

「蓮、よく聞け」
「うん」
「お前のそれは、勘違いだ」
「え…」
「す、好き…だって、いう気持ちは、ありがたく受け取る。でもな、普通、よく知りもしない奴を、そんな簡単に好きなったりしねぇんだよ」
「…」
「蓮のことは嫌いじゃねぇけど、それ以上は何もねぇ。蓮もそうだ。分かったか?」
「………」

今まで彼女もできたこともない俺が、なんなら、告白さえ今のこれが初めての俺が、全てを知っているかのように、蓮に説教垂れる。

不満そうな蓮の腕を掴み、再び引き剥がす。
今度は蓮も抵抗せず、俺はやっと、蓮の拘束から解放された。

「蓮の境遇には同情するけどよ、もう少し、普通の人付き合いを知った方がいい」
「…」

蓮は、俺の後ろをとぼとぼとついてくる。
目の前の角を曲がれば、駅に繋がる大通りだ。
俺は蓮を振り返って、念押しする。

「それから、今の俺とお前は、仮にも教師と生徒の立場だ。」
「……うん」
「だから、明日からは、ちゃんと先生って呼べよ。」
「…」
「あと、やたら抱きついたりするな。」
「っ、……」
「それから、クラスメイトと、ちゃんと会話しろ。いいな?」
「………はい」

一方的に捲し立て、角を曲がる。
人通り車通りの多い道に出て、やっと気持ちも落ち着いてくる。



急な告白には驚かされたけど、蓮はまだ高2だ。

まだ狭い世界の中で生きていて、知らないことの方が多い、子供なんだ。




「じゃあ、また明日な。気をつけて帰れよ」
「…うん…、はい」

蓮の帰る桜白町は、俺の帰る大学の方面とは逆方向。
改札をくぐって、蓮に声を掛けると、蓮も小さく返事をした。




世間知らずな子供が、寂しい時に話を聞いてくれた大人に懐くのも、無理はない。



大人として、俺が、しっかりしねぇとな。