お前だけは、好きにならねぇから!


瞼の向こうの光と、爽やかな風。
重怠い体を優しく受け止める、心地よい布団の感触。
コーヒーの香ばしい匂い。

…朝か?

身体を受け止める柔らかなベッドは、明らかにいつものボロアパートのベッドとは違ぇ。
…そうだ、今はサークル合宿で、大阪に来ていて……

うっすら目を開けると、シンプルながら気品ある、広々とした室内。
俺が寝ている広いベッドの足元には、デカいソファと、更に奥にも別の部屋が続いている。


「…どこだここ」
「おはよ、伊織」


体を起こして声の方を見ると、青い空と、遠くに海が見えるバルコニー。その横で、マグカップを持った白シャツの爽やかイケメンが微笑んでいた。
圭太だ。


「圭太、ここ…」
「ホテルだよ。伊織、昨日酔い潰れて寝ちゃってさ。仕方ないから俺が部屋まで連れてきあげたの」


ヘラっと笑う圭太。
見慣れた笑顔なのに、ボタンの外れた袖口から伸びる手首や、はだけた胸元から見える綺麗な鎖骨が、なにか見ちゃいけないものを見てしまった気にさせる。


「ホテル……? 豪邸か何かじゃねぇのか」
「あははっ! スイートだから、他の部屋よりちょっと広いかもね」
「ス……、はぁ?」


スイート?
サークル合宿だぞ?
バカなのか?


「お前がとったホテルの部屋って…、」
「スイートは俺だけだよ。一人部屋を人数分取ってたけど、蓮が飛び入り参加したからさ。あと空いてる部屋、ここしかなくて」


なんてことないように語って、コーヒーを一口啜る。
いや、別のビジホとか取ればいいだろ。
こんな、5人くらいで寝れそうなでけぇベッドの部屋、普通の大学生が泊まる部屋じゃねぇぞ?
正直、俺は少し恐縮してる。

少しだけな。


「お前、ほんとにお坊ちゃんだな」
「まあね~」


いつも品よく整えられている黒髪も、寝起きなのか無防備に崩れている。
顔がいいせいで、それすらどこか色気を感じさせるけど。

俺が呆然と圭太を見ていると、部屋のチャイムが鳴った。


「朝ごはん、伊織も食べるでしょ?」
「お、おう…」


圭太が長い足で部屋を出ていくと、ホテルマン達が数人入ってくる。
豪華な朝食を載せた金色のワゴンを押しながら。

は?
ルームサービス?

マジでどんだけお坊ちゃんなんだ?


「おはようございます。お食事をお持ちしました」
「ありがとう。伊織、そっち座って」
「おう…」


圭太に言われるままにバルコニー横のテーブルに着くと、ホテルマン達が手際よく料理の乗った皿を並べていく。
一皿ずつ料理の説明をされるけど、まだぼんやりしている俺の頭は、ところどころしか説明を拾わない。
体の酒が抜け切ってないような感じがする。
てかシャワー浴びてぇ。

小さなテーブルはすぐにいっぱいになってしまい、横のワゴンにも飲み物やおかわりのパンなんかを綺麗に並べて、ホテルマンは出て行った。


「はい、伊織。あーん」


当たり前のように、一口大にちぎったクロワッサンを差し出す圭太。


「自分で食えるわ」
「ちぇー、昨日の伊織の方がかわいかったなー」


圭太が笑うと、乱れ気味の前髪がふわりと揺れる。
俺も手近なパンに噛みつき、ふわふわのオムレツにスプーンを刺した。

……「かわいかった」って言ったか?今。
何したんだ、俺。


「昨日のこと全然覚えてねぇんだけど」
「かもね。俺たちが店に入った時は、もう結構出来上がってたもんね」
「……」


昨日は、千冬と先に串カツ屋に行って、お通しをつまみにビールを飲んで、レモンサワーを飲んで、日本酒を飲んで…。
千冬が、「飲み過ぎです」って嗜めてきたような気がするけど…


「アスパラの串揚げと、熱燗が美味かった」
「覚えてんのそれだけ?」


圭太は形の良い眉を下げ、はぁとわざとらしくため息をつく。
悪かったな。


「伊織、かなりハイペースで飲んでたみたいでさ、俺が行った時は、千冬に半分寄りかかったままホラー映画について語ってたよ。洋画と邦画の違いとかなんとかを、呂律回ってない状態でむにゃむにゃ言ってた」
「おー、ジャパニーズホラーは深ぇからな。酒の肴に最高だよな」
「あーそ。そのあと蓮が、千冬から伊織を引き剥がして、千冬と殴り合いの大喧嘩!」
「……圭太。つくならもうちょっとまともな嘘つけよ。そんなことになるわけねぇだろ」
「うん、あはは」
「ったく」


そんなカオスな謎展開、B級映画でもありえねぇぞ。
てか、あいつらすげぇ仲良くなってたから、殴り合いの喧嘩もありえねぇな。

カチャ、カチャ、と食器にカトラリーが当たる音。
このコーンスープ美味ぇ。


「ねぇ、伊織」
「あ?」
「……蓮って、何者?」


カトラリーの音が止まる。圭太を見ると、圭太も俺を見つめていた。
朝日を浴びる端正な横顔。
春の海風が似合う爽やかな美形は、しかし瞳だけは深い深い黒を湛え、その奥底には冷ややかな紫紺が滲む。


「知らねぇよ。法学部の一年坊主、サークルの新メンバー。それだけだろ?」


俺と圭太の間に置かれたバターに伸ばした手を、圭太が掴む。


「それだけ?」
「は?」
「…伊織は、蓮のこと、…どう思ってんの」


珍しく真剣な眼差しを向ける圭太に驚く。
どうしたんだよ。


「別にどうも思わねぇけど…。変わったやつ、だとは思うけどな」


俺はアイツに舐められてるんじゃねぇかとも思うが、圭太にそれを言って、笑われたらウザいから黙っておく。


「ふーん」


どこか納得いかない様子の圭太は、それだけ言うと、俺の手を離しナイフとフォークを持って上品にオムレツを食べる。

オムレツってナイフで食うの?

スプーンの跡がついた自分のオムレツを見る。

なんか、恥っ…。


圭太とはその後も適当な会話をしながら美味い朝メシを食って、あらかた食べ終わったところで、ふと、スマホが手元に無いことに気づく。


「そういえば今何時だ?俺のスマホは?」
「10時。伊織の荷物は向こうの部屋」
「は?10時!?」


寝過ぎだ。
合宿2日目の今日は、ハリウッド映画の世界をテーマにしたテーマパークに行くことになっていた。つまりユニバだ。
ぼんやりとした記憶の中で、千冬と蓮が朝イチでニンテンドーワールドに行くんだと意気込んでいたのを思い出す。


「ゴールデンウィークのユニバなんですげぇ混んでそうだな」
「だろうね。伊織、目当ての乗り物とかあるの?」
「いや、ユニバ詳しくねぇし。映画の元ネタわかるものだけ、ちょっと見れたらいいかってくらい」
「家族サービスするお父さんみたいだね?」
「うるせぇよ」


立ち上がって腕を伸ばし、圭太の黒髪をぐしゃぐしゃにしてやる。
圭太は白い歯を見せながら笑った。

デザートのフルーツを口に放り込んで、奥の部屋の方を覗き込む。


「ごちそうさま。シャワー借りてもいいか?」
「うん。シャワー浴びたらそのまま出る?」
「そうだな」
「りょーかい。伊織の荷物はクローゼットの前。着替えもあるよ。あ、俺の服着てもいいけど?」
「お前の服着たら、お前は今日何着るんだよ」
「……確かに」


フッ、勝った。
ニッと笑って冗談を言う圭太にマジレスして、幼稚な達成感を味わう。

無駄にデカいソファの横を通って隣の部屋に向かう。
ソファには掛け布団と枕が綺麗に畳まれて置かれていた。

圭太、ソファで寝たのか?

俺の寝相はそこまで悪くねぇぞ。


*


スイートのバスルームは広々と開放的で、扉も仕切りもガラス、壁もガラス。日の光に照らされた大阪の街が一望できる。
…全然、落ち着かねぇ。
金持ちは露出願望でもあんのか?

シャワーと着替えを終わらせて部屋に戻ると、圭太も準備が完了していた。
髪もいつも通り整えられ、ワイシャツも品よくかっこよく着こなしている。
顔も体つきも綺麗だから、着るものなんて何でもいいんだろうな、コイツは。


「じゃ、行こっか」
「おう」


そこでやっとカバンからスマホを取り出し、充電が切れていることに気付く。

最悪だ。


「乗って、伊織」
「…」


てっきり最寄り駅まで歩くもんだと思っていたら、ホテル前に止められた黒の高級車タクシーに乗るよう促される。


「どした?」
「…俺、お前にいくら払えばいいんだ?」


スイートルームの豪華な朝食に、送迎タクシー。
どこのVIPだよ。


「あはは!要らないよ、さ、早く乗って」
「いや、でも、」


圭太に半ば押し込まれるようにして、タクシーに乗る。
金持ちだとは知ってたけど、この数時間で思っていた以上だと痛感させられた。住む世界が違ぇ。

やはり少し恐縮しながらも、カバンからモバイルバッテリーを取り出して、スマホに繋げる。走行音が静かすぎて、ちょっとした動作も気になってしまう。
ところが圭太は、俺とは反対に当然といった顔で座席にゆったり腰掛け、優雅に窓の外を眺めている。
漂うお坊ちゃん感。

こいつ…、顔も良くてスタイルも良くて、気さくな性格で盛り上げ上手、おまけに金持ち。
彼氏にするならかなりの有料物件のはずなのに、何故か歴代の彼女との関係はどれも短命だ。
なんでだ?
テンションがウザすぎるのか?
……うん、そうかもしれねぇ。
今度、友人として助言してやった方がいいかもな。

手元のスマホに視線を戻すと、黒い画面には、赤いバッテリーマークが表示され、起動までにもう少しかかりそうだ。


「俺のスマホ死んでんだけど、グループラインに、千冬とかマキさんから何かメッセージ来てたか?」


そう問いかけると、圭太は横目で俺を見てから、長い腕で軽々と俺のスマホを取り上げた。


「あ、何すんだよ」
「ねぇ伊織。お金は要らないけどさ、…もう少しだけ、俺といてよ」


取り返そうと手を伸ばすと、その手は圭太に優しく握られた。


「他の奴らなんて、…どうでもいいじゃん」


静かな、低い声。
圭太の端正な顔が近付く。でも表情はどこか切なげだ。


「…何、言ってんだよ、」
「……」


いつもサークル内のムードメーカーを進んで引き受けてる圭太から、「どうでもいい」なんて言葉が出るなんて、こっちが動揺するわ。
よく分かんねぇけど、なんか落ち込んでんのか…?


「どうしたんだよ圭太。なんか悩んでんのか?」
「……」


黙ったまま俺を見つめる圭太の頭を、軽くポンポンと叩く。

圭太は、なんだかんだ付き合いの長い、大切な親友だ。
今朝から謎の金持ちムーブかましてるけど、そんな圭太も俺の知る圭太であることに変わりはない。

落ち込んでるなら、励ましてやりたい。

そう思って、圭太に握られている手を、俺から握り返した。


「…圭太。千冬は『何もしない部長』なんていじってるけど、俺は、圭太がいるからサークルの雰囲気がすごく居心地いいんだって思ってる」
「……」
「お前、本当は映画なんてそんな観ねぇんだろ?なのに、俺と一緒にこのサークル入ってくれて、…その…、ありがと、な」


照れと羞恥で、顔がほんのり熱くなる。
改めてこんな風に話すの、すげぇ恥ずかしい。


「お前といると、…毎日、楽しい…、から、……嬉しい」


もう圭太の顔は見れていない。
でも、伝えるべきことは伝えてやった。
感謝しろ、圭太。
俺の友情の温かさに涙でもして、少しは元気を出しやがれ。


俺に手を握られたまま全く反応のない圭太に、俺の羞恥の方が先にピークを迎える。


「おい、恥ずかしいだろ!何とか言えよ」


八つ当たり気味に、ムッとして圭太を睨むと、圭太はガクッと俯き、大きくため息をついた。


「はぁ~~~。本当に、伊織は…」


そして顔を上げると、俺の手をそっと引き離し、俺の膝の上に返す。


「そういうこと言われるとさ、…無理じゃん」
「は?何が?」
「んーん、なんでも」


眉尻を下げながら、困ったように笑って、俺にスマホを渡す。


「伊織の熱烈な告白に免じて、今日は、このくらいにしといてあげる」
「おい、励ましてやっただけだろ、茶化すな」


今度は俺が、圭太に頭をグシャグシャに撫でられる。
温かい、大きな手。


「さーて、伊織が寝坊したせいで、あと半日しかないけどさ、まー、思う存分楽しもーね」
「ったく…、悪かったな」


白い歯を見せて爽やかに笑う圭太。

いつもの圭太に戻った。
ふざけたノリが多い奴だけど、根っこはすげぇいい奴だし。こいつもこいつで、悩みとかあるんだろうな。

まぁ、元気になったなら良かった。


圭太は楽しそうに、ユニバに着いたらアレに乗ろう、あそこに行こうと、話し始めて安堵する。
いつものように適当に相槌を打っていたところで、スマホの画面が明るくなった。

俺は瞠目した。


〈未読通知:108件〉


…何だこれ。