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「…翌日、警察から電話があって、あの人が亡くなったって…信じられなかった」
実咲は日記を抱きしめ俯いたまま、その後の事を、ぽつりぽつりと話してくれた。
文人は川原の石に頭を打って亡くなっていたという。体を川に晒したまま、雨のせいで川の水かさも増し、川の流れも早かった、川に上がろうとした所、足を滑らせたのかバランスを崩し、頭を打ったのだろうと。
周囲の目撃者もなく、朝方になって近くを散歩していた人に発見されたという。
その手に、ペンダントはなかった。
「なんで川に入ったのかなんて聞かれても、理由なんて言えるはずないじゃない。でも、何らかの原因で柵を乗り越えて、足を滑らせて頭を打った、事故です、なんて、そんな事であの人の人生を終わらせたくなかった」
実咲は、槙へと視線を向けた。涙で濡れた瞳が憎しみを被り、槙は射抜くような視線に、身を強ばらせた。
「あなたに彼を奪われたまま、終わらせたくなかった」
見えない手が喉元に押さえつけられたかのように、は、と息が苦しくなる。たじろぐ槙に気づき、咲良は槙の前に立った。眉を潜める実咲に、咲良は口を開いた。
「…槙ちゃんの事を知ってたとしても、どうして久瀬ノ戸の家の事まで知ってたんですか」
「先生達が教えてくれたのよ、あの学校の先生は、久瀬ノ戸槙の祖父がヤクザをやってる事を知ってた、不登校の理由とか中学の教師から聞いたんじゃない?それに、あの人が随分目に掛けていた事も。すぐにあの時の少年が、その人だって分かった」
そして実咲は、文人の死の原因を、教師と生徒の不倫、そしてヤクザの絡んだ自殺として、記者に情報を流したという。勿論、久瀬ノ戸の家が絡んでというのは、実咲の作り話だ。
世の中が騒ぎになり、詰めかけた記者達に、槙の祖父はその件に対し否定をしなかったという。
「…え」
さすがに、槙は驚いた。何故、祖父は否定しなかったのだと、信じられない思いだった。
「最初は否定したらしいけど、その内あなたが教師と無理心中を図ろうとしたとか、ある事ない事噂が飛び交って、そしたら否定しなくなったって。あなたを守る気でいたのかしらね」
実咲は嘲笑する、咲良が一歩前に出ようとしたのを、槙が後ろでその手を引いて止めた。実咲は笑いながら、泣いていた。
「…あなたが渡したペンダントのせいで、あの人は死んだのよ」
「それは、」と、槙に代わって反論しようとする咲良だが、それよりも先に実咲が頭を振って遮った。
「分かってる!私があの人の気持ちを信じきれなかったのが原因よ!でも、そんなのあんまりじゃない!あの人が最後に思ってたのは、結局あなたでしょ!?許せなかった…!」
実咲が槙を見て叫ぶのを、咲良は槙の前から動かず、ただ静かに口を開いた。
「…自殺じゃなかったんですね。先生は、事故だったんですね」
「当然よ!あの人がその人の為に死んだなんてあり得ない!でも、でも、それならどうしてペンダントなんか追いかけたのって…」
実咲は再び力なくその場に項垂れ、手元の日記に指を這わせた。
「…あんな事を言ってしまった。この日記に気づいたのは随分後だった、あなた宛の手紙も。でも、もう引き返せなかった、せめてあなたのせいにして苦しめてやりたかったのに…あの人は、私達を選んでいたなんて…」
「…生徒の気持ちを守りたくて、川に入ったんだね」
それまで黙っていたひなは、そっと実咲の傍らに膝をついた。
「お父さんの教え子って人、今も来てくれるもんね。思い出話たくさんしてくれる。生徒を大事にしてたの、私でも分かる。お父さんの記憶はほとんどないけど、自慢のお父さんだった」
ひなの言葉に、実咲は顔を上げた。「今でもそう思う」との言葉に、実咲は床に崩れ、ひなはその背を抱きしめた。
「…ごめんなさい、」
私がペンダントを川に投げなければ。
あなたの話をしなければ。
ごめんなさい。
そう泣き崩れる実咲に、槙は何も言葉にする事が出来なかった。
文人の死は事故だった。けれど、ペンダントさえなければ、自分が文人に憧れさえ抱かなければ、愛したりしなければ。
槙は胸元のペンダントをそっと手に取った。
文人は自分と別れようとしていた。
自分が文人の枷になっていたのは間違いなく、槙は頭の中が真っ白になっていくのを感じ、暫しその場から動く事が出来なかった。



