「俺も、槙ちゃんとは学年違うけど、先生の生徒だったからさ。絵ばっか描いてた俺の事気にかけてくれたし、卒業してからも連絡は取ってたんだ。まだ小さかった君の事も話してたよ」
咲良の言葉に、ひなは、え、と目を丸くした。それは槙も知らなかったようで、言葉なく咲良を見れば、槙の視線に咲良は少し居心地悪そうに眉を下げた。
「…娘も息子も可愛くて、日に日に大きくなるから目が離せないって。成人したら一緒に酒飲みたいとか、嫁に行かせたくないとか。…まさか、裏で槙ちゃんとくっついてるとは、その時は思ってもいなかったけど」
「………」
視線を戸惑いに揺らすひな、槙はどこか呆然として力なく椅子に座り込んだ。
「…俺との未来は何も話してくれなかった。当然だよな、手を繋いで、お喋りして。今思えば、先生は俺の思いを、自分の生徒だからって受け止めてくれただけだったのかも。暴走しないように、手綱を引くみたいに。…本気でも、火遊びでもない、先生は先生だっただけかもしれない」
「それは…」
力なく言う槙に、咲良は返す言葉に迷っているようだった。ひなを前に槙をフォローする訳にもいかない。槙は咲良の様子に気づくと、ごめんと眉を下げた。
「…なら、どうして父さんは死んだの?」
「警察が自殺って発表した。でも本当かどうかは分からない。槙ちゃんと先生の事がばれる前は、事故だって発表されてたから」
「え?」と声を上げたのは、ひなだった。わざわざ実咲が、二転三転した経緯をひなに話す事はないだろう、槙の事なんて思い出したくもないのだから。槙はそう納得したが、咲良はひなの様子を見て、意を決した様子でひなの傍らに腰を下ろした。
「ねぇ、何か分からないかな?先生の日記とかなんでもいいよ、先生の気持ちが分かる物とかないかな?自殺じゃないって理由がどこかにあるかもしれない」
縋るようにも見える咲良の言葉に、ひなは戸惑いを滲ませる。
「…父さんの遺品は、母さんがしまってるから。そういえば、一度も見せて貰ってない。私も見せてって言えなかった、母さんが辛そうで」
「それ、見せて貰う事って出来ないかな」
「は?」
咲良の言葉に、ひなは眉を顰め、さすがに槙も驚いて、血の気を引かせた。
「咲良君、何言ってんの!」
「だって、槙ちゃんの事が警察やマスコミの耳に入るまでは、事故って言われてたんだよ?俺は先生が自分から死ぬような人とは思えない。先生がそんな意思はなかったって、もしかしたら分かるかもしれないだろ?」
「いや、だからってさ図々しすぎるよ。それに何か見て分かるなら、奥さんがもう気づいてるだろ」
「でも、」
「分かった」
ガタッと音を立てて、ひなは立ち上がった。
突然の事に、槙と咲良はきょとんとしてひなを見上げた。
その時、槙はひなと目が合い、その強い眼差しに目を瞪った。
「その代わり、あんたも来て」
「え」
「…来て」
まるで懇願するような眼差しに、槙は瞳を揺らした。ひなが何を考えているのかは分からない、だけど、助けを求められているような気さえして、槙は戸惑いつつも頷いた。
「…分かった」
槙が頷けば、ひなはどこか安堵した様子で肩を落とした。
「なら、今からでもいい?今日は、皆おばあちゃん家に居るから」
今から。急な展開に、槙は戸惑いを浮かべたが、それでもひなの気持ちを無駄にはしたくなくて、槙が咲良に視線を送れば、咲良も視線を合わせて頷いてくれた。
「これで、はっきりするな」
「お、織人…!」
堂々と言ってのける織人に、槙はやめてくれと、焦って声をかけた。
遺品を見たからといって、文人の思いが明らかになるかは分からない。突発的に川へ入ったなら、何も残していない可能性もあるし、何か思いを記したものがあったとしても、やはり槙が文人を追いつめたんだと知る事になるかもしれない。
「何だよ」
だが、織人はそれでも、槙のせいではないと思っているのだろうか。こちらを見下ろす眼差しからは、揺らがない思いが伝わってくる。大丈夫だと、恐れる事はないと言ってくれているようで、槙は何だか泣きそうになってしまう。
織人がいてくれるだけで、こんなにも心強い気持ちになる。
「…ううん、」
その先は言葉にならず、槙は涙を飲み込むと、一つ頷いて、ひなに向き直った。
そして、槙達は、ひなの家に向かう事となった。



