「自転車ここで良い?」
重い気持ちに思考を持っていかれている内に、気づくと槙のアパートに着いていて、恋矢が駐輪スペースに自転車を停めてくれていた。槙ははっとしたように顔を上げて、慌てて鍵を取り出した。
「う、うん、ありがとう。上がってく?」
自転車に鍵を掛けながら言えば、恋矢は一度スマホを確認してから、うん、と笑顔で頷いた。
先程から何度か見かける行為に、この後、予定でもあるのだろうかと思ったが、でも、もし予定があるなら、槙の誘いを断る筈だ。槙は再び不思議に思いながらも、先に階段を上がって行く恋矢の後ろ姿を見ながら後に続いた。そのまま部屋の前までやって来ると、部屋の中から、ガタッと大きな物音がした。
「え、」
反射的に台所脇の窓へ目を向けたが、窓に明かりはない。もしもの為に合鍵を渡しているのは龍貴だけだ、もし龍貴が中に居るなら、部屋の明かりは点けている筈。
「…今、音しなかった?」
「…そう?気のせいじゃない?」
恋矢は素知らぬ顔をして答えたが、槙には何かを隠しているように思え、眉を寄せた。
「…カズ、お前何かやった?」
「え?何を?何の為に?」
きょとんとして、恋矢は答える。その表情に一瞬騙されそうになるが、いや、この男は昔からこういうのが上手のだと思い直す。恋矢とは長い付き合いだ、どんなに巧みに嘘をついても、嘘をついてるかどうかは何となく分かる。
「なによ、そんなに疑うなら自分で確かめてみたら良いじゃない。そもそも俺は、何しようにも部屋の鍵持ってないんだから」
「…まぁ、確かに」
それなら、龍貴から借りた可能性もあるが、槙はそこまでは頭が働かないようで、ふむ、と納得した。だが、次の瞬間、顔を青ざめさせて勢いよく顔を上げた。
「待ってよ!じゃ、じゃあ泥棒?」
「盗まれるもんなんかないでしょ」
「そうだけど…って、お前が言うなよ!自分で言うならともかく」
失礼だなと、槙がむくれれば、恋矢は溜め息を吐いて槙の背中を押し、その体をドアに向かわせた。
「もう、ここで騒いでたらご近所に迷惑になるよ。ほら、なんかあったら俺もいるから」
「…わかった、…そこ離れるなよ!」
「はいはい」
軽くいなすような返答は腑に落ちないながらも、確かに玄関先で騒いでいたら迷惑なので、槙はぐっと口を噤んだ。
恋矢の暮らすマンションと違い、セキュリティもなく壁も薄い安アパートだ。泥棒も、わざわざこんな部屋に忍び込まないだろう。槙はそう自分を勇気づけ、小さく深呼吸をしてから鍵を回した。
どうか、何事も起こりませんように。
願いながら、恐る恐る玄関のドアを開けていく。
「……え」
ふわ、と風が起こった気がした。
目の前に現れたのは、夜空の下で咲く、青い花の花畑だった。
「うわ…え、なんで、」
部屋の明かりはついていないが、床には小さな丸いライトが、ぽつりぽつりとその灯りを灯している。その灯りに浮かび上がるのは、青い花が描かれたキャンバスで、それが部屋中に立て掛けられ、小さな部屋の中を彩っていた。天井からは、微かな光を放つ小さな星飾りが、ぽつぽつと吊るされている。
何故、自分の部屋がこんな事になっているのか。
ぽかんとしていると、部屋の奥から、パンッパンッと、クラッカー音が響いた。加えて、「誕生日おめでとう!」という声が飛び込んでくる。驚いて顔を上げると、そこにいたのは、咲良と龍貴だった。
突然の事に訳が分からず、驚きのままよろけた槙を、恋矢が後ろから支えてくれた。


