桜と星と初こいと




(まき)ちゃんは話したくないだろうな…俺達も、槙ちゃんが話さないならって思って、織人(おりと)には話さなかったから」

簡単に話せる話ではないだろう。織人はどうしたって子供だったし、槙と文人(ふみと)の関係は、男同士で教師と生徒、そればかりか、文人には家族がいる。
それに、槙のせいで文人は死を選んだと噂されていた。槙がヤクザの血縁だからと、何がどうこじれて伝わったのかは分からないが、そのヤクザに脅され、文人は川に身を投げたんだと。
たが、その噂が本当だったとしても、結局は文人は槙を置いて自分勝手に逃げただけなんじゃないか、織人はそうとしか思えず、再びぎゅっと拳を握った。
そう思えば槙が不憫でしかならず、文人への苛立ちが込み上げてくる。

「でも、織人にもやっぱり知っていて欲しいっていうか、話しても良いんじゃないかって思ってさ、槙ちゃんの為にも」
「…俺なんか、知ったところで何の役にも立たないんじゃねぇの」

織人はもう、悔しさと苛立ちが、腹の底から胸へと這い出して息が詰まりそうだった。そんな感情を咲良(さくら)の前で吐き出す事も悔しくて、織人はせめてもの抵抗で、ふいっと顔を背けて言えば、咲良は目を丸くして、それから、ふはっと吹き出して笑った。

「な、なんだよ!」
「はは、ううん。槙ちゃんは、そんな風に思ってないと思うよ。織人はちゃんと支えになってたよ」

人を笑ったかと思えば、今度は当然の事のように言う。織人は思わず聞き返したくなったが、穏やかに表情を緩める咲良を見たら、なんだかそれも恥ずかしくて、代わりに話を促す事にした。

「…どんな奴だったの」

今なら、聞けそうな気がした。悔しいけど、咲良は槙が信頼を寄せている人物で、織人からしたら、槙の支えになっていた人。その咲良が自分を肯定してくれた、そう思えば、体中に渦巻くネガティブな感情が、不思議と体の底に落ち着いて、まるで背中を押されたような気がして。
悔しいのだけれど、自分が、無意味な存在ではないと思わされてしまった。

もし、そうなら。咲良が言うように、自分が槙の支えになれていたのなら、今度は逃げずに知りたいと思えた。
槙がずっと心を寄せている男の話、槙の過去の話。聞くのは怖いけど、もし知れたら、何も知らない今よりも、少しは槙の役に立てるだろうか。

願いを込めて織人が顔を上げれば、咲良はそっと柔らかに目を細め、ふと揺れるカーテンに目を向けた。

「ちょっと抜けた奴だったなー、」

そう昔を懐かしんで咲良が口を開いた時だ、ガチャッと玄関のドアが開く音が聞こえた。直後、「おいおい、鍵くらいかけときなよー」と、呆れた声が聞こえる。黙って声のする方に視線を向けていれば、ひょっこり顔を出したのは、恋矢(れんや)だった。

「お疲れー…」

と、恋矢は掛けた声を止め、パチパチと目を瞬いた。

「あら、なんかいつもと雰囲気違くない?あなた達、仲良くなったの?」
「仲良くねぇよ」
「仲良くしたいけどね、俺は」
「懐くには長い道のりよ、これは。なんたって噛みつくからね」

よしよしと、恋矢に頭をわしゃわしゃと撫でられ、織人は噛みつく勢いでその手を払った。

「仮にも教師が、生徒を動物扱いすんなよ!」
「ただの比喩でしょ、先生扱いされて光栄」
「仮にだろ」
「お前は本当にツンツンして…そんなんだから、槙ちゃんにいつまでも子供扱いされんのよ」

恋矢の言葉に、織人はムッとして唇を尖らせた。やっぱり、さっきの咲良の言葉はまやかしだったのではと、織人はこっそり落ち込んだ。

「ほら、拗ねない。カズもいじめてやんなよ」
「うっせ!」

フォローになっているようでなっていない咲良の言葉に、結局噛みつく織人。咲良は何故だとばかりに織人を見て、恋矢はそんな二人の様子に、ケラケラと笑っている。

「はい、差し入れ持ってきた。で、何の話してたの?」
「先生の話」

咲良が言うと、恋矢は僅かに目を瞪り、そういう事かと納得したようだ。咲良を毛嫌いする織人が咲良と向かい合っているなんて、槙が関わる事でなければ、そうそう有り得ない。

「そっか、織人は先生の事知らないもんな…
あの頃の槙ちゃんは、見れたもんじゃなかったからね」

恋矢はキッチンに回ると、差し入れの入ったコンビニ袋を脇に置いて、「ちょっと休憩しようか」と、二人に呼び掛けた。