もしかして、織人の不満の原因はこれだったのだろうか。
蜂蜜の小瓶を受けとるだけなら、わざわざ人の体の向きを変える必要はない。後ろから手を伸ばしたって取れるし、でなければ、隣に並べば良いことだ。
わざわざ自身の方を向かせた事が、さりげなく女子生徒から自分を離すようにしたのではと思えてしまえば、槙は織人が見せた独占欲に途端に顔が熱くなるのを感じ、言葉なく再び下を向いてしまった。
織人のその行動一つ一つに、意味を探してしまう。今まで気づかぬ振りで通してきたものが、無視できなくなる。どんなつもりで、なんて、本当はどんな意味もないのかもしれないが、それでも気づいて気にしてしまうのはどうしてなのか。
あんなキスをしてくるから、抱きしめられた手が縋るみたいだったから、急にこの手を離れようとするから。
頭をぐるぐると巡らせれば、言い訳みたいな言葉ばかり浮かんで、だから、誰とも恋はしないのだからと慌てて否定すれば、嫌でも織人をそういう目で見ている自分に気づいてしまう。
ダメだダメだと、とにかくそんな自分の思いを否定している内に、カコッと小さな音が聞こえた。
「え?」
「ほら」
再び手元に戻ってきた小瓶の蓋が、開いていた。槙がいくら奮闘しても開かなかった蓋が、糸も簡単に開けられてしまった。その事に呆然としていると、織人は何も無かったかのように、さっさと行ってしまった。
織人が居なくなると、共に居た女子生徒達が、そろそろと槙の側に戻って来た。もしかしたら、突然、織人が側にやって来たので驚いて一歩引いて見ていたのかもしれない。
織人が独占欲を見せた、なんて、ただの勘違いだったのか。そんな風に思うと恥ずかしくて、槙はなかなか顔が上げられずにいた。
「びっくりしたー、何気に都築君って優しいんだね」
「てか、何気にカッコいい」
「何気にイケメンだよね」
ケラケラ笑う楽しそうな彼女達にはっとして、槙は焦って顔を上げると、彼女達に小瓶を返した。
「ほら!何気に何気にばっか言ってないで、都築にお礼言ってこい」
「槙ちゃん、役に立たなかったね」
「うるさいよ」
ケラケラ笑う楽しそうな彼女達を送り出し、槙は少し先で彼女達に囲まれている織人を見つめる。織人はやはり無表情だったが、女子生徒達は何やら楽しそうに織人に話しかけている。
それを見た途端、顔に集まった熱がさっと引き、槙は急いで踵を返した。それから、グッ、パッと手を握ったり開いたりを繰り返してみる。
「…料理って、鍛えられんのかな」
わざと呟き、胸の内に渦巻くモヤモヤに気づかぬ振りを決め込もうと思ったが、そう上手くはいかない。振り返ると、織人も女子生徒も居なくなっていて、なんだか取り残されたような気分になる。
一体、自分はどうしたいんだ、いちいち言い訳を作る自分に、ほとほと嫌になる。
織人に対する答えは決まっているのに、まるで逆らうような胸の騒めきに、槙は必死に目を背け、歩き出した。
もやもやを募らせると、槙は咲良に会いたくなる。
槙の中で、最早咲良はスターのような存在だ。会うと元気になれる、槙にとって咲良はそういう存在だった。
アトリエに向かうと、いつもは静かな部屋から賑やかな声が聞こえた。誰か来ているのだろう、恋矢かなと思い、ドアを開けようとした手が止まる。
聞こえてきたのは、織人の声だった。
今日はバイトが休みなのか、それなら何故ここにいるのか。咲良の事を嫌っていたのに、自分の事を好きと言っていたのに、うちには来ないのに。
そこまで考えて、槙は、はっとしてドアノブから手を放した。
「…何考えてんの」
今、嫌な事を考えていた。織人は誰かのものじゃない、織人が何をしようと自由なのに、自分から織人の気持ちを受け入れる事を拒否したのに、また自分中心に考えてしまっている。
「…先生」
甦る桜の気配に、槙は唇を噛みしめる。
踵を返し見上げる夜空に思いを巡らす。星がぽつぽつと見える空は、何故か重くのし掛かるようで、槙は胸元のネックレスを握りしめると、足早にアトリエを後にした。


