10月31日。
空港は、カボチャの飾りが目立ち、ハロウィンの喧騒に包まれていた。黒とオレンジに彩られた世界。子供たちの楽しげな声や、スーツケースの車輪の音が響いている。
しかし、保安検査場前の俺たち二人の周囲だけは、世界の音が消えたような静寂に包まれていた。
空港に着く前までは、普段と変わらないくだらない会話をしていたのに……。どんよりとした弓月と俺の存在が、その喧騒の中から切り取られているみたいだ。ここだけが異空間みたいに歪んでいる。
ふいに弓月の横顔を見ると、もう会えないかもしれない……と急に哀しみが押し寄せてきた。
大きな窓から滑走路が一望できるから、空いているベンチに腰掛ける。二人でぼんやりと飛び立つ飛行機を眺めていると、朝陽が射し込み、彼の茶色い髪を照らした。デジャヴだ。4月に弓月を教室で見た時みたいに、灼熱の太陽のように、強烈に眩しい。
「もう時間だ」と弓月が動きだしたから、俺も後をついていく。
保安検査場に入る直前、弓月はピタリと立ち止まる。別れの時間は、驚くほど早くやってきてしまった。
数秒の沈黙が流れ、弓月は軽く振り返ると、ぶっきらぼうに言った。
「じゃあな」
「うん、またな」
俺も弓月に合わせて、軽めの挨拶をする。湿っぽいのは嫌なんだろう。
俺たちは、それ以上の言葉を交わせなかった。感情を全て吐き出し尽くした後には、辛い想いだけが残るはずだ。だから、明るいテンションで別れよう。
「月、忘れんなよ」
「……お前こそ」
意地を張り、俺たちは最後まで抱き締め合うことはなかった。ハグしたりして、別れを惜しむことは、やっぱりしない。でも、そういうのが無い方が、いい。
男同士の友情という、言葉にできない領域の絆? 重い魂の契約みたいなヤツで……。
搭乗案内のアナウンスが流れると、弓月が背を向けた。
リュックサックには、あの日と同じカンボジアの赤いお守りが紐で結ばれている。
そして、保安検査場へと一歩踏み出す。
その瞬間、俺は衝動的に動いていた。頭ではもう覚悟が出来ているはずなのに、制御出来ない。
俺は何も言わず、そのお守りの紐をギュッと掴んだ。最後の抵抗だった。
弓月の体が一瞬硬直して、ゆっくりと振り返ると、掴まれたお守りに視線を定めてから、俺の顔へと移していく。
「サク……」
俺は掴んだ手を離せない。目だけが、別れへの恐怖で叫んでいた。
「……行くな」
弓月は静かにリュックサックを下ろすと、迷う素振りも見せずにお守りを引き抜いて、俺の手に握らせた。
「……これ、やるよ。大事なもんだけど、お前の方が大事だから」
彼の切なそうな目には、しっかりとした覚悟が宿っていた。
「3年後の約束、守れよ。アンコールワットで待ってるから」
これは、ただのお守りではない。俺と弓月が必ず再会するという、破ることが許されない約束の証だ。
「わかった……絶対行く」
「じゃあな」
弓月は、今度こそ振り返ることなく、保安検査場へと歩を進めていく。
その背中が遠ざかるたびに、世界の重力に引きずり込まれていくように世界の重力に引きずり込まれていくように、ぐにゃぐにゃと溶けていく。
小さくなっていく弓月を目で追いながら、その場から一歩も動けなかった。
全身が鉛のように重い。
手の中にあるお守りには、まだ弓月の温もりが残っている。
しかし、保安検査場の奥へ消える直前、弓月が急に振り返った。
その一瞬、俺たちを隔てる何メートルかの距離が、地球の裏側ほど遠く感じた。
弓月の顔は歪み、唇を震わせている。
そのとき、俺たちの間にあった意地の張り合いが、音を立てて崩壊した。
彼の瞳は、すでに涙で濡れていた。
それを見た途端、視界がぼやけて前が見えない。弓月の姿を目に焼き付けたいのに……無理だった。
空港の喧騒も、ハロウィンの騒ぎも、全てが遠いノイズになっていく。二人とも、最後まで強がっていたのだ。
弓月は軽く片手を上げて、再び背中を向けて奥へと歩みを進める。
俺は弓月が見えなくなるまで、涙が止まらず、ただ立ち尽くしていた。
空港は、カボチャの飾りが目立ち、ハロウィンの喧騒に包まれていた。黒とオレンジに彩られた世界。子供たちの楽しげな声や、スーツケースの車輪の音が響いている。
しかし、保安検査場前の俺たち二人の周囲だけは、世界の音が消えたような静寂に包まれていた。
空港に着く前までは、普段と変わらないくだらない会話をしていたのに……。どんよりとした弓月と俺の存在が、その喧騒の中から切り取られているみたいだ。ここだけが異空間みたいに歪んでいる。
ふいに弓月の横顔を見ると、もう会えないかもしれない……と急に哀しみが押し寄せてきた。
大きな窓から滑走路が一望できるから、空いているベンチに腰掛ける。二人でぼんやりと飛び立つ飛行機を眺めていると、朝陽が射し込み、彼の茶色い髪を照らした。デジャヴだ。4月に弓月を教室で見た時みたいに、灼熱の太陽のように、強烈に眩しい。
「もう時間だ」と弓月が動きだしたから、俺も後をついていく。
保安検査場に入る直前、弓月はピタリと立ち止まる。別れの時間は、驚くほど早くやってきてしまった。
数秒の沈黙が流れ、弓月は軽く振り返ると、ぶっきらぼうに言った。
「じゃあな」
「うん、またな」
俺も弓月に合わせて、軽めの挨拶をする。湿っぽいのは嫌なんだろう。
俺たちは、それ以上の言葉を交わせなかった。感情を全て吐き出し尽くした後には、辛い想いだけが残るはずだ。だから、明るいテンションで別れよう。
「月、忘れんなよ」
「……お前こそ」
意地を張り、俺たちは最後まで抱き締め合うことはなかった。ハグしたりして、別れを惜しむことは、やっぱりしない。でも、そういうのが無い方が、いい。
男同士の友情という、言葉にできない領域の絆? 重い魂の契約みたいなヤツで……。
搭乗案内のアナウンスが流れると、弓月が背を向けた。
リュックサックには、あの日と同じカンボジアの赤いお守りが紐で結ばれている。
そして、保安検査場へと一歩踏み出す。
その瞬間、俺は衝動的に動いていた。頭ではもう覚悟が出来ているはずなのに、制御出来ない。
俺は何も言わず、そのお守りの紐をギュッと掴んだ。最後の抵抗だった。
弓月の体が一瞬硬直して、ゆっくりと振り返ると、掴まれたお守りに視線を定めてから、俺の顔へと移していく。
「サク……」
俺は掴んだ手を離せない。目だけが、別れへの恐怖で叫んでいた。
「……行くな」
弓月は静かにリュックサックを下ろすと、迷う素振りも見せずにお守りを引き抜いて、俺の手に握らせた。
「……これ、やるよ。大事なもんだけど、お前の方が大事だから」
彼の切なそうな目には、しっかりとした覚悟が宿っていた。
「3年後の約束、守れよ。アンコールワットで待ってるから」
これは、ただのお守りではない。俺と弓月が必ず再会するという、破ることが許されない約束の証だ。
「わかった……絶対行く」
「じゃあな」
弓月は、今度こそ振り返ることなく、保安検査場へと歩を進めていく。
その背中が遠ざかるたびに、世界の重力に引きずり込まれていくように世界の重力に引きずり込まれていくように、ぐにゃぐにゃと溶けていく。
小さくなっていく弓月を目で追いながら、その場から一歩も動けなかった。
全身が鉛のように重い。
手の中にあるお守りには、まだ弓月の温もりが残っている。
しかし、保安検査場の奥へ消える直前、弓月が急に振り返った。
その一瞬、俺たちを隔てる何メートルかの距離が、地球の裏側ほど遠く感じた。
弓月の顔は歪み、唇を震わせている。
そのとき、俺たちの間にあった意地の張り合いが、音を立てて崩壊した。
彼の瞳は、すでに涙で濡れていた。
それを見た途端、視界がぼやけて前が見えない。弓月の姿を目に焼き付けたいのに……無理だった。
空港の喧騒も、ハロウィンの騒ぎも、全てが遠いノイズになっていく。二人とも、最後まで強がっていたのだ。
弓月は軽く片手を上げて、再び背中を向けて奥へと歩みを進める。
俺は弓月が見えなくなるまで、涙が止まらず、ただ立ち尽くしていた。



