それは一瞬だった。
 月を背にして人影が舞い降りたかと思うと、あっという間にゴブリンたちを斬り捨てられた。
 細身の剣を薙ぎ払い、血を払って鞘に戻す仕草。
 同時に振り返る。

「無事、だよね?」

 人だ。女の子だ。
 月明かりの下、輝く長い髪に目を奪われる。
 濁ったような現実の空とは違い、彼女の瞳は懐かしささえ感じる澄んだ青空のようだ。
 胸元に輝く緑色のブローチに彼女が触れ、自然と俺の視線もそちらに……おっと、そこはガン見しちゃダメだろ。

「ね、大丈夫?」
「あっ。あぁ! 大丈夫っ。助けてくれてありがとう。人だ。いやぁここに来て初めて人を――あ、ごめん。ちょっと興奮しちゃって」
「い、いいのよ。私も、こんな所で人に――に出会えるなんて思わなかったし」

 ん? 今、誰にって言ったんだろう? よく聞き取れなかった。

「あなたはどうやってここへ来たの?」
「え、俺? えっと……こいつに捕まって」
「クアッ」
「きゃっ。え、この子、ユタドラゴン? そっちのも……どうしたのその子。怪我でもしてる?」

 彼女がその子と呼んだのはユラの方だ。

「いや、怪我は治ったんだけど、貧血でね。ユラ、もう大丈夫だから中へ戻ろう」
「いい、え、まだよ。まだ、いるわ」
「そうね。まだオークがいるわ。どうしてあの装置が動くようになったのかわからないけど、あれに引き寄せられたんだわ」
「魔導装置に引き寄せられた!?」
「正しくは、あれが動き出したってことはここに人がいるってこと。その人間を狙ってやって来たのよ」

 うへぇ。まさか俺を食うために!?
 食われてたまるかよ!

「でもどうすればいい……どうやってオークと戦うんだ」
「私、が……」
「クゥゥ」
「ユラ、無茶だってっ」
「私ひとりでなんとかできる数だといいんだけど……。ね、あの魔導装置を動かしたのって、もしかしてあなた?」
「そうだけど。まさかこんなことになるとは思ってなかったんだ」

 魔素の浄化。それだけが目的だったのに。
 でも確かに装置が動けば、そこに人がいるとわかるよな。迂闊だった。何か対策を考えてから修理するべきだったな。

「あの装置の防衛システムは? 確かあるはずよ。おじいちゃんが言ってたもの」
「ニーナ、それは本当かい?」
『はい、なの。でもそれは……ニーナなの。ニーナが、町を守る力、なの……でも今のニーナには、そんな力、残ってなくて……』

 あ……神力が衰え、今にも消滅しかかってた土地神様だったんだ。
 お供えポイントがあるとはいえ、使ってしまえば後がない。

『ニーナ、やるです。志導お兄ちゃんを助けるっ』
「ダメだっ。今君が力を使い果たしてしまったら、この先この町を誰が守れるんだ。いなくなったら俺だって困る。だから別の手を考えよう。いいね、ニーナ」
『志導……お兄ちゃん……』
「ま、待って。その子、まさか土地神様!?」
「え……あ、あぁ、そうなんだ。土地神様のニーナだよ」

 言っちゃっても良かった?

「はぁ~ん。か、かわいいぃ~……あ、コホンッ。えっと、とりあえず私がモンスターを倒すわ。数が多くなければ、なんとかなるし」
「多かったら?」
「え……えぇっと……」

 どこか頑丈な建物はないだろうか。防衛出来そうな場所とか。
 そこかしこにある瓦礫でバリケードを作る手もある。

『あ……思い出した、です』
「ん? 何を思い出したんだ?」
『ニーナは時々、お休みする、です。その間、町を守るために、魔導装置のもう一つの機能を動かしてたです。人間を、食べ物だと思うモンスターだけに、頭キーンってする音を出す、ですの!』

 あ、頭キーン?





 魔導統治のある塔まで、みんなでやって来た。ユラはふらふらだけど、置いてはいけない。
 塔の前で休ませ、俺と彼女、それからニーナは中へと入った。

「どこをどう動かせばいいんだ?」
「どこをどうって、これを起動したのはあなたなのに知らないの?」
「いや、それはその……」

 その時、ズンっと地響きが鳴った。
 これってもしかして、オークか? しかもこの振動だと、一頭二頭って数じゃない。

「来てるわね。マズいわ。数が多い」
「私、も……」
「クアァァ」

 群れだ。きっとオークの群れが向かって来ている。
 クソッ。モンスターの頭をキーンってさせるには、どうすればいいんだ!?

 あ……解析眼が出た!
 もしかしてこの解析眼、知りたいと思ったその時々の内容を表示させているのか?
 まだまだわからないことが多いけど、今はとりあえず解決策が出た。

「でも純度の高いエメラルドが必要って……」

 手に入るかニーナに訊ねようと振り返ると、塔から出ていく女剣士の姿が見えた。

「私が時間を稼ぐから、その間にあなたが装置を動かして!」
「う、動かし方はわかったんだ! でもそのためには純度の高いエメラルドが必要でっ」
「エメラルド……じゃあこれを使って!」

 彼女は胸元のブローチを外すと、それを一度ぎゅっと握ってから俺に向かって投げてよこした。
 え、これエメラルド!?

「こ、これっ」
「おじいちゃんからもらった物なの。使ってっ」
「おじいちゃんからって、そんな大事なものっ」
「命より大切なものなんてない。おじいちゃんの口癖よ」

 そう言って彼女は微笑んだ。
 その笑顔を俺は……知っている気がする。

 っと、今はそんな感傷に浸っている時じゃない。
 命より大切なものはない。その通りだ。

「使わせてもらいます」

 エメラルドを握る手が汗ばむ。
 宝石なんて持ったこともないし、上手くいかなきゃオークを追い払えない。どうしたって緊張する。
 だけど解析眼がエメラルドをはめるべき位置も教えてくれているし――ここだ!
 エメラルドをはめ込むと、途端に装置が動き出した。
 お、と……音? いや、何も聞こえない気がするけど。
 だが、外では既に異変が起きていた。

「プギャアァァァァァァァァ」
「ギッ、プギギィ」

 瓦礫の向こうから今まさにこちらへとやってこようとしていたオークたちが、頭を抱えて回れ右を始めた。そしてそのまま町の外へ向かって走り出す。
 撃退……出来た?

『やったですの。これでしばらく大丈夫、なのです』
「しばらく? どのくらい大丈夫なんだろうか?」
『わ、わかんないですの。魔導装置を見て、わからないですか?』

 あぁ、そうか。解析眼なら――うん、出てた。

「セットするエメラルドの純度やサイズで変わるようだ」
「どのくらい?」

 エメラルドの提供者本人もやって来た。

「半年は持つってさ。それまでの間に、別のエメラルドを探さないと」
「出来れば早く見つけてくれると、それも外せるわよ、ね?」
「あはは、そうだね。早く別のを探そう。ニーナ、心当たりある? 出来れば比較的安全に見つけたいんだけど」
『町の中、探せばあるかも、です』

 なるほど。言われてみればあるはずだろう。明日、明るくなったらさっそく探そう。

「あ、そう言えば自己紹介がまだだったね。俺は志導。さっきは助けてくれてありがとう」
「……わ、私は……レイア。こちらこそ、ありがとう」

 そう言って彼女は笑う。

 あ……わかった。彼女に見覚えがあったのは、似ているからなんだ。
 髪や瞳の色はまったく違うけれど、容姿は高校生時代の風見さんにそっくりだ。
 どうりで既視感あるわけだよ。

 でも、彼女は転生したんだ。
 もし同じ世界に転生していたとしても、今は生まれたばかり。彼女なわけがない。
 それに……。

「……出来れば別の、平和な世界に転生していてほしいな」

 俺の知らない、どこか別の世界で――そこで幸せになってくれることを祈ってる。