店を出た瞬間、夜の空気がひやっと頬をなでた。
さっきまでのワイワイした熱気が嘘みたいに、通りは静かで、街灯の光だけが路面に丸い輪っかを落としている。

俺と柾は、並んで駅のほうへ歩き出した。
でも、しばらくのあいだ、どっちも口を開かなかった。

……なんだ、この沈黙。
気まずいわけじゃないけど、なんていうか、変に意識する……

右隣には、さっきまで合コン会場で女子をざわつかせていた彫刻イケメン。
街灯に照らされる横顔が、本当に漫画みたいな整い方をしていて、見ちゃいけない気がして、でもたまにチラ見してしまう。

「……ふふ」

小さく笑い声が聞こえた。
柾だ。

「え、なに。急に笑った?」

思わず聞き返すと、柾は前を見たまま、少しだけ肩を揺らした。

「いや、なんかさ。俺、今けっこう機嫌いいなって思って」

「機嫌いいの?」

「うん。……嬉しかったから」

そこでようやく、こっちに視線を向けてきた。
街灯の下で目が合って、心臓が一瞬、変な跳ね方をする。

「嬉しかったって、なにが?」

「今日のこと全部。……相沢くんのおかげで、けっこう救われた」

「え、俺?」

思わず指さしてしまう。
いや、他に相沢なんていないんだけど。
柾はこくりと頷いて、少しだけ言葉を探すみたいに前髪を指でいじった。

「なんかさ、ああいう場って、俺、勝手にちゃんとしなきゃって思っちゃうんだよね。場つなぎとか、空気読むとか、女子に失礼ないようにとかさ。でも、今日は途中から『あ、これ相沢くんにだけは素で喋っていいな』って思った」

「……え」

あまりにもストレートに言われて、足が半歩だけ止まりそうになる。
でも止まったら変だから、何事もなかったみたいに歩き続けた。

なにそれ。そんなこと、さらっと言う?

「だから、嬉しかった。……ありがと」

最後の「ありがと」が、妙に素直で。
夜風の中で耳だけが熱くなる感じがして、慌てて手を振った。

「い、いやいやいや。俺なんもしてないし。……あのさ」

「うん?」

「俺も、嬉しかったよ。今日」

柾が、ほんの少しだけ驚いた顔をした。

「女子たち、ほぼ俺のこと透明人間扱いだったじゃん?」

「……まあ、うん」

柾が苦笑する。

「でもさ。そういうとき、絶対成瀬くんが、相沢くんは?って話題振ってくれたじゃん。俺のグラスもちゃんと見てくれたし、サラダもとってくれたし」

歩きながら、そのときの光景がフラッシュバックする。

「……あれ、めちゃくちゃ嬉しかった」

柾が小さく笑う。
でも、その笑い方は馬鹿にする感じじゃなくて、どこか安心したみたいな、柔らかいやつだった。

「だから、その……ありがとう。女子に無視されてても、成瀬くんがちゃんと気にかけてくれてたから。初めての合コン、あんまりしんどくなかった」

「……そっか」

短く返事をしてから、柾は少しだけ早足になって、俺の前に半歩出た。
そしてくるりと振り返る。

「じゃあさ」

「ん?」

「もう、ちゃんと友達になろうよ」

心臓が、また変な跳ね方をする。

「……え?」

「いや、今までが友達じゃなかったとかじゃなくてね」

慌てて両手を軽く振る柾を見て、つい笑ってしまう。
意外とこういうところで必死になるの、ずるい。

「今日さ、相沢くんと喋ってて、『この人とちゃんと友達になりたい』って、心から思ったんだよ。なんか、そういうの初めてかもしれない」

「初めて……?」

「うん。今までの友達も、もちろん大事だけど……なんか、ちゃんとって感じとは違ったというか。流れで仲良くなって、そのまま、みたいな」

少し考え込むように目線をそらしてから、またこっちを見る。

「でも相沢くんは、あ、ちゃんと俺から選びたいなって思った。……だから、友達になってほしい」

言葉の一つ一つが、じかに胸に落ちてくる。

なにそれ。ずるいだろ。

脳内でそう突っ込みながら、口から出てきた言葉は、想像以上に即答だった。

「お、お願いします!」

ほとんど反射みたいな勢いで頭を下げていた。
夜の歩道の真ん中で、何やってんだ俺。
顔を上げると、柾は一瞬ぽかんとしたあと、ふっと目を細めた。

「そんなバイトの面接みたいに言わなくても」

「いや、なんか……身体が勝手に」

「真面目だなあ、相沢くん」

からかうような言い方だけど、その声はどこか嬉しそうで。
俺もつられて笑ってしまう。
ふたりでまた歩き出して、駅の看板が見えてきたあたりで、柾はわざとらしく咳払いをしてから、真面目な顔で言った。

「ちなみに──相方には……?」

「相方?」

一瞬、頭の中で柾がミルクマンをやっていた映像がよみがえり、自分の顔からさっと血の気が引いていくのがわかった。

「ダメ?」

「……友達は全然いい。むしろぜひお願いします、なんだけど」

一度言葉を区切って、両手を胸の前でクロスさせる。

「相方はNGで。命の危険は感じたくない」

自分で言っててちょっと笑えてきて、つられて柾も笑い出す。

「そんな大げさな」

「大げさじゃないって。だから、友達は全力でやるけど──相方はごめん。命はひとつしかない」

「なるほどね」

柾はくすくす笑いながら、少しだけ視線を落とした。

「じゃあ、相方は諦めるか。……とりあえず、友達からで我慢します」

「よ、よろしく」

駅の入口の明かりが目の前に広がる。
行き交う人のざわめきが、少しずつ大きくなっていく。
その手前で、ふたりとも足を緩めた。

「じゃあ、今日はありがとね」

柾が手を軽く上げる。

「こっちこそ。……なんか、人生初の合コンだったけど、思ったより楽しかったよ」

「そりゃよかった」

最後にもう一度だけ目が合う。

「またね」

「うん。また」

それだけ言って、それぞれ改札のほうへ歩き出す。
人の波に紛れていく柾の背中を、しばらく目で追ってしまった。
さっきまでとなにも変わらない姿なのに、もう今日の合コンのイケメンじゃなくて、友達になった相手に見えてくる。

……なんか、すげえな。

胸の奥がじんわり温かいこの感じを、どう表現したらいいのか、まだうまく言葉が見つからない。
でもひとつだけ、はっきりしている。
俺の大学生活、今日からちょっとだけ面白くなりそうだ。