一ノ宮メノウの朝は早い。
母屋の使用人たちに咎められる前に、世話係の佳也子と千佳子と共に井戸から一日に必要な水を汲んでおく必要があるからだ。
母は五歳の時にすでに病死している。
父の泰治と母は実家同士の政略結婚だったと話し好きの下女から聞いた。母も財閥白鷗の令嬢だったが妾の子で実家でも、嫁ぎ先でも大事にされなかった。
そんな母が産んだ私ももちろん、白鷗家に認識されていたが男子じゃなかったので母が亡くなった時に白鷗家に引き取られることはなかった。
その後母の生前から父には愛人が居たらしく、その後妻が嫁いでくると世話係の佳也子とその娘と共に母屋から小さな小屋の離れへと私は部屋を移された。
それから一ノ宮の正当なご令嬢だったが表舞台には一切顔を出すことなく、十二年の月日が経とうとしていた。
白鷗の邸に語り継がれる神に仕える巫女の家系ゆえの、古い約束。
現白鴎の当主すらすっかり忘れていた、白鷗家の巫女は繁栄の証。
神の花嫁として、一族を栄えさせるだろうという話。
ここ二百年ほど巫女が産まれなかった故に忘れられていたが、私を産んだ母和代は自身の娘が白鷗家の巫女であり、神の花嫁になることを知っていた。
それは白鷗家にも結婚相手で私の父である泰治にも伝えられることは無かった。
巫女だと知られると、私が白鷗にも一ノ宮にも都合のいいように扱われることが想像できたから。
娘に幸せになってほしいという願いから、神の花嫁になる私のことを母は信頼のおける佳也子にしか伝えなかった。
自身が早世した後で一ノ宮の家で私が冷遇されることとなった。
「メノウを神様が迎えに来たらしっかりとお迎えし、メノウを送り出して頂戴。そうすればメノウは愛されるのはもちろんのこと、佳也子と千佳子は安泰に暮らせるから」
母の遺言を力にして佳也子は不遇の私を一身に自身の子と同じく育て上げた。
邸から出してもらえない私のために姉同然の千佳子が女学校の教科書で一緒に勉強し、令嬢の所作も教え込んだ。
白髪に見られがちだが、実は珍しい銀に輝く髪と紫の瞳の私。黒髪黒目の多いこの国では目立つが、その髪と瞳が白鷗家の巫女の証だった。そして美しい令嬢へと育ち、本日十七歳の誕生日を迎えた。
二歳年下の異母妹も同じ日の生まれのため、朝から邸はそちらの誕生日を祝うために忙しいが、それでもかまわなかった。
私は自身の誕生日が邸で祝われたことなどないことを知っているし、祝ってくれる気のない人に祝われても嬉しくもないから。
しかし、こんな忙しい日は佳也子が母屋に駆り出されてしまうのが常で、佳也子は昼過ぎには申し訳なさそうに私に言った。
「メノウ様。お誕生日おめでとうございます。夜にはささやかですが千佳子と一緒にお祝いしますので、和代様の手紙を読んでお待ちくださいね」
そんな言葉と共に渡されたのはすこし色褪せた手紙。十七になるまで、毎年私に向けて母は手紙と祝いの品を残してくれた。
母も令嬢ではあるが、白鷗家の妾の娘だった。
縁続きのためだけに十二で白鷗家に引き取られ、十七で一ノ宮に嫁がされて十八で私を産んだ。
うっすらと記憶に残る母は恨み言一つ言わず、私を気にかけ可愛がってくれた。
母の愛は本物で、そんな母の信頼する佳也子が育て続けてくれたことが何よりありがたいことだ。
たとえ慎ましく財閥の令嬢らしくない生活でも、生きてさえいれば何とかなるものである。
十二年も不遇であれば、人間思考も逞しくなる。私は表には出ずとも、勉学も所作もしっかりと身につけた一人の令嬢として逞しくなっていたのである。そのことを後妻も、異母妹も、父泰治も知らない。
そして、十七歳の誕生日の手紙は今までの手紙より少し厚みがあった。
『十七歳のメノウへ
誕生日おめでとう。ようやく大人の女性の仲間入りね。あなたは白鷗家の巫女です。
白鷗家は神に仕える巫女の家系。すっかり忘れ去られているけれど、巫女がいることで家が栄えた、そんな家なの。
今回は巫女を冷遇してきたので白鷗家は今後斜陽の一途を辿るでしょう。もちろん、あなたの父もあなたには冷たかったはずです。
一ノ宮の家も巫女を大切にしなかったことで斜陽になるでしょう。私は白鷗の家にいる間に、白鷗家の歴史を習いました。
そして神の花嫁になる巫女は白髪に見える銀髪と紫の瞳の娘だと習いました。産まれたあなたはまさにその色を持っていた。
生まれたときもその後もあまり人目にさらしませんでした。白鷗家にも会わせなかった。あなたには幸せになってもらいたいから。
家の繁栄のために甘やかして過ごさせることも違うと思ったし、もし巫女と知られれば私の手から奪われていたことでしょう。
短い時間だったけれど、あなたと過ごせたことが私の幸せだった。メノウも幸せになってほしい、だから佳也子にしか巫女のことは知らせていません。
今夜、あなたの元には神様のお迎えがいらっしゃることでしょう。神様は懐深く、慈愛深い方だと記されていました。
きっと、幸せになれます。神様の手を取り、己の人生を歩むことを母は望みます。
一ノ宮家や白鷗家に縛られることはありません。今回の品は、嫁ぐ巫女のための衣装にしました。
きっとメノウによく似合うでしょう。己の望むままに、幸せになってね。
母 和代より 』
手紙と共に置かれていた箱を開ければ、母が見立てた花嫁衣裳。
赤の地布に紫の花菖蒲に鶴の舞う見事な色打掛。
「お母様、ありがとうございます。たとえお迎えが来なくとも、これを誕生日に羽織れるだけで幸せだわ」
私はそうつぶやくと小さな小屋の、小さな縁側で夕暮れに輝き始めた星と月を見て色打掛を羽織り微笑んだ。
日々慎ましくとも毎年母から祝いの品が準備され、大好きな育ての母の佳也子と姉同様の千佳子が祝ってくれる。
小さな世界だけれど、それで十分だし幸せだった。
そんな私の元に、母の手紙通りに神様が迎えに来るのは読んでいても驚かずにはいられなかった。
日が沈み、月が出るころようやく佳也子が離れに戻って来た。
「まぁ、よくお似合いですよ。メノウ様」
母が用意してくれた色打掛を羽織っていると、そんな風に母屋から戻った佳也子に声を掛けられた。
同じく佳也子より先に母屋の手伝いに行っていた千佳子も一緒に戻ったらしく、私の羽織っている色打掛に目を見張っていた。
「本当によくお似合いです。和代様は、本当にセンスが良い方ですね」
亡くなった母まで褒めるのだから、佳也子も千佳子も私贔屓なのである。
「こんなにりっぱな打掛をよく今日まで見つからずにいられたわね?」
私の疑問はもっともなものだったのだろう。
関わりたくないという割に定期的にこの小屋を後妻と異母妹が物色しては物を持ち去っていくのだ。
一昨年、誕生日に母が用意していたツゲの櫛とかんざしを持ち去られ、その前年はリボンだったがそれも持ち去られた。
誕生日の祝いの品は数日後には持ち去られるのが常になっていたが去年からは、上手く隠すようになった。
去年は首飾りだったのもあり、身につけて服の下に隠して事なきを得たのだ。
父から色々買い与えられているので私の祝いの品など大したことはないだろうに、毎年嫌がらせで誕生日の翌日か二日後には家探しに来る、卑しい親娘だとしか思えない。
そして、毎回異母妹の誕生日はどんな食事に、数々の祝いの品が届いたかを自慢げに話しながら、亡くなった母からの祝いの品を取り上げていく。
「今年のお祝いは、この衣裳を頼んだ呉服問屋さんに今年の誕生日まで預かってもらっていたのです。今日ここに運んでもらったので無事でした」
お母様の采配も見事だと思わずにはいられない。
先々まで見越していたのは、弱いながらに先見の力を持っていたからだと去年の手紙に書かれていた。
巫女ではなくとも、巫女の家系として力を持っていたお母様。
その力を実家のために使うことはなく、白鷗家は母の力を知ることは無かったという。
佳也子は母の力を知っていたので、今年届くことも理解していたようだ。
一緒に準備を手伝っていたので毎年の祝いの品を熟知していたのはもちろん、去年からは上手く隠せる品に変えたのも母の先見の力での采配だという。
「私にも何か力があるのかしらね?」
そんな言葉をつぶやくと、佳也子も千佳子も頷いている。
「和代様も、十七のお誕生日にお力が目覚めたと伺っております。メノウ様も今日あたりだと思いますよ」
なんて言葉を添えて、ささやかにカステラと御夕飯を食べて、月を見つつ誕生日の一日が終わろうとしたとき。
私の前に、一人の青年が現れた。
天狗のお面をかぶっており顔は見えないが、その存在感は人ではないことを伝えてくる。
「巫女の娘。迎えに来た」
声はお面で籠るようなことも無く、穏やかに私の元に届く。
「メノウと申します。天狗の神様、どうぞお連れ下さい」
私たちのやり取りを、異変を察知して覗きに来た佳也子と千佳子が気付いて見守っていた。
そんな二人の存在に天狗の神様が気付かないわけもない。
二人に向かって神様は、穏やかに言った。
「我が花嫁が長いこと世話になっていたこと、感謝する。二人には加護を与えよう。二人は今後恵まれるであろう。もしこの家を出るのであれば天宮を訪ねてくればよい。では、巫女はもらい受ける」
二人は神様である目の前の男性の言葉に頷き、頭を下げた。
それと共に、私は神様に抱えられて颯爽と離れである小屋から抜け出し一ノ宮の家から出られた。
神様らしく、颯爽と空を飛ぶように移動するのは天狗の神様だからだろうか?
なんて疑問に思っていると、神様は楽し気に言う。
「我が名は佐彦という。母は天宇受売命、父は猿田彦で父の二代目として神代から現世のいままで世を見守り続けている天狗の神だ」
神話の時代の神様の子どもが夫になるとは思いもしなかったけど、白鷗の巫女は神様の花嫁になるのは猿田彦神様とのお約束だったと教えてくれた。
「その髪と目では人の世では暮らしにくかろう?まして何かしらの力に富んだ娘だ。故に現世と神代の境に住む幽世の神が花嫁にもらい受けることが決まったのだ。メノウと同じ色で産まれる娘たちはみな神使や神自身に好かれることが多い。我が邸でも好かれるであろう」
話をしつつ降り立ったのは都でも、一ノ宮と白鷗とをさらに抑えて栄える財閥天宮の大屋敷だった。
外に出たことがない私でも、天宮の大屋敷は聞いたことがある。
国を支える皇族に次ぐ広さと栄華を誇るお邸で、四代前の皇族の降嫁先としても知られている。
財閥の中でも一番の名家である。そんな大屋敷に降り立つと、すっと現れた人ならざる者たちの気配。
しかし恐ろしいとも感じず、むしろ歓迎されているように思い私は内心で首を傾げた。
「花嫁様、ようこそ天宮の大屋敷へ。旦那様、良きお嫁様ですね。澄んだ気を持った大変稀なる花嫁様です」
そんな風に声をかけて来たのは、スッとした糸目の女人。その横にはきりっとした表情の女人も並んでいる。
「しかし、いささか栄養が不足気味のご様子。ここではたんとお食べになって、元気な赤様を産んでもらわねば」
きりっとした女人ははっきりと物申す様子だが、天狗の神たる佐彦はそれを容認しているようで、咎めることも無く口の端に笑みを浮かべて答えた。
「一ノ宮では令嬢の扱いを受けず、白鷗は気にもかけなかったようだ。彼女の母が最期までこの子自身が幸せになるようにと、周囲から隠した故に巫女と気づかれなかったらしい。それゆえの栄養不足だろう。母の守り故、許してやってほしい」
そんな言葉に、糸目の女人もきりっとした女人も思わずと言った感じで頷き同意を示した。
「母上様の守りでの処遇であれば致し方ありません。母上様も近くでお守りできぬことを、悔しくお思いだったでしょう。無事に十七になられて、本当にようございました」
優しい言葉と共に、私は現世と神代の代理人たる天宮の大屋敷で神様の嫁として暮らすことになったのだった。 先ほど出迎えてくれた二人が私の専属の世話係だと紹介された。
糸目の女人が栄といい、人型になっているが蛙の神使だと話してくれる。
はっきりした顔の女人は名を松といい、同じく人型になっているが猿の神使だと教えてくれた。
「巫女が御生まれになっていたのはメノウ様の誕生時よりこちらは把握しておりました。指折り数えて支度していたのですよ」
話ながら案内されたのは、大屋敷の中でも華やかな花々の庭に面した美しく、大きく開かれた部屋。その中は天蓋の付いた大きなベッドに艶のあるテーブルとビロード張りの美しいソファーやイス。
化粧台もしっかりと鏡の付いた大きなものがあり、そこには化粧品も揃えられている。
「どれもこれも、佐彦様がメノウ様が気に入ってくれるかと吟味して用意した物ばかりです」
栄は楽しそうに部屋を見渡して教えてくれる。
「さ、メノウ様こちらも確認してくださいまし」
部屋の中から続く扉を開けて促された先は、大量の衣裳が収まっている。
そこには西洋風のドレスや普段使いのワンピースから、綺麗な和装に至るまでたくさんの品が納められている。
「この服は、もしかして大屋敷の人々の分もある?」
一部屋丸まると衣裳が存分にあるので、思わずつぶやけばそれに対して答えたのは松だった。
「まさか。この部屋にあるのは全部メノウ様の御衣裳です。どれもこれも、こっそり様子を窺いに行っていた若旦那様が、メノウ様のために選んだ品々です」
ドレスは着たことが無いが千佳子が持ってきた雑誌にはたくさんのドレスのデザイン画があったし、異母妹はよく可愛らしいワンピースを着てきては離れを漁っていったものだけれど……。
私自身は母のお古を手入れして、なんとか過ごしていたので着物が数着しか持っていなかった。
財閥の令嬢にあるまじき状態であったことは間違いがないのだが、すでに令嬢の生活とは?というほど長きにわたって放置された娘だったのでそこに疑問も無かった。
だからこれが財閥貴族の普通と言われると、そうなのかと納得するしかないまま現状をとりあえず受け流していくよりほかない。
「さぁ、ご確認くださいまし。メノウ様に似合う品ばかりですから」
栄も入ってくると、私に衣裳部屋の確認をするように促してくるので私は恐る恐るその部屋の服たちを見ていく。
「着物は正絹で、総絞り⁉ ワンピースもシルクやタフタの重厚な物まで、すごい……」
私自身も裏方となる一ノ宮の家で使用人と同じように仕事をさせられていたこともあり、自分で豪華な衣裳を着ることは無くとも生地は洗濯の注意などもあるため覚えている。
ここにあるのは一級品と言われるシルクの品や、高級毛織物生地を使った冬用のコートなど一ノ宮の奥様や異母妹の衣裳部屋にあった物と変わらないかそれより豪華なものが用意されていることに、驚きを隠せない。
「さて、我が花嫁が気に入るものはあったかな?こちらで用意したもので合わないと思ったら新しいものをいくらでも揃えよう。メノウはこの天宮の若奥様になるのだから」
その声に部屋の入口へと振り返れば、私を迎えに来た佐彦様がこちらをほほえまし気に眺めて立っている。
お顔には迎えに来た時の仮面は無く、薄藍の瞳に紫紺の髪を緩く撫でつけた美丈夫が立っているではないか。
「佐彦様?」
私の声に、頷くと佐彦様は微笑んで隣にやって来る。
「邸の中では仮面が不要なんだ。そろそろ、うちの父と母も突撃してくるかもしれないが……」
なんて話しているところに、慌ただしい使用人の声が響いてきた。
「旦那様、奥様。若旦那様と若奥様は先ほどお屋敷に着いたばかりです。まだお屋敷のご案内も済んでおりませんし、神使のご紹介も、表の顔の使用人の案内すらできておりません!」と叫ぶ声と共に移動する足音が近づいてくる。
すでに響いてきた単語からすると、移動の際に聞いた神代の時代からの神様がこちらに向かっていることが分かるのみ。
花嫁としてお屋敷に招かれているのだからご挨拶はしてしかるべきだとは分かるが、着いて着の身着のままの色打掛を羽織っただけの姿で良いのだろうか?
色打掛の下は普段着の簡単な和装でしかないのだが。
そんな形で、思考しつつも固まっているうちに私の部屋だと言われたところに旦那様と奥様が到着した様子。
「佐彦。無事に花嫁を迎えに行けたのね!良かったわ。ようやく佐彦に花嫁が出来て!」
とっても楽しそうに歓迎ムードで入って来たのは、天宇受売命と言われる神代でも有名な女神様。
そのお隣には、猿田彦神がいてやはり神々しい。
佐彦様も美丈夫であられるが、ご両親たる神様たちも間違いなく美男美女の神様夫婦である。
「まぁ、本当に可愛い子。佐彦の母よ、よろしくねメノウちゃん」
とっても元気な明るい神様のお母様。
その隣には落ち着いた雰囲気の猿田彦神が寄り添っており、二人はとってもお似合いである。
「佐彦の父の猿田彦だ。昔からの約定がようやく果たされ私たちも嬉しい。白鷗家との約束は人の世が落ち着いた頃になされていたが、なかなか巫女が産まれず、生まれても十七歳になれぬまま儚くなっていてな。佐彦の花嫁が来てくれて、私も安心した」
白鷗家には巫女が産まれていたはずなのに、儚くなるとはこれ如何に?
まぁ、昔は短命だったりもあっただろうけれど。そんなに昔からの約束がようやく果たされたらしい。
「ざっと、二千年近いかしらね。ようやく約定の花嫁が迎えられて天宮も安泰だわ」とお母様は言っている。
さすがは神様といって良いのだろうか、約束に関する年代のスケールの桁が違うと思う……。
「ふふ、神様にとっては二千年もそんな大した時間ではないわ。私たちは悠久を司る者たちでもあるし、神に死ぬという概念は存在しないもの」
私は無事に天宮の大屋敷で神様たちに大歓迎で迎え入れられた。
「私で良いのでしょうか?」
お嬢様として過ごしたこともない、異能が顕現するとは聞いているがまだ異能の自覚は無い。
「もちろん。だってあなたが約束の娘であることは、その髪と瞳の色が証だもの。銀の髪と紫の瞳の娘を神の花嫁として迎え入れると白鷗家と約束していたからね」
そうして、ご両親との挨拶と共にそのまま衣裳部屋でのお着替えを済ませて一緒に食事をすることになった。 着替えたのは初めての、可愛らしいワンピース。
「家族での食事だもの、ドレスなんて着るだけで疲れるわ。お腹いっぱい食べてほしいし、ワンピースが良いわね」
というお母様の発言により、栄と松の二人が選んだのは佐彦様の瞳の色の薄藍のワンピース。
ふんわりとしたシルエットの柔らかくも可愛らしいワンピースは私にぴったりで驚く。私の驚きを察したのか着せつけてくれた栄が一言。
「ふふ、私。いい仕事しました」
栄によれば、私の様子を見に行く佐彦様についていき、私をじかに見た栄がサイズと容姿を把握し、こんな色が似合う、こんな生地が良いと佐彦様に直談判し生地を購入。ワンピースも着物もドレスも作ったのだという。
「栄、すごい。私も着物は縫えるけれど、ワンピースやドレスは着物以上に困難でしょう?」
和装より洋装の方が工程も多く作り上げるまでが大変そうだ。
「まぁ、たしかに大変ですが。私眷属も子も多いですから」
糸目で微笑む栄は確か、蛙の神使。
確かにお子さん多そう。
「栄の一族は天宮の一族の衣装を一手に引き受けているのです。数がものをいうのと、意外と手先も器用だし、デザインなんかも学んで反映するので天宇受売命様もいつも喜んでいるのですよ」
栄について語る松も誇らしげ。
自分たちの仕事に誇りをもって仕えていることが伝わる。
「松の一族は掃除や屋敷の修繕に料理を一手に引き受けているのですよ。神使も得手不得手があるので、分担してお屋敷を回し、主人を支えているのです」
この都一の大屋敷は神様の住まい、それを支える神使で成り立っているのだと私もここに来て感じた。
「おや、清廉なる花嫁様ですな」
そんな声が聞こえたのは、食堂に向かう道すがら。
「おや、爺がここに居るのも珍しい」
爺と呼ばれた男性は私を見つめながら微笑んだ。
「良き花嫁様を迎えられてなによりじゃ。異能の顕現も直であろうな。庭が歓喜しておるから」
そんな言葉を残して、爺と呼ばれた男性は立ち去る。
「今のおじいさんは?」私の疑問には松が答えてくれた。
「爺も神使の一人で狸なんだ。庭師だよ」
この広い大屋敷の庭を管理する庭師さん。
それにしても、庭が歓喜ってどういうことなんだろう?私が疑問に思っているうちに食堂へとたどり着いた。
「あぁ、良く似合っている」
食堂に着いた私にまずそう声をかけてくれたのは佐彦様。そして、迎えに来て手を引かれて佐彦様の隣の席に案内されて座る。
「佐彦の色が良く似合うわね。とっても素敵よ、メノウちゃん」
先ほどと同じように、楽しそうに声をかけてくれるお母様に、同意するように頷くお父様。
「これは、いろいろ服を作らねばなるまい。栄、好きなだけ生地を買ってメノウの服をもっと作りなさい」などと、お父様が言い出したのには驚いた。
「父上、メノウは大変綺麗なので衣裳部屋が一つでは足りないかと。三つに増やしたいのですが」
いやいや今の衣裳部屋もまだゆとりがあります、それをあと二つも作るとはどういうことなのでしょう?
私の身体は一つしかありません、服は一日に寝巻と昼間の服で二着が限界ではありませんかね?着るの。
さすがに声に出して言えないから心の中で言っています。表情に出ていたようで、お母様がけろっとおっしゃいます。
「このまま佐彦と結婚して契りを交わすとメノウちゃんはね、神様の嫁として神人になるの。だから、人の理から外れて神様と同じような存在になる。寿命も無いし、老いないから今のサイズでたくさん服を作っておいていいのよ」という説明に、私は驚いたまま固まってしまったのは言うまでもなく。
人じゃなくなるのがどういうことか、神様と同じような存在って言われても想像できない。神様にも初めてお会いしたくらいだし。
「どう変わるのかが、想像もつかないですが。分かりました」という返事しか出来なよね……。
しかし天宮家はつまり神様が当主のお家だとすると、ずっと当主が変わっていないお家だから繫栄し続けているということになるのだろうか。
「天宮家はね、表立っては当主交代しているけれど実質私たちがずっとこのうちに居るから栄えているとは言えるわね。国のトップだけは私たちの正体を知っているの。そして加護を与えるかは私たち次第だから。国の守りが強固か否かはその時の国のトップ次第なのよ」
神様ですものね、気に入るかは神様次第なのだからそれはそうとしか言いようがないような。
「国の守りとは?」
そんな私の疑問にはお父様もお母様も微笑むだけで答えてはくれなかった、もちろん佐彦様も。
「あなたが、私と夫婦の契りを交わしたら、お教えしましょう。あなたが神人になった時に」
それに頷き、食事会はスタートした。
一ノ宮で質素な夕飯にカステラが一切れで終わっていたので、食事会の食事も食べられた。
九つの仕切りのある器に、綺麗に盛り付けられた和食は華やかでとても美味しくてびっくりした。
こんなに美味しい料理があるのだと、感激でお肉も魚もお野菜もどれでも美味しいのが素晴らしいと完食してしまった。
ちゃんと質素ながらいつもの夕飯を食べていたのにと自分の食欲に驚いていると、そんな私をお父様もお母様も佐彦様も微笑ましそうに見守ってくれた。
「さて、そろそろかしらね」
そんな一言と共に、私の中でカチっと何かが切り替わった感覚がすると庭先の蝶や鳥の声が聞こえてくる。
『ようやっと佐彦様に花嫁が来た』
『ほんに可愛らしい花嫁様だこと』
『神使達もえらく気に入ったのは、この清廉な気のおかげだろうね』
『あなたたち私たちの声、彼女には届くみたいよ?』
最後の声は食堂の庭先にある大きな桜の木からだった。
「鳥も、虫も、木の声すらも聞こえるようなのですが」そんな私の言葉に、皆は一つ頷くと佐彦様が言った。
「メノウの異能は、生き物の声を聴くことだね。それは生きる物であればどんなものの声でも聴ける稀有な異能だよ。私の仕事も一緒に手伝ってもらえると有難いな」
そんな佐彦様の言葉に頷きつつも、いきなり聴こえ始めた声に戸惑いを隠せないのだった。
母屋の使用人たちに咎められる前に、世話係の佳也子と千佳子と共に井戸から一日に必要な水を汲んでおく必要があるからだ。
母は五歳の時にすでに病死している。
父の泰治と母は実家同士の政略結婚だったと話し好きの下女から聞いた。母も財閥白鷗の令嬢だったが妾の子で実家でも、嫁ぎ先でも大事にされなかった。
そんな母が産んだ私ももちろん、白鷗家に認識されていたが男子じゃなかったので母が亡くなった時に白鷗家に引き取られることはなかった。
その後母の生前から父には愛人が居たらしく、その後妻が嫁いでくると世話係の佳也子とその娘と共に母屋から小さな小屋の離れへと私は部屋を移された。
それから一ノ宮の正当なご令嬢だったが表舞台には一切顔を出すことなく、十二年の月日が経とうとしていた。
白鷗の邸に語り継がれる神に仕える巫女の家系ゆえの、古い約束。
現白鴎の当主すらすっかり忘れていた、白鷗家の巫女は繁栄の証。
神の花嫁として、一族を栄えさせるだろうという話。
ここ二百年ほど巫女が産まれなかった故に忘れられていたが、私を産んだ母和代は自身の娘が白鷗家の巫女であり、神の花嫁になることを知っていた。
それは白鷗家にも結婚相手で私の父である泰治にも伝えられることは無かった。
巫女だと知られると、私が白鷗にも一ノ宮にも都合のいいように扱われることが想像できたから。
娘に幸せになってほしいという願いから、神の花嫁になる私のことを母は信頼のおける佳也子にしか伝えなかった。
自身が早世した後で一ノ宮の家で私が冷遇されることとなった。
「メノウを神様が迎えに来たらしっかりとお迎えし、メノウを送り出して頂戴。そうすればメノウは愛されるのはもちろんのこと、佳也子と千佳子は安泰に暮らせるから」
母の遺言を力にして佳也子は不遇の私を一身に自身の子と同じく育て上げた。
邸から出してもらえない私のために姉同然の千佳子が女学校の教科書で一緒に勉強し、令嬢の所作も教え込んだ。
白髪に見られがちだが、実は珍しい銀に輝く髪と紫の瞳の私。黒髪黒目の多いこの国では目立つが、その髪と瞳が白鷗家の巫女の証だった。そして美しい令嬢へと育ち、本日十七歳の誕生日を迎えた。
二歳年下の異母妹も同じ日の生まれのため、朝から邸はそちらの誕生日を祝うために忙しいが、それでもかまわなかった。
私は自身の誕生日が邸で祝われたことなどないことを知っているし、祝ってくれる気のない人に祝われても嬉しくもないから。
しかし、こんな忙しい日は佳也子が母屋に駆り出されてしまうのが常で、佳也子は昼過ぎには申し訳なさそうに私に言った。
「メノウ様。お誕生日おめでとうございます。夜にはささやかですが千佳子と一緒にお祝いしますので、和代様の手紙を読んでお待ちくださいね」
そんな言葉と共に渡されたのはすこし色褪せた手紙。十七になるまで、毎年私に向けて母は手紙と祝いの品を残してくれた。
母も令嬢ではあるが、白鷗家の妾の娘だった。
縁続きのためだけに十二で白鷗家に引き取られ、十七で一ノ宮に嫁がされて十八で私を産んだ。
うっすらと記憶に残る母は恨み言一つ言わず、私を気にかけ可愛がってくれた。
母の愛は本物で、そんな母の信頼する佳也子が育て続けてくれたことが何よりありがたいことだ。
たとえ慎ましく財閥の令嬢らしくない生活でも、生きてさえいれば何とかなるものである。
十二年も不遇であれば、人間思考も逞しくなる。私は表には出ずとも、勉学も所作もしっかりと身につけた一人の令嬢として逞しくなっていたのである。そのことを後妻も、異母妹も、父泰治も知らない。
そして、十七歳の誕生日の手紙は今までの手紙より少し厚みがあった。
『十七歳のメノウへ
誕生日おめでとう。ようやく大人の女性の仲間入りね。あなたは白鷗家の巫女です。
白鷗家は神に仕える巫女の家系。すっかり忘れ去られているけれど、巫女がいることで家が栄えた、そんな家なの。
今回は巫女を冷遇してきたので白鷗家は今後斜陽の一途を辿るでしょう。もちろん、あなたの父もあなたには冷たかったはずです。
一ノ宮の家も巫女を大切にしなかったことで斜陽になるでしょう。私は白鷗の家にいる間に、白鷗家の歴史を習いました。
そして神の花嫁になる巫女は白髪に見える銀髪と紫の瞳の娘だと習いました。産まれたあなたはまさにその色を持っていた。
生まれたときもその後もあまり人目にさらしませんでした。白鷗家にも会わせなかった。あなたには幸せになってもらいたいから。
家の繁栄のために甘やかして過ごさせることも違うと思ったし、もし巫女と知られれば私の手から奪われていたことでしょう。
短い時間だったけれど、あなたと過ごせたことが私の幸せだった。メノウも幸せになってほしい、だから佳也子にしか巫女のことは知らせていません。
今夜、あなたの元には神様のお迎えがいらっしゃることでしょう。神様は懐深く、慈愛深い方だと記されていました。
きっと、幸せになれます。神様の手を取り、己の人生を歩むことを母は望みます。
一ノ宮家や白鷗家に縛られることはありません。今回の品は、嫁ぐ巫女のための衣装にしました。
きっとメノウによく似合うでしょう。己の望むままに、幸せになってね。
母 和代より 』
手紙と共に置かれていた箱を開ければ、母が見立てた花嫁衣裳。
赤の地布に紫の花菖蒲に鶴の舞う見事な色打掛。
「お母様、ありがとうございます。たとえお迎えが来なくとも、これを誕生日に羽織れるだけで幸せだわ」
私はそうつぶやくと小さな小屋の、小さな縁側で夕暮れに輝き始めた星と月を見て色打掛を羽織り微笑んだ。
日々慎ましくとも毎年母から祝いの品が準備され、大好きな育ての母の佳也子と姉同様の千佳子が祝ってくれる。
小さな世界だけれど、それで十分だし幸せだった。
そんな私の元に、母の手紙通りに神様が迎えに来るのは読んでいても驚かずにはいられなかった。
日が沈み、月が出るころようやく佳也子が離れに戻って来た。
「まぁ、よくお似合いですよ。メノウ様」
母が用意してくれた色打掛を羽織っていると、そんな風に母屋から戻った佳也子に声を掛けられた。
同じく佳也子より先に母屋の手伝いに行っていた千佳子も一緒に戻ったらしく、私の羽織っている色打掛に目を見張っていた。
「本当によくお似合いです。和代様は、本当にセンスが良い方ですね」
亡くなった母まで褒めるのだから、佳也子も千佳子も私贔屓なのである。
「こんなにりっぱな打掛をよく今日まで見つからずにいられたわね?」
私の疑問はもっともなものだったのだろう。
関わりたくないという割に定期的にこの小屋を後妻と異母妹が物色しては物を持ち去っていくのだ。
一昨年、誕生日に母が用意していたツゲの櫛とかんざしを持ち去られ、その前年はリボンだったがそれも持ち去られた。
誕生日の祝いの品は数日後には持ち去られるのが常になっていたが去年からは、上手く隠すようになった。
去年は首飾りだったのもあり、身につけて服の下に隠して事なきを得たのだ。
父から色々買い与えられているので私の祝いの品など大したことはないだろうに、毎年嫌がらせで誕生日の翌日か二日後には家探しに来る、卑しい親娘だとしか思えない。
そして、毎回異母妹の誕生日はどんな食事に、数々の祝いの品が届いたかを自慢げに話しながら、亡くなった母からの祝いの品を取り上げていく。
「今年のお祝いは、この衣裳を頼んだ呉服問屋さんに今年の誕生日まで預かってもらっていたのです。今日ここに運んでもらったので無事でした」
お母様の采配も見事だと思わずにはいられない。
先々まで見越していたのは、弱いながらに先見の力を持っていたからだと去年の手紙に書かれていた。
巫女ではなくとも、巫女の家系として力を持っていたお母様。
その力を実家のために使うことはなく、白鷗家は母の力を知ることは無かったという。
佳也子は母の力を知っていたので、今年届くことも理解していたようだ。
一緒に準備を手伝っていたので毎年の祝いの品を熟知していたのはもちろん、去年からは上手く隠せる品に変えたのも母の先見の力での采配だという。
「私にも何か力があるのかしらね?」
そんな言葉をつぶやくと、佳也子も千佳子も頷いている。
「和代様も、十七のお誕生日にお力が目覚めたと伺っております。メノウ様も今日あたりだと思いますよ」
なんて言葉を添えて、ささやかにカステラと御夕飯を食べて、月を見つつ誕生日の一日が終わろうとしたとき。
私の前に、一人の青年が現れた。
天狗のお面をかぶっており顔は見えないが、その存在感は人ではないことを伝えてくる。
「巫女の娘。迎えに来た」
声はお面で籠るようなことも無く、穏やかに私の元に届く。
「メノウと申します。天狗の神様、どうぞお連れ下さい」
私たちのやり取りを、異変を察知して覗きに来た佳也子と千佳子が気付いて見守っていた。
そんな二人の存在に天狗の神様が気付かないわけもない。
二人に向かって神様は、穏やかに言った。
「我が花嫁が長いこと世話になっていたこと、感謝する。二人には加護を与えよう。二人は今後恵まれるであろう。もしこの家を出るのであれば天宮を訪ねてくればよい。では、巫女はもらい受ける」
二人は神様である目の前の男性の言葉に頷き、頭を下げた。
それと共に、私は神様に抱えられて颯爽と離れである小屋から抜け出し一ノ宮の家から出られた。
神様らしく、颯爽と空を飛ぶように移動するのは天狗の神様だからだろうか?
なんて疑問に思っていると、神様は楽し気に言う。
「我が名は佐彦という。母は天宇受売命、父は猿田彦で父の二代目として神代から現世のいままで世を見守り続けている天狗の神だ」
神話の時代の神様の子どもが夫になるとは思いもしなかったけど、白鷗の巫女は神様の花嫁になるのは猿田彦神様とのお約束だったと教えてくれた。
「その髪と目では人の世では暮らしにくかろう?まして何かしらの力に富んだ娘だ。故に現世と神代の境に住む幽世の神が花嫁にもらい受けることが決まったのだ。メノウと同じ色で産まれる娘たちはみな神使や神自身に好かれることが多い。我が邸でも好かれるであろう」
話をしつつ降り立ったのは都でも、一ノ宮と白鷗とをさらに抑えて栄える財閥天宮の大屋敷だった。
外に出たことがない私でも、天宮の大屋敷は聞いたことがある。
国を支える皇族に次ぐ広さと栄華を誇るお邸で、四代前の皇族の降嫁先としても知られている。
財閥の中でも一番の名家である。そんな大屋敷に降り立つと、すっと現れた人ならざる者たちの気配。
しかし恐ろしいとも感じず、むしろ歓迎されているように思い私は内心で首を傾げた。
「花嫁様、ようこそ天宮の大屋敷へ。旦那様、良きお嫁様ですね。澄んだ気を持った大変稀なる花嫁様です」
そんな風に声をかけて来たのは、スッとした糸目の女人。その横にはきりっとした表情の女人も並んでいる。
「しかし、いささか栄養が不足気味のご様子。ここではたんとお食べになって、元気な赤様を産んでもらわねば」
きりっとした女人ははっきりと物申す様子だが、天狗の神たる佐彦はそれを容認しているようで、咎めることも無く口の端に笑みを浮かべて答えた。
「一ノ宮では令嬢の扱いを受けず、白鷗は気にもかけなかったようだ。彼女の母が最期までこの子自身が幸せになるようにと、周囲から隠した故に巫女と気づかれなかったらしい。それゆえの栄養不足だろう。母の守り故、許してやってほしい」
そんな言葉に、糸目の女人もきりっとした女人も思わずと言った感じで頷き同意を示した。
「母上様の守りでの処遇であれば致し方ありません。母上様も近くでお守りできぬことを、悔しくお思いだったでしょう。無事に十七になられて、本当にようございました」
優しい言葉と共に、私は現世と神代の代理人たる天宮の大屋敷で神様の嫁として暮らすことになったのだった。 先ほど出迎えてくれた二人が私の専属の世話係だと紹介された。
糸目の女人が栄といい、人型になっているが蛙の神使だと話してくれる。
はっきりした顔の女人は名を松といい、同じく人型になっているが猿の神使だと教えてくれた。
「巫女が御生まれになっていたのはメノウ様の誕生時よりこちらは把握しておりました。指折り数えて支度していたのですよ」
話ながら案内されたのは、大屋敷の中でも華やかな花々の庭に面した美しく、大きく開かれた部屋。その中は天蓋の付いた大きなベッドに艶のあるテーブルとビロード張りの美しいソファーやイス。
化粧台もしっかりと鏡の付いた大きなものがあり、そこには化粧品も揃えられている。
「どれもこれも、佐彦様がメノウ様が気に入ってくれるかと吟味して用意した物ばかりです」
栄は楽しそうに部屋を見渡して教えてくれる。
「さ、メノウ様こちらも確認してくださいまし」
部屋の中から続く扉を開けて促された先は、大量の衣裳が収まっている。
そこには西洋風のドレスや普段使いのワンピースから、綺麗な和装に至るまでたくさんの品が納められている。
「この服は、もしかして大屋敷の人々の分もある?」
一部屋丸まると衣裳が存分にあるので、思わずつぶやけばそれに対して答えたのは松だった。
「まさか。この部屋にあるのは全部メノウ様の御衣裳です。どれもこれも、こっそり様子を窺いに行っていた若旦那様が、メノウ様のために選んだ品々です」
ドレスは着たことが無いが千佳子が持ってきた雑誌にはたくさんのドレスのデザイン画があったし、異母妹はよく可愛らしいワンピースを着てきては離れを漁っていったものだけれど……。
私自身は母のお古を手入れして、なんとか過ごしていたので着物が数着しか持っていなかった。
財閥の令嬢にあるまじき状態であったことは間違いがないのだが、すでに令嬢の生活とは?というほど長きにわたって放置された娘だったのでそこに疑問も無かった。
だからこれが財閥貴族の普通と言われると、そうなのかと納得するしかないまま現状をとりあえず受け流していくよりほかない。
「さぁ、ご確認くださいまし。メノウ様に似合う品ばかりですから」
栄も入ってくると、私に衣裳部屋の確認をするように促してくるので私は恐る恐るその部屋の服たちを見ていく。
「着物は正絹で、総絞り⁉ ワンピースもシルクやタフタの重厚な物まで、すごい……」
私自身も裏方となる一ノ宮の家で使用人と同じように仕事をさせられていたこともあり、自分で豪華な衣裳を着ることは無くとも生地は洗濯の注意などもあるため覚えている。
ここにあるのは一級品と言われるシルクの品や、高級毛織物生地を使った冬用のコートなど一ノ宮の奥様や異母妹の衣裳部屋にあった物と変わらないかそれより豪華なものが用意されていることに、驚きを隠せない。
「さて、我が花嫁が気に入るものはあったかな?こちらで用意したもので合わないと思ったら新しいものをいくらでも揃えよう。メノウはこの天宮の若奥様になるのだから」
その声に部屋の入口へと振り返れば、私を迎えに来た佐彦様がこちらをほほえまし気に眺めて立っている。
お顔には迎えに来た時の仮面は無く、薄藍の瞳に紫紺の髪を緩く撫でつけた美丈夫が立っているではないか。
「佐彦様?」
私の声に、頷くと佐彦様は微笑んで隣にやって来る。
「邸の中では仮面が不要なんだ。そろそろ、うちの父と母も突撃してくるかもしれないが……」
なんて話しているところに、慌ただしい使用人の声が響いてきた。
「旦那様、奥様。若旦那様と若奥様は先ほどお屋敷に着いたばかりです。まだお屋敷のご案内も済んでおりませんし、神使のご紹介も、表の顔の使用人の案内すらできておりません!」と叫ぶ声と共に移動する足音が近づいてくる。
すでに響いてきた単語からすると、移動の際に聞いた神代の時代からの神様がこちらに向かっていることが分かるのみ。
花嫁としてお屋敷に招かれているのだからご挨拶はしてしかるべきだとは分かるが、着いて着の身着のままの色打掛を羽織っただけの姿で良いのだろうか?
色打掛の下は普段着の簡単な和装でしかないのだが。
そんな形で、思考しつつも固まっているうちに私の部屋だと言われたところに旦那様と奥様が到着した様子。
「佐彦。無事に花嫁を迎えに行けたのね!良かったわ。ようやく佐彦に花嫁が出来て!」
とっても楽しそうに歓迎ムードで入って来たのは、天宇受売命と言われる神代でも有名な女神様。
そのお隣には、猿田彦神がいてやはり神々しい。
佐彦様も美丈夫であられるが、ご両親たる神様たちも間違いなく美男美女の神様夫婦である。
「まぁ、本当に可愛い子。佐彦の母よ、よろしくねメノウちゃん」
とっても元気な明るい神様のお母様。
その隣には落ち着いた雰囲気の猿田彦神が寄り添っており、二人はとってもお似合いである。
「佐彦の父の猿田彦だ。昔からの約定がようやく果たされ私たちも嬉しい。白鷗家との約束は人の世が落ち着いた頃になされていたが、なかなか巫女が産まれず、生まれても十七歳になれぬまま儚くなっていてな。佐彦の花嫁が来てくれて、私も安心した」
白鷗家には巫女が産まれていたはずなのに、儚くなるとはこれ如何に?
まぁ、昔は短命だったりもあっただろうけれど。そんなに昔からの約束がようやく果たされたらしい。
「ざっと、二千年近いかしらね。ようやく約定の花嫁が迎えられて天宮も安泰だわ」とお母様は言っている。
さすがは神様といって良いのだろうか、約束に関する年代のスケールの桁が違うと思う……。
「ふふ、神様にとっては二千年もそんな大した時間ではないわ。私たちは悠久を司る者たちでもあるし、神に死ぬという概念は存在しないもの」
私は無事に天宮の大屋敷で神様たちに大歓迎で迎え入れられた。
「私で良いのでしょうか?」
お嬢様として過ごしたこともない、異能が顕現するとは聞いているがまだ異能の自覚は無い。
「もちろん。だってあなたが約束の娘であることは、その髪と瞳の色が証だもの。銀の髪と紫の瞳の娘を神の花嫁として迎え入れると白鷗家と約束していたからね」
そうして、ご両親との挨拶と共にそのまま衣裳部屋でのお着替えを済ませて一緒に食事をすることになった。 着替えたのは初めての、可愛らしいワンピース。
「家族での食事だもの、ドレスなんて着るだけで疲れるわ。お腹いっぱい食べてほしいし、ワンピースが良いわね」
というお母様の発言により、栄と松の二人が選んだのは佐彦様の瞳の色の薄藍のワンピース。
ふんわりとしたシルエットの柔らかくも可愛らしいワンピースは私にぴったりで驚く。私の驚きを察したのか着せつけてくれた栄が一言。
「ふふ、私。いい仕事しました」
栄によれば、私の様子を見に行く佐彦様についていき、私をじかに見た栄がサイズと容姿を把握し、こんな色が似合う、こんな生地が良いと佐彦様に直談判し生地を購入。ワンピースも着物もドレスも作ったのだという。
「栄、すごい。私も着物は縫えるけれど、ワンピースやドレスは着物以上に困難でしょう?」
和装より洋装の方が工程も多く作り上げるまでが大変そうだ。
「まぁ、たしかに大変ですが。私眷属も子も多いですから」
糸目で微笑む栄は確か、蛙の神使。
確かにお子さん多そう。
「栄の一族は天宮の一族の衣装を一手に引き受けているのです。数がものをいうのと、意外と手先も器用だし、デザインなんかも学んで反映するので天宇受売命様もいつも喜んでいるのですよ」
栄について語る松も誇らしげ。
自分たちの仕事に誇りをもって仕えていることが伝わる。
「松の一族は掃除や屋敷の修繕に料理を一手に引き受けているのですよ。神使も得手不得手があるので、分担してお屋敷を回し、主人を支えているのです」
この都一の大屋敷は神様の住まい、それを支える神使で成り立っているのだと私もここに来て感じた。
「おや、清廉なる花嫁様ですな」
そんな声が聞こえたのは、食堂に向かう道すがら。
「おや、爺がここに居るのも珍しい」
爺と呼ばれた男性は私を見つめながら微笑んだ。
「良き花嫁様を迎えられてなによりじゃ。異能の顕現も直であろうな。庭が歓喜しておるから」
そんな言葉を残して、爺と呼ばれた男性は立ち去る。
「今のおじいさんは?」私の疑問には松が答えてくれた。
「爺も神使の一人で狸なんだ。庭師だよ」
この広い大屋敷の庭を管理する庭師さん。
それにしても、庭が歓喜ってどういうことなんだろう?私が疑問に思っているうちに食堂へとたどり着いた。
「あぁ、良く似合っている」
食堂に着いた私にまずそう声をかけてくれたのは佐彦様。そして、迎えに来て手を引かれて佐彦様の隣の席に案内されて座る。
「佐彦の色が良く似合うわね。とっても素敵よ、メノウちゃん」
先ほどと同じように、楽しそうに声をかけてくれるお母様に、同意するように頷くお父様。
「これは、いろいろ服を作らねばなるまい。栄、好きなだけ生地を買ってメノウの服をもっと作りなさい」などと、お父様が言い出したのには驚いた。
「父上、メノウは大変綺麗なので衣裳部屋が一つでは足りないかと。三つに増やしたいのですが」
いやいや今の衣裳部屋もまだゆとりがあります、それをあと二つも作るとはどういうことなのでしょう?
私の身体は一つしかありません、服は一日に寝巻と昼間の服で二着が限界ではありませんかね?着るの。
さすがに声に出して言えないから心の中で言っています。表情に出ていたようで、お母様がけろっとおっしゃいます。
「このまま佐彦と結婚して契りを交わすとメノウちゃんはね、神様の嫁として神人になるの。だから、人の理から外れて神様と同じような存在になる。寿命も無いし、老いないから今のサイズでたくさん服を作っておいていいのよ」という説明に、私は驚いたまま固まってしまったのは言うまでもなく。
人じゃなくなるのがどういうことか、神様と同じような存在って言われても想像できない。神様にも初めてお会いしたくらいだし。
「どう変わるのかが、想像もつかないですが。分かりました」という返事しか出来なよね……。
しかし天宮家はつまり神様が当主のお家だとすると、ずっと当主が変わっていないお家だから繫栄し続けているということになるのだろうか。
「天宮家はね、表立っては当主交代しているけれど実質私たちがずっとこのうちに居るから栄えているとは言えるわね。国のトップだけは私たちの正体を知っているの。そして加護を与えるかは私たち次第だから。国の守りが強固か否かはその時の国のトップ次第なのよ」
神様ですものね、気に入るかは神様次第なのだからそれはそうとしか言いようがないような。
「国の守りとは?」
そんな私の疑問にはお父様もお母様も微笑むだけで答えてはくれなかった、もちろん佐彦様も。
「あなたが、私と夫婦の契りを交わしたら、お教えしましょう。あなたが神人になった時に」
それに頷き、食事会はスタートした。
一ノ宮で質素な夕飯にカステラが一切れで終わっていたので、食事会の食事も食べられた。
九つの仕切りのある器に、綺麗に盛り付けられた和食は華やかでとても美味しくてびっくりした。
こんなに美味しい料理があるのだと、感激でお肉も魚もお野菜もどれでも美味しいのが素晴らしいと完食してしまった。
ちゃんと質素ながらいつもの夕飯を食べていたのにと自分の食欲に驚いていると、そんな私をお父様もお母様も佐彦様も微笑ましそうに見守ってくれた。
「さて、そろそろかしらね」
そんな一言と共に、私の中でカチっと何かが切り替わった感覚がすると庭先の蝶や鳥の声が聞こえてくる。
『ようやっと佐彦様に花嫁が来た』
『ほんに可愛らしい花嫁様だこと』
『神使達もえらく気に入ったのは、この清廉な気のおかげだろうね』
『あなたたち私たちの声、彼女には届くみたいよ?』
最後の声は食堂の庭先にある大きな桜の木からだった。
「鳥も、虫も、木の声すらも聞こえるようなのですが」そんな私の言葉に、皆は一つ頷くと佐彦様が言った。
「メノウの異能は、生き物の声を聴くことだね。それは生きる物であればどんなものの声でも聴ける稀有な異能だよ。私の仕事も一緒に手伝ってもらえると有難いな」
そんな佐彦様の言葉に頷きつつも、いきなり聴こえ始めた声に戸惑いを隠せないのだった。



