そばかすは太陽が流した涙の跡【1話だけ大賞用】



大人の自分ができあがるには、一般的に幼少期の家庭・学習環境や友人関係が影響すると言われている。もちろん、自分の性格もあるから一概には言えないが、一度できあがった私を簡単に変えることはできない。トラウマがそれだ。



乗り越えろなんて言ってくるけど無茶な話で、受け入れることはできても、乗り越えることはできない。カサブタはできても傷は埋まらないから。



食品会社の総務課に勤める木戸 瑠璃は、中学生の時に頬にあるそばかすが原因で男子にいじめられてから、いつもマスクでそばかすを隠して生活している。


そばかすを消したいなら良いものがあると、油性の黒いマジックペンでそばかすを塗りつぶされたり、鼻の上に鼻くそを大量に付けていると揶揄われたこともある。


いじめていた男子たちを先生が見つけて叱ってくれたこともあったけど、子どもの戯れ合いだと軽く見られていたようで、一度叱ってくれただけで、しかもその言葉も〝そばかすっていうのよ。この子のトレードマーク〟。私にとっては、さらに傷をえぐられただけ。そばかすという言葉を知った男子たちは〝カスだ〟となじり、そばかすがコンプレックスになった。



大人になる過程の大事な時期に、守ってくれる人もいない。私を笑う人ばかりで頼ることも諦め、男性が怖くなった。



中学生の時にできた傷は、28歳になった今もなお引きずっており、目の前のパソコンだけが友達かのように8時間かじりつき、周りの社員とは最低限の会話だけ。私はどうやってこの会社に入れたのだろうかと不思議に思うほど。



私が勤めている会社は社員規模が大きく、部署数も多い。1つの部署に40人居るのに対して、総務課はたったの7人。そして何部署かを1人で担当しているので、月末になると怒涛のように仕事が舞い込んでくる。


一気に仕事を持ってくるのではなく、こまめに依頼するようにと総務部長からも各部署に伝えられているはずなのに、忘れていたと笑う社員たちに軽い殺意を抱きながら、何も言い返せない私も笑って依頼を引き受ける。人とは関わりたくないから、それが一番。



そう言いながらも、どうしても関わらないといけない日もある。新年会、親睦会、忘年会。何かと理由をつけて会社の人同士で酒を交わす、謎の行事。


総務課は人数が少ない分、余程の理由がない限り欠席は許されていない。今日も仕事終わりに親睦会をするらしい。中途採用で入社してきた、室田さんという男性社員の歓迎会を兼ねた会。



この会社全体の男女比率は5:5なはずなのに、総務課は7:3。つまり、私ともう1人しか女性がいないのだ。男性ばかりの部署に、また入ってきた男性。


中学生の時のトラウマのおかげで、男性が苦手な私には辛い状況だけど、参加は絶対。定時で仕事を終え、真っ直ぐ家に帰れない残念な重い足を運んだ。




人数が少ないからという理由で、総務課だけ陣地がやけに狭い。男性が部署内にいるだけで息が詰まる会社なのに、更に息を詰めて瀕死で飲み会に参加するメリットを教えてほしい。



会社近くにあるこじんまりとした居酒屋は、個室はなく開放感のある、宴会向きのお店。店主と総務部長が同級生らしく、事あるごとにその居酒屋で集まりが開催される。




「はいみんなお疲れ様ー!」




総務部長の乾杯の音頭で、好き好きに頼んだ飲み物が入ったコップを中心でぶつからせる。


私の男性嫌いを知ってくれているもう1人の女性社員の伊藤さんが、〝私の隣に座りなさい〟と私を端の席に誘導してくれたおかげで、向かい側に座る室田さんを除いて、パーソナルスペースに男性は居ない。安全地帯は確保できている。



店員さんから受け取った、大皿に乗った唐揚げや卵焼き。全員で箸をつついて食べるので、気にしない男性陣が箸をつけてしまう前に2つずつ小皿にもらい、今受け取ったばかりですという顔で机の真ん中に突き出すと、待ってましたと言わんばかりに取るのに唐揚げが小さかったからと戻して別の唐揚げを取ったり、自分の目の前に小皿があるのに口をつけた卵焼きを大皿に戻したり。


それは自由気ままに散らかしてくれる上司たち。普通の女性なら、嫌じゃないのかもしれない。私は普通じゃないから。隣に座る伊藤さんを見ると、男性陣の箸使いに苦い表情をして席を立とうとしていた。私は普通だったようだ。


お手洗いから伊藤さんが戻ってくるまでの数分間、私が近づくなオーラを放つ、ストレス度が上がる時間。人との会話が、仕事を円滑に進めるための大事な役割ということは十分理解している。それでも、過去のトラウマを抱えた状態で、普通の人と同じような社会生活を送るのは難しい。



目を瞑り、深呼吸をなるべく時間をかけて行い呼吸を整え、目を開ける。




「どうも」


「……どうも」




伊藤さんが座っていた隣の席には、向かい側にいたはずの室田さんが座っていた。男の人にしては高めの声がすぐ隣で聞こえて、思わず後ろに下がって身構える。何のために隣に座ったのか、私に何の用があるのだろうか。いつもマスクをしているからバレなかったけど、またそばかすのことで言われるのではないか。いろんな予想が頭を巡る。


雑談に混じった笑い声、グラスが机とぶつかる音、咀嚼音。全てが私を地獄へと飲み込む、悪魔の囁きのように聞こえる。



掻き消したくて下を向き強く目を瞑ると、雑音に混じって誰かの声が遠くで聞こえた。でも脳内の雑音が大きすぎて何も聞こえない。上司たちの盛り上がっている会話の一部かもしれないと思い、一旦無視した。



お願い。伊藤さん、早く帰ってきて。室田さんに話しかけられているのは分かっている。何か聞こえたのも私に向けられた言葉だと分かっている。でも目を開けて室田さんと視線を合わせられない。そばかすの傷は深い。


衝撃に備えて強く握った拳の感覚もだんだんなくなってきて、耳鳴りもひどくなると、伊藤さんの私の名前を呼ぶ焦る声と上半身を揺さぶられる衝撃で目を開けた。目尻を下げて私を見る伊藤さんの顔を見て、ざわついた心が落ち着いた。


握った拳を解くと、手は小刻みに震えていて、掌には指の爪が食い込んだ跡がある。




「伊藤さん…」


「木戸ちゃん、大丈夫?」




両手を握られると、爪の跡を消すように伊藤さんの親指が、私の掌を行き来する。私を飲み込もうとする悪魔の囁きが、伊藤さんの手に吸い取られて消えた。


隣でお酒を飲んで良い気分で酔っ払った上司は、私に起きたことにもお構いなく、お手洗いから戻ってきた伊藤さんにビールを4つ頼むように、呂律の回っていない上機嫌な口調で指示しているのが聞こえる。


注目してほしいわけではないけど、お酒の席ってみんなが楽しいんじゃなくて自分が楽しかったら満足なんだよね。それが宴会だもんね。



眉間に皺を寄せて、何か言い返しそうな伊藤さんを止めようと、握られている手を軽く引っ張る。




「どうした?」


「大丈夫です、落ち着きましたから。ちょっと外の空気吸ってきます」


「ダメだったらちゃんと言うのよ」


「ありがとうございます。ご心配おかけしてすみません…」




伊藤さんも羽目を外して楽しみたいだろうに、私がこんなんなばかりに迷惑をかけている気がして、席を離れることにした。その方が気も紛れるし。今どき珍しい手動の木の扉を開けると、勢い良く外から入ってきた空気が顔に当たり、寒さで体が縮こまった。ついでに頭も冷えそうで、丁度良い。



上着を忘れたのを外に出てから思い出して、戻ろうかとも思ったけど、わざわざ戻る意味がないように思えて、その場にとどまった。すっかり手の震えは止まり、冷静になった頭で、私があの場に戻る理由を考える。


会社では義務感があって男の人とも話せるけど、プライベートとなると動揺が先走り、目を見て話しかけられてもそばかすを見られているようで、会話に集中できない。元々プライベートで男の人と話す機会はゼロに近いけど、会社でも別部署から男の人が来ると、容姿のことで何か言われるんじゃないかという考えが浮かび、人の目を見れない。


こんな私が宴会に参加しても、みんなの足を引っ張るだけ。もしかすると、会社でも足を引っ張るだけの存在なのかもしれない。そう思ったら、足がすくんで動かなくなった。



このまま家に帰りたい。カバンも上着も置いてきたけど、それもいらない。すくんだ足のまま、しゃがんで膝を抱えた。




「木戸さん」


「はいっ」


「ごめんなさい、びっくりさせて」




私を呼ぶ声がして、肩を揺らして上を向くと、室田さんが立っていた。室田さんは何者なんだ。さっきは隣に座ってきたし、外に出たらついてきて。




「何でしょうか…」




必要以上に関わらないように、下を向いて存在を消していても気づく人は気づく。きっとそういう人は、中学生の時に私をいじめたような、人の欠点にいち早く気づいて企む人。


耳鳴りとめまいが始まる。落ち着こうと深呼吸をしても、思い出さなくて良いことまで浮かんできて、感情をコントロールできない。




「ごめんなさい。私、男の人が苦手なんです。室田さんがこんな私に話しかけてくださったのは有難いんですけど、上手く話せないので」




相手に近づかれる前に、私の方から離れたら話は早い。鬼でも追い払うかのように隙も無く、いつもより声を張って言葉を投げた。室田さんは私の突然の饒舌に、じっと私をみるだけで何も言わない。そのまま私と距離を置いて、去ってくれたら良い。会社でも私はまた景色に溶け込むから。




「分かります」


「…え?」


「木戸さんが男の人が苦手なの、見てたら分かります」


「分かっていて…、話しかけたんですか?」


「はい。僕、実は女なんですよ」




今度は、私が室田さんをじっと見るだけで何も言えなかった。室田さんは男性社員だと聞いている。まさか私に女だと言えば、騙されて話してくれるとでも思ったんだろうか。でも声は女の人に近いし、完全には疑えない。




「何を信じたら良いか分からないって顔してますね。そうなりますよね。体は女なんですけど、訳あって気持ちだけ男で生活してます」


「気持ちだけ、男…。何でそんな必要が?」




まだ嘘をつかれている可能性はある。それでも室田さんが男である事情が気になって、深く聞いてみたくなった。




「木戸さんと同じです。自分を守りたくて」




訳あって気持ちだけ男の人になった室田さんに、私と同じだと言われるのは、納得いかない。私のこと、何も知らないくせに。あからさまに眉間に皺を寄せて、睨んだ。そんな私を、室田さんは軽く笑い飛ばした。