隼が僕のベッドに寝ている。
僕はその眠ったままの隼をデッサンしていた。
綺麗な男らしい顔つきをしている。
骨格がしっかりしていて、筋肉の形も柔らかくて強い。
僕はその隼を追い求めるようにして、紙に線を描いていく。
鉛筆が紙の上を滑る音がする。
聞き慣れている音なのに、今日は穏やかに聞こえた。
影の形は、こうなってて……。
描き終わる前に、隼が起きた。
「見せて」
「え? 起きてたの?」
「ん〜、少し前に」
「いいけど、全然ダメ」
そう言いながら僕はデッサンを渡した。
隼はそれを受け取ると、いきなりバッと起き上がって座った。
「すげ〜!! お前すげ〜よ。これ、お前から見たまんまじゃん」
「……言い過ぎでしょ」
「え? どこがダメなわけ?」
「全部」
「俺には全部よく見えるけどなぁ」
胸の辺りが少しだけ温かくなる。
「……ありがとう」
「なぁ。海の絵、見せてよ。ないの?」
「あるけど……変なのばっかだよ」
「見たい、見せてよ」
「うん」
僕はクローゼットから、今まで描いた絵を取り出した。
キャンバスを3枚。
光のような抽象、波のような揺らぎ、プリズムのような色の散らばり。
まだ、ツーンとする油の匂いが微かに残っている。
「お〜……。お前、色使いすげ〜な!! 特にこれ」
そう言って隼が指を刺したのは、海が誰にも見せたことがない個人的な作品だった。
「なんか……分かんねぇけど、めちゃくちゃ引き込まれる。……海みてぇだな。俺、これ好きだわ」
隼の横顔が本当に感動しているように見えた。
胸の奥がザワザワした。
不安や、悪い意味ではなくて、自分を見つけてもらえたようなそんな嬉しさと恥ずかしさの混ざったような気持ちだった。
「ありがとう」
「海が言っていた、色ってさ、なんか、お前だけが感じている色の世界なんだろうなって思ったよ。この時は見えてたんだろ?」
「……うん」
「なら、また見えるよ。絶対。だって、これだけ描けてんじゃん」
僕は嬉しかった。
「隠してるのも見せてよ。全部見てみたい。海のこと全部」
「やだよ」
「どんなものでも大丈夫だよ。恥ずかしいのも、失敗したのも、全部、俺知りたいんだ。全部引き受けるって言ったろ?」
そう言って、隼は僕を抱きしめた。
隼の鼓動が聞こえる。
「大丈夫かな。僕。壊れないかな」
「壊れるとか消えるとか言うなよ。ちゃんと俺がそばにいるから」
隼が僕を真っ直ぐにみて、優しく微笑んだ。
そしてゆっくりと唇を重ねた。
「大丈夫だよ……見せて?」
「やだよ」
「ずっと抱きしめてるから」
僕は黙った。
隼も黙って僕の頭をくしゃくしゃっと触った。
隼の吐息が聞こえる。彼の腕の中で心臓の音を聞いていると少し落ち着いてくる。
「笑わないでね」
「笑うわけないじゃん」
「抱きしめてくれる?」
「うん。一緒にみよう」
そう言うと、隼が僕をヒョイっと抱えて、クローゼットの前まで連れていった。
僕は少し笑った。
それから、僕は今までの作品全部を見せた。隼の膝の上で抱かれながら、一緒に見た。
恥ずかしい自分と、迷っていた自分を全部一緒に見た。
僕は逃げなくていいのかもしれない……。
少しだけ、そう思えた。
それから隼は夕方前に家を出て、演劇のワークショップへと行ってしまった。
僕はその間、また課題に取り組んでいた。
クロッキー帳を広げる。
今朝まで、隼と一緒に寝ていたベッドの上のタオルケットをスケッチする。
大体の構図を決めて、あたりをつける、影はこうで、ここから光が来ていて、シワ、質感……。
シャッという鉛筆が紙の上を滑っていく音がする。
鉛筆の芯と木の匂いが漂ってくる。
練り消しを使って、擦る。もう一度線を入れる。
隼の今朝の顔を思い出す。
ふふっと勝手に笑みが漏れる。
影を濃くしていくように、鉛筆を動かして線を重ねていく。
目線がタオルケットと紙をなん度も往復する。練り消しで消す。また線を入れる。
気付けば、2時間が経っていた。
久しぶりに集中して描けた。
ん〜。悪くない。でも、何かが足りなかった……。
僕はクロッキー帳を机に置いてベッドに横たわった。
隼の匂いがするタオルケットに包まった瞬間、胸の奥がまた切なくなった。
今、どうしてるんだろう。
以前のワークショップで発表していたシーンを思い出す。
ランさんという女性に向けていた、あの優しい目……。
その中には、当然だけど僕はいない。
でも僕だけが知っている隼もいる。
……いや、そんなことないのかもしれない。
隼の今までの恋を想像すると、胸の奥が少し沈んだ。
その人たちにも、こんなふうに優しかったのかな……。
そんなことを考える自分が情けなくて、急に涙が零れた。
どうして僕はこんなに色々考えてしまうんだろう。
本当はただ、隼と一緒になれたことを喜べばいいだけなのに。
隼はなんでも早い。
だからこそ、置いていかれそうで怖くなる。
そのスピードが、僕の中の不安をさらにざわつかせる。
部屋の窓からまた黄金の光が伸びた。
夏の夕暮れは遅い。冬ならもう真っ暗な時間だ。
なんでこんな時間に差し込んでくるんだよ……。
夕日に照らされた部屋をぼんやりと眺めた。
ところどころで埃がゆっくりと上昇し、キラキラと輝いている。
手を伸ばす。
でも掴めない。その光は指の隙間をすり抜けていく。
そして、その分だけ影が濃くなる。
見たくない。触れたくない、あの影を……。
隼のことがたまらなく好きだ。
だけど、その『好き』 を感じるほど、自分が薄くなっていく気がする。
消えそうで、怖い。
――だから、消される前に、自分から消えたくなる。
僕はその埃のキラキラを捉えたくて、クロッキー帳を開いた。
紙と埃の光を往復しながら、その瞬間を掴もうとする。
でも……上手くいかない。
床には、捉えきれなかったスケッチが何枚も散らばっていた。
そのうち夕日は消え、キラキラした埃も一緒に攫っていった。
薄暗い部屋の中で僕は呆然とした。 涙が止まらない。
僕の光も影も、どこにあるのか分からない。
隼の光が強いほど、何も掴めていない自分の空洞が浮き彫りになる。
その事実がどうしようもなく怖くて、僕はまたカシスリキュールを水割りにして飲んだ。
丁度、隼からメッセージが入った。
――今日は酒飲むなよ。あと少しで終わるから。
遅いよ……。
軽く笑う。
どうしよう……。
何を送ったらいいのか分からない。
これ以上飲まないようにしなきゃ。
僕はグラスの残りを飲んでから、コンビニに向かった。
体がふわふわしていて気持ちがいい。
感じた通りにふわふわと歩く。
お酒を飲むと他人の目線が気にならない。
感じた通りに、そのままの自分でいられる。
でもそれ以上酔いが回ると、そんな自分が恥ずかしくなってきて自己嫌悪に陥る。
そうなる前にやめたいけど、その加減が難しい。
お酒は、現実からそっと遠ざけてくれるくせに、気づくと急に、足元の光を奪ってしまう。
コンビニでお酒とおつまみを買った。
そのまま公園でシードルを空けて飲む。
唐揚げを食べながら、ブランコをに乗って少し揺らした。
空を見上げて、少しだけ見える星たちを眺めていると、また泣きそうになった。
夏の匂いに少しだけ秋っぽさが混ざってる。
課題。終えられるんだろうか……。
僕一人、この世界から取り残されてるようだった。
時々、公園の前を人が通り過ぎていく。
僕がここにいるのに誰にも見えないみたいだ。
楽しそうに笑う声や、話し声。
男女が幸せそうに腕を組んで歩いている。
――多分、恋人だろう。
僕は、そんな当たり前に人がやってることが出来ない。
誰とでも寝てしまうくせに、誰のこともちゃんと愛せない。
自分が傷つくことが一番怖くて、人の気持ちは蔑ろにしてしまう。
本当はちゃんと好きな人と、幸せになりたいのに。
こんな僕が幸せになんてなれるはずがないと思ってしまう。
はぁ。
このままだとここで泣き叫んでしまいそう。
僕はかろうじてまだある理性で家へと歩き出した。
「うみぃ〜!」
振り返ると、隼がいた。
「……おかえり」
僕は必死に正気を取り戻して、酔ってないふりをした。
嫌われたくない。呆れられたくない。
思わず体に力が入る。
「待っててくれたの? コンビニ?」
「あ、うん」
「夜ご飯、なんか食べてく?」
「今、唐揚げ食べたから」
隼が僕の肩を抱いた。
「それと酒……」
「……ちょっとしか飲んでないし、大丈夫だよ」
「それだけだと腹減るだろ。俺も減ったしなんか買って行こうぜ」
「うん。何買ってく? コンビニ?」
「う〜ん。牛丼でも買ってくか」
「分かった」
そして、駅まで戻って、牛丼を買ってから、家に向かう。
隼に気付かれないように横目で隼を気にする。
僕といて、楽しいのかな? お酒飲んでいた、僕をどう思ったかな?
「飲んでたから返信くれなかったの?」
「……ごめん。心配した?」
「……した。既読無視だったし」
「でもちょっとだけだよ。今だって、普通でしょ」
「うん。丁度よく飲めるなら良いんじゃん」
「隼にビールも買ってあるよ」
「おう、ありがとう」
「うん」
家に着いて中に入る。
電気に自分が照らされて焦る。
「トイレ行ってくる」
自分の顔が気になった。
鏡に映る自分をよく見る。
顔が赤い。はぁ……。
どう見ても酔っている。
トイレから出ると、隼が散らかったデッサンを拾っていた。
「あ、ごめん」
「ううん。たくさん描いてるじゃん」
「でもどれもこれも違う」
「俺にはどれもよく見えるけど、海が求めてるものと違うんだろうな」
「うん。夏休みもあと少しで終わるのにやばい」
「まだ2週間くらいあるよ。とりあえず食べるか」
「うん」
それから僕たちは牛丼を食べた。
「課題ってどんなことやんの?」
「光の所在を描くってやつ、あそこにあるキャンバスに仮の作品を描いてもっていかなきゃけない」
「あんな大きいのに描くってすげぇな」
「本番はもっとでかいのに描かなきゃいけないんだ。みんなもうそれに取り掛かってるのに、僕だけまだ出来てない。もう、いい加減仮作品作って、教授に見せに行かなきゃ。でも全然、分からない。光の所在って言われても、意味が分からない……」
「なんか、芝居と似てるな」
「そうなの?」
「うん。ちゃんと役を解釈しないと演じられないからさ。絵にもそういうのあるんだな」
「そっか、なんか似てるね。そういう時ってどうやって解釈してるの?」
「う〜ん、俺はとりあえず、自分との違いをまず書き出して、どうして、こういう行動をとってるのかとか、考えたり、演劇は体を使うから、体の感覚から掴むときもあるけどな」
「体の感覚……」
「海はさぁ、光を見た時、体ってどんな反応してる?」
「う〜ん。考えたこともないけど……」
僕は光を見ている時の自分を思い出す。
「胸の辺りから背中を辿って……腰のあたりがザワザワして……そして、胸からまた全身に広がってく感じ?」
「……お前ってやっぱり凄いよ」
「何が?」
「ちゃんと感じてる」
「そりゃ、そうでしょ」
「でもそれが分んねぇやつもいるんだよ」
「そうなの?」
「そう。それを掴むのに時間かかるやつもいる」
僕はちょっと嬉しかった。
そのまま感じたことを言ってもバカにされなかった。否定もされなかった。少し安心した。
光を見た時……じゃぁ影はどうだろうか……。
そう思った瞬間、体がキュッとなって、眉間にしわがよった。
涙が溢れてくる。
「ごめん」
「どうしたんだよ」
「影ってどうなんだろうって思ったら、怖くなった」
寒くないのに、体が震える。
隼が僕の体を抱きしめてくれた。
「お前、繊細すぎ。でもだからあんな凄い絵を描けるんだろうな」
「そんなこと言うなよ〜。優しくするなよ〜」
声が震えている。頬に涙が伝う。
「なんでだよ」
そんな僕を見て隼はケラケラと笑った。
「別れられなくなる〜」
「……別れるのかよ」
「隼が別れようって言ったら!」
「言ってねぇじゃん」
そう言ってまた笑った。
「隼のバカ!」
「ホイホイ」
隼は僕の背中を撫でた。
「まだ言ってもねぇことで悲しくなるなよ」
「隼には分かんないよ。僕がどれだけ怖いのか」
「……ごめんな。分かってあげれなくて」
そう言って、隼は僕に寄りかかった。
なんか可愛くて少し笑った。
「隼は正直だね。そう言うところ好きだよ」
「な〜んなんだよ。お前は本当に〜。可愛すぎ」
隼は照れたように笑って、僕の頭をくしゃくしゃと触った。
僕はギュッと隼を抱きしめた。
部屋には、牛丼の匂いに混じって、隼のタバコと白檀の香りがふわっと漂っていた。
この匂いを、ずっと忘れたくないなぁ。
……隼は画材の匂いを僕の匂いだと言っていた。
隼も、僕の匂いを忘れないでいてくれたらいいな。
外では、微かに鈴虫が鳴いていた。
秋の気配が、静かに部屋の中まで入りこんでくるようだった。
僕はその眠ったままの隼をデッサンしていた。
綺麗な男らしい顔つきをしている。
骨格がしっかりしていて、筋肉の形も柔らかくて強い。
僕はその隼を追い求めるようにして、紙に線を描いていく。
鉛筆が紙の上を滑る音がする。
聞き慣れている音なのに、今日は穏やかに聞こえた。
影の形は、こうなってて……。
描き終わる前に、隼が起きた。
「見せて」
「え? 起きてたの?」
「ん〜、少し前に」
「いいけど、全然ダメ」
そう言いながら僕はデッサンを渡した。
隼はそれを受け取ると、いきなりバッと起き上がって座った。
「すげ〜!! お前すげ〜よ。これ、お前から見たまんまじゃん」
「……言い過ぎでしょ」
「え? どこがダメなわけ?」
「全部」
「俺には全部よく見えるけどなぁ」
胸の辺りが少しだけ温かくなる。
「……ありがとう」
「なぁ。海の絵、見せてよ。ないの?」
「あるけど……変なのばっかだよ」
「見たい、見せてよ」
「うん」
僕はクローゼットから、今まで描いた絵を取り出した。
キャンバスを3枚。
光のような抽象、波のような揺らぎ、プリズムのような色の散らばり。
まだ、ツーンとする油の匂いが微かに残っている。
「お〜……。お前、色使いすげ〜な!! 特にこれ」
そう言って隼が指を刺したのは、海が誰にも見せたことがない個人的な作品だった。
「なんか……分かんねぇけど、めちゃくちゃ引き込まれる。……海みてぇだな。俺、これ好きだわ」
隼の横顔が本当に感動しているように見えた。
胸の奥がザワザワした。
不安や、悪い意味ではなくて、自分を見つけてもらえたようなそんな嬉しさと恥ずかしさの混ざったような気持ちだった。
「ありがとう」
「海が言っていた、色ってさ、なんか、お前だけが感じている色の世界なんだろうなって思ったよ。この時は見えてたんだろ?」
「……うん」
「なら、また見えるよ。絶対。だって、これだけ描けてんじゃん」
僕は嬉しかった。
「隠してるのも見せてよ。全部見てみたい。海のこと全部」
「やだよ」
「どんなものでも大丈夫だよ。恥ずかしいのも、失敗したのも、全部、俺知りたいんだ。全部引き受けるって言ったろ?」
そう言って、隼は僕を抱きしめた。
隼の鼓動が聞こえる。
「大丈夫かな。僕。壊れないかな」
「壊れるとか消えるとか言うなよ。ちゃんと俺がそばにいるから」
隼が僕を真っ直ぐにみて、優しく微笑んだ。
そしてゆっくりと唇を重ねた。
「大丈夫だよ……見せて?」
「やだよ」
「ずっと抱きしめてるから」
僕は黙った。
隼も黙って僕の頭をくしゃくしゃっと触った。
隼の吐息が聞こえる。彼の腕の中で心臓の音を聞いていると少し落ち着いてくる。
「笑わないでね」
「笑うわけないじゃん」
「抱きしめてくれる?」
「うん。一緒にみよう」
そう言うと、隼が僕をヒョイっと抱えて、クローゼットの前まで連れていった。
僕は少し笑った。
それから、僕は今までの作品全部を見せた。隼の膝の上で抱かれながら、一緒に見た。
恥ずかしい自分と、迷っていた自分を全部一緒に見た。
僕は逃げなくていいのかもしれない……。
少しだけ、そう思えた。
それから隼は夕方前に家を出て、演劇のワークショップへと行ってしまった。
僕はその間、また課題に取り組んでいた。
クロッキー帳を広げる。
今朝まで、隼と一緒に寝ていたベッドの上のタオルケットをスケッチする。
大体の構図を決めて、あたりをつける、影はこうで、ここから光が来ていて、シワ、質感……。
シャッという鉛筆が紙の上を滑っていく音がする。
鉛筆の芯と木の匂いが漂ってくる。
練り消しを使って、擦る。もう一度線を入れる。
隼の今朝の顔を思い出す。
ふふっと勝手に笑みが漏れる。
影を濃くしていくように、鉛筆を動かして線を重ねていく。
目線がタオルケットと紙をなん度も往復する。練り消しで消す。また線を入れる。
気付けば、2時間が経っていた。
久しぶりに集中して描けた。
ん〜。悪くない。でも、何かが足りなかった……。
僕はクロッキー帳を机に置いてベッドに横たわった。
隼の匂いがするタオルケットに包まった瞬間、胸の奥がまた切なくなった。
今、どうしてるんだろう。
以前のワークショップで発表していたシーンを思い出す。
ランさんという女性に向けていた、あの優しい目……。
その中には、当然だけど僕はいない。
でも僕だけが知っている隼もいる。
……いや、そんなことないのかもしれない。
隼の今までの恋を想像すると、胸の奥が少し沈んだ。
その人たちにも、こんなふうに優しかったのかな……。
そんなことを考える自分が情けなくて、急に涙が零れた。
どうして僕はこんなに色々考えてしまうんだろう。
本当はただ、隼と一緒になれたことを喜べばいいだけなのに。
隼はなんでも早い。
だからこそ、置いていかれそうで怖くなる。
そのスピードが、僕の中の不安をさらにざわつかせる。
部屋の窓からまた黄金の光が伸びた。
夏の夕暮れは遅い。冬ならもう真っ暗な時間だ。
なんでこんな時間に差し込んでくるんだよ……。
夕日に照らされた部屋をぼんやりと眺めた。
ところどころで埃がゆっくりと上昇し、キラキラと輝いている。
手を伸ばす。
でも掴めない。その光は指の隙間をすり抜けていく。
そして、その分だけ影が濃くなる。
見たくない。触れたくない、あの影を……。
隼のことがたまらなく好きだ。
だけど、その『好き』 を感じるほど、自分が薄くなっていく気がする。
消えそうで、怖い。
――だから、消される前に、自分から消えたくなる。
僕はその埃のキラキラを捉えたくて、クロッキー帳を開いた。
紙と埃の光を往復しながら、その瞬間を掴もうとする。
でも……上手くいかない。
床には、捉えきれなかったスケッチが何枚も散らばっていた。
そのうち夕日は消え、キラキラした埃も一緒に攫っていった。
薄暗い部屋の中で僕は呆然とした。 涙が止まらない。
僕の光も影も、どこにあるのか分からない。
隼の光が強いほど、何も掴めていない自分の空洞が浮き彫りになる。
その事実がどうしようもなく怖くて、僕はまたカシスリキュールを水割りにして飲んだ。
丁度、隼からメッセージが入った。
――今日は酒飲むなよ。あと少しで終わるから。
遅いよ……。
軽く笑う。
どうしよう……。
何を送ったらいいのか分からない。
これ以上飲まないようにしなきゃ。
僕はグラスの残りを飲んでから、コンビニに向かった。
体がふわふわしていて気持ちがいい。
感じた通りにふわふわと歩く。
お酒を飲むと他人の目線が気にならない。
感じた通りに、そのままの自分でいられる。
でもそれ以上酔いが回ると、そんな自分が恥ずかしくなってきて自己嫌悪に陥る。
そうなる前にやめたいけど、その加減が難しい。
お酒は、現実からそっと遠ざけてくれるくせに、気づくと急に、足元の光を奪ってしまう。
コンビニでお酒とおつまみを買った。
そのまま公園でシードルを空けて飲む。
唐揚げを食べながら、ブランコをに乗って少し揺らした。
空を見上げて、少しだけ見える星たちを眺めていると、また泣きそうになった。
夏の匂いに少しだけ秋っぽさが混ざってる。
課題。終えられるんだろうか……。
僕一人、この世界から取り残されてるようだった。
時々、公園の前を人が通り過ぎていく。
僕がここにいるのに誰にも見えないみたいだ。
楽しそうに笑う声や、話し声。
男女が幸せそうに腕を組んで歩いている。
――多分、恋人だろう。
僕は、そんな当たり前に人がやってることが出来ない。
誰とでも寝てしまうくせに、誰のこともちゃんと愛せない。
自分が傷つくことが一番怖くて、人の気持ちは蔑ろにしてしまう。
本当はちゃんと好きな人と、幸せになりたいのに。
こんな僕が幸せになんてなれるはずがないと思ってしまう。
はぁ。
このままだとここで泣き叫んでしまいそう。
僕はかろうじてまだある理性で家へと歩き出した。
「うみぃ〜!」
振り返ると、隼がいた。
「……おかえり」
僕は必死に正気を取り戻して、酔ってないふりをした。
嫌われたくない。呆れられたくない。
思わず体に力が入る。
「待っててくれたの? コンビニ?」
「あ、うん」
「夜ご飯、なんか食べてく?」
「今、唐揚げ食べたから」
隼が僕の肩を抱いた。
「それと酒……」
「……ちょっとしか飲んでないし、大丈夫だよ」
「それだけだと腹減るだろ。俺も減ったしなんか買って行こうぜ」
「うん。何買ってく? コンビニ?」
「う〜ん。牛丼でも買ってくか」
「分かった」
そして、駅まで戻って、牛丼を買ってから、家に向かう。
隼に気付かれないように横目で隼を気にする。
僕といて、楽しいのかな? お酒飲んでいた、僕をどう思ったかな?
「飲んでたから返信くれなかったの?」
「……ごめん。心配した?」
「……した。既読無視だったし」
「でもちょっとだけだよ。今だって、普通でしょ」
「うん。丁度よく飲めるなら良いんじゃん」
「隼にビールも買ってあるよ」
「おう、ありがとう」
「うん」
家に着いて中に入る。
電気に自分が照らされて焦る。
「トイレ行ってくる」
自分の顔が気になった。
鏡に映る自分をよく見る。
顔が赤い。はぁ……。
どう見ても酔っている。
トイレから出ると、隼が散らかったデッサンを拾っていた。
「あ、ごめん」
「ううん。たくさん描いてるじゃん」
「でもどれもこれも違う」
「俺にはどれもよく見えるけど、海が求めてるものと違うんだろうな」
「うん。夏休みもあと少しで終わるのにやばい」
「まだ2週間くらいあるよ。とりあえず食べるか」
「うん」
それから僕たちは牛丼を食べた。
「課題ってどんなことやんの?」
「光の所在を描くってやつ、あそこにあるキャンバスに仮の作品を描いてもっていかなきゃけない」
「あんな大きいのに描くってすげぇな」
「本番はもっとでかいのに描かなきゃいけないんだ。みんなもうそれに取り掛かってるのに、僕だけまだ出来てない。もう、いい加減仮作品作って、教授に見せに行かなきゃ。でも全然、分からない。光の所在って言われても、意味が分からない……」
「なんか、芝居と似てるな」
「そうなの?」
「うん。ちゃんと役を解釈しないと演じられないからさ。絵にもそういうのあるんだな」
「そっか、なんか似てるね。そういう時ってどうやって解釈してるの?」
「う〜ん、俺はとりあえず、自分との違いをまず書き出して、どうして、こういう行動をとってるのかとか、考えたり、演劇は体を使うから、体の感覚から掴むときもあるけどな」
「体の感覚……」
「海はさぁ、光を見た時、体ってどんな反応してる?」
「う〜ん。考えたこともないけど……」
僕は光を見ている時の自分を思い出す。
「胸の辺りから背中を辿って……腰のあたりがザワザワして……そして、胸からまた全身に広がってく感じ?」
「……お前ってやっぱり凄いよ」
「何が?」
「ちゃんと感じてる」
「そりゃ、そうでしょ」
「でもそれが分んねぇやつもいるんだよ」
「そうなの?」
「そう。それを掴むのに時間かかるやつもいる」
僕はちょっと嬉しかった。
そのまま感じたことを言ってもバカにされなかった。否定もされなかった。少し安心した。
光を見た時……じゃぁ影はどうだろうか……。
そう思った瞬間、体がキュッとなって、眉間にしわがよった。
涙が溢れてくる。
「ごめん」
「どうしたんだよ」
「影ってどうなんだろうって思ったら、怖くなった」
寒くないのに、体が震える。
隼が僕の体を抱きしめてくれた。
「お前、繊細すぎ。でもだからあんな凄い絵を描けるんだろうな」
「そんなこと言うなよ〜。優しくするなよ〜」
声が震えている。頬に涙が伝う。
「なんでだよ」
そんな僕を見て隼はケラケラと笑った。
「別れられなくなる〜」
「……別れるのかよ」
「隼が別れようって言ったら!」
「言ってねぇじゃん」
そう言ってまた笑った。
「隼のバカ!」
「ホイホイ」
隼は僕の背中を撫でた。
「まだ言ってもねぇことで悲しくなるなよ」
「隼には分かんないよ。僕がどれだけ怖いのか」
「……ごめんな。分かってあげれなくて」
そう言って、隼は僕に寄りかかった。
なんか可愛くて少し笑った。
「隼は正直だね。そう言うところ好きだよ」
「な〜んなんだよ。お前は本当に〜。可愛すぎ」
隼は照れたように笑って、僕の頭をくしゃくしゃと触った。
僕はギュッと隼を抱きしめた。
部屋には、牛丼の匂いに混じって、隼のタバコと白檀の香りがふわっと漂っていた。
この匂いを、ずっと忘れたくないなぁ。
……隼は画材の匂いを僕の匂いだと言っていた。
隼も、僕の匂いを忘れないでいてくれたらいいな。
外では、微かに鈴虫が鳴いていた。
秋の気配が、静かに部屋の中まで入りこんでくるようだった。
