ワークショップも終わりの時間に近づいた。
 最後に『シーンの発表』というのがあった。
 一つの話の中のワンシーンを演じて発表するらしい。

 今日は、始まる前に声をかけてくれた、あの女性、ランさんと隼のシーンだった。
 二人以外の生徒たちは客席のように向かい側に座る。
 
 二人が芝居を始めると、その場の空気が一変した。

 ランさんは甘えん坊な女の子の役で、隼はその女の子と付き合ってる彼氏の役だった。
 隼はそのランさんをめちゃくちゃ可愛がってた。

 ――二人は寄り添い、楽しそうに微笑みあう。

 二人が輝いて見えて、なんか観てるのが辛いくらいだった。
 それでも、二人の表情や声、動作などが自然で、そこには二人だけの世界があって、僕は目が離せなかった。

 発表が終わった。

「どうだった?」
 
 後藤さんが、隼に聞いた。

「やっぱり、甘えるのって、難しいですね」
「そうだよね。隼は特に苦手そうだと思ってたよ。隼はこれ、2回目だっけ?」
「そうですね。初めての時に1回やってます」
「その違いってあった?」

「あ〜そうですね。まぁ1回目よりはやりやすかったです。あと、ちょっと甘えるのも、甘えられるのも理解出来たかな?」

「おっ、いいね。良かったと思うよ。かなり柔らかくなってたし、デレデレした感じが出てて良かったよ。ランはどうだった?」

「う〜ん、私も甘えるの苦手かもって思いました。恥ずかしさが――」

 なんか、演劇ってすごいなぁ。
 みんなの真剣さが伝わってきて圧倒された。
 『シーン』をしている隼を見て、辛くなった自分の気持ちが恥ずかしく感じて、凹んだ。
 
 教室の窓の外に月明かりが見えた。
 それがやけに胸の奥を虚しくさせた。

 ワークショップが終わった。
 みんなはちょっとだけお酒を飲むらしい。とはいえただコンビニで買ったお酒を近くの公園で飲むとのこと。
 隼が誘ってくれたので、僕も行った。
 
「今日の『シーン』めっちゃ良かったよ〜」
 一人の女性が言った。
 ランさんは目を輝かせた。

「本当に? 初めてだったし緊張した〜」
「隼もめっちゃ良くなったよね〜」
「マ〜ジでぇ〜」

 隼が楽しそうに言う。
 僕は横目で見ながら、缶ビールを飲んだ。

「ラブラブだったじゃぁ〜ん」

「あ〜。隼とラブラブ出来なくなるの寂しいなぁ〜」

 ランさんが隼の腕を掴んだ。

「俺も〜」

 そう言って、ランさんを抱きしめた。

 みんなが笑った。
 ふざけていると分かっていても僕の胸の奥がギュッと苦しくなる。

「隼って次誰とやんの?」
 シンジさんが聞いた。
「あ〜、まだ決まってないっすね」
「じゃぁさぁ一緒にやんない?」
「いいっすよ。何かやりたいものあるんっすか?」
「そうだなぁ。……同性愛的なやつ?」

 ドキッとする。この人わざと言ってんの??
 僕は二人の顔が見れずに缶ビールを飲んだ。

「それ観た〜い」
 ランさんがはしゃぐ。

「……マジっすか!?」
「いや、冗談、冗談」
「なんっすか。それ」
「まぁいい作品あったら、それでもいいけどなぁ」
 みんなが笑う。

「そう言えばそういう『シーン』した人いないよね?」
「そうだよなぁ。難しいんじゃねぇ? とりあえず、連絡交換しとこうぜ」
 シンジさんは隼と連絡先の交換を始める。

「海は隼と学校が同じなの?」

 ランさんが話しかけてきた。

「バイト仲間だよな」

 隼が僕を見てニコッとした。
 その笑顔に照れた様に笑ってしまう。

「うん」
「そうなんだ。どう? また来る?」
「いや、多分今日だけですかね……」
「そっか。楽しそうにしてたのに」
「楽しかったんですけど……」
「あれだけ出来てたら凄いよ」
「……そうですか?」

「うん。よくやってたよ」

 隼も一緒に褒めてくれる。

「……ありがとう」

 なんとなく胸の辺りがこそばゆい。

 みんないい人たちだった。
 ちゃんと自分のやりたいことに誇りを持っていて、そして、真剣に向き合っている。
 僕は隼のことばかり気になって、なんだか自分が小さく見えた。
 
 それから、みんなとは駅でそれぞれ別れた。

 僕と隼とシンジさんは同じ電車に乗る。
 車内は人が多く、ザワザワしている。
 飲んでた人達なのか、話をしている人達が多い。
 僕たちは出入り口付近に立った。

「隼って彼女とかいねぇの?」

 シンジさんが突然聞いたその言葉に、心臓が飛び出そうになる。
 二人の会話に興味なさそうにして、窓の外を見る。

「今はいないっすね。シンジさんはどうなんっすか?」

「……今日ってトイレの前で聞いてた?」

「あ~、すみません。聞くつもりはなかったんですけど」
「やっぱり聞いてたんだ。内緒にしといて。役が限定されると嫌だからさ」
「言わないっすよ」

 あ~、そんなところから聞いてたんだ。
 じゃぁ僕が「ヤるだけ」とか言ってたのも聞いてたんだ……。
 僕の胸の奥が沈む。

「ありがとう。俺も今は誰もいないよ。隼はいつからいねぇの?」
「え~。1年くらいっすかね」
「作んないの?」
「シンジさん俺を口説いてるんっすか?」
 ふざけた様に隼が言う。
 
「いやいや、次の『シーン』、どんなのが良いかなって思って」
「あ~、俺もなんか次までに考えときます〜」

「おう。で、海はどうなの?」

「え!? 僕?? 関係なくない?」

「いや、いや、それは個人的な興味だよ」

 シンジさんがふざけた様に顔を近づけてくる。

「シンジさん、俺の友人をいじめないで下さいよ」

 隼がシンジさんと僕の間にスッと入ってきて、思わず少し後ろに下がる。
 距離が近くなって鼓動が高鳴る。
 知人ではなく、友人と言われたことも嬉しかった。

「いじめてないけどなぁ~。隼は海のことどこまで知ってんの?」
「え? いや、どこまでって?」
「知ってますよ。ねっ」
 と僕は同意を求めるように隼をみる。
「あ~、はい」
 隼は手すりを持ったまま、居心地悪そうに前を見た。
「なら、お前、関係ないから邪魔すんなよ~」
 シンジさんがふざける。

「……こいつのこと、口説いてるんっすか?」

「そうそう」

「やめといた方がいいっすよ。酒癖悪いっすよ」

「ちょっと、隼。なんで言うんだよ」

「……あ、いや、マジ、悪りぃ。俺関係ないのにな。どうぞどうぞ、二人で」

 隼がサッと僕と場所を変わった。

「別にそこまでしなくても……」

「そうそう、俺、もう連絡先も聞いたし、またゆっくり口説くよ」
 
 シンジさんがニヤッと笑った。

「じゃぁその時ゆっくり口説いて下さいよ〜。今、俺がいるんっすから」

「でも一応、付き合ってるか聞いとかないと」

「あ~」と言って、隼は納得したように僕を見た。
 シンジさんも僕を見る。
 僕は二人の顔を見て、顔が熱くなるのを感じた。

「え? ……僕は、誰とも付き合ったりしないって決めてるから。もういい?」

「じゃあ安心して口説けるな」

「いや、聞いてました? 誰とも付き合ったりしないって言ったんですけど」

「そんなのいつ気持ちが変わるかなんて分かんねーじゃん」
「凄いポジティブ思考ですね」
「海みたいなタイプには、そのくらいの方が丁度良さそうじゃねぇ?」
 シンジさんは冗談っぽく言うだけで、僕に本気で迫る気はなさそうだった。

 そんなことを言っている間に隼のうちの最寄り駅に着く。
 もう少し一緒にいたかったなぁ……。

「あっ、俺ここの駅なんで。じゃ」

 そう言ったかと思うと、隼は僕の腕を引っ張った。

「うわぁ…」
 バランスを崩しながら一緒に降りた。

「海もか。じゃあなー」

 呑気にシンジさんは手を振った。
 隼は何事もなかったかの様に手を振った。
 僕はドキドキしながら、隼の事を見てた。

 電車が去る。

「……悪りぃ。なんか、つい、気になって」
「え?」
「今日って、大丈夫そう? 酔ってない?」
「うん。1杯しか飲んでないし。大丈夫」
「そうか、なんか元気なさそうだし、目がうるうるしてるから」
「え? そう?」 
 僕は自分の顔を触った。熱い。

 さっき稽古場で感じた胸の奥深くの光が遠ざかっていく。

「……凹んだから、かな」
「何? 泣いてんの?」
「ううん。泣いてはないと思うんだけど。そんなにうるうるしてる?」
「うん。いや、分かんね〜けど、話聞こうか? あっ、いや、俺じゃなくてもいいのか。悪かったな。引っ張って」

「え? 何? その言い方」
 
 なんだかやるせ無い気持ちになる。

「いや、俺よりシンジさんの方が分かりそうじゃん。海の気持ち」

 胸の奥が少し、ぎゅっと縮んだ。

「僕は……隼がいい……」

 鼓動が速くなる。
 
 ――切ない。
 
 別に分かって欲しい訳じゃないのに。

「……じゃぁ……うちに来る?」
 
「……うん」
「明日はバイト?」
「うん」
「そっか。じゃぁもう遅いし、泊まっていけば? 朝早めに起きて帰ったら、バイト間に合うだろ?」
「え? いいの?」
「いいよ。全然」
「ありがとう!」

 僕は、隼に笑顔を向けた。
 隼は照れたのか目を逸らして、頷いた。
 
 
 隼のうちに着き、僕はローテーブルの前に座った。
「焼酎ならあるけど、飲む? いや、やめといた方がいいか?」
「飲む」
「じゃぁ、少しだけな」
「うん。ありがとう」
 そして、隼は僕に薄い薄い水割りを作ってくれた。
 思わず笑う。

「うすっ」

 隼も少しだけ笑った。
「……今日、楽しくなかった?」
「ううん。楽しかった。けど、圧倒されちゃった。みんな凄いなって思って」
「まぁ、大体は演劇やりたいやつだからな。でも、本当に海もよくやってたよ。刺激にはなったんじゃないの?」
「かなり刺激になったよ。隼も凄かったし」
「なら良かった。ちょっとお前に見せたかったんだよな」
「え? そうなの?」
「うん。海のおかげで、役をちょっと掴めたから。まぁ、ちょっとだけどな」
「僕のおかげ?」

「そう、甘えてるやつをよく観察できた」

 隼は僕を見てニヤリと笑った。

「……前に、お前が思いっきり甘えてきただろ」

 あ〜。やばいなぁ。好きになっちゃう。

「……甘えてるかな? 僕、まだまだ我慢してるんだけど」
「え? そうなの?」
「甘えたら、もっと凄いけど」
「そうなのか? いや、十分甘えてたぞ。あの夜。お前覚えてないんだろ?」
「あっ、そっか、あの夜は確かに、甘えてたかも」
「どっちだよ」

 隼は少し笑った後、ちょっと真剣な顔になった。
 その顔を横目で気にしながら、焼酎を一口飲んだ。

「ところでさぁ、シンジさんと、トイレで話してたじゃん」
「うん」

「その時さぁ、ヤるだけとか言ってたじゃん」

「あ〜……」

「あれ、どう言う意味?」

「……しても、付き合ったりしないっていう意味」
「セフレ?」
「セフレっていうか、1回限りみたいな感じかな」
「ん?」
「不特定多数ってこと、誰とでも……みたいな。引くよね」
 
 そう言って笑ったのに、声が少し震えた。
 隼の眉が少しだけ寄った。

「お前、なんでそういうことしてんの?」

 隼の声は柔らかくて僕の心の隙間にスッと入ってきた。
 普段言わないことも隼にはつい許してしまう。

「……その方が安心するんだ。一人の人だと、不安になるから」
「え?……なんで一人の人だと不安なんだよ。普通逆じゃねぇ?」
「だって……一人の人と付き合っても、その人がずっと僕を好きでいてくれるかなんて、分かんないじゃん。その場限りなら、そんな心配しなくても済むし」

「どれだけ寂しがりなんだよ。お前」

 そう言ってケラケラと笑った。

 その優しさに僕はたまらなくなって、隼に抱きついた。

「僕、自分が嫌いなんだよ! こんな自分消えた方がいいって思う。でも……消えるのも怖い。こうやって誰かと肌を重ねたら……その時だけでも僕はここにいてもいい思える」
 
 体が震える。涙が頬を伝った。

「そっか」

 そう言って、隼はぎゅっと抱きしめ返してくれた。
 そして、隼が僕の背中を撫でる。
 
「お前はここにいる。これが、海の背中だよ。海はどこにいてもいいんだよ」

 胸の奥が掴まれる。苦しい。その優しい声に切なくなる。
 僕はさらにギュッと隼を抱きしめた。
 
 また胸の奥深くに消えかけていた、丸い光がちょっとだけ広がった感じがした。
 温かい。

「……やっぱり隼は優しいね」
「……俺もただ怖いからなのかも」
「怖い?」
「そう。人から嫌われるのが……」
「僕は嫌いにならないよ」
「うん」
「……もう少しこうしてて良い?」
「……うん」

 僕はそのまま隼の温かさを感じていた。
 やっぱり優しい。やっぱり……好きだな。
 胸の奥が張り裂けそうで切なくなった。

「なんか、お前って不思議だな」
「そう?」

「な〜んか癒し系みたいな感じ?」

「え? 癒されてるの?」
「多分」

「……もっと癒してあげようか」
「いや、もう、十分」

 僕が笑うと、隼も笑った。
 そして、目があって、僕は、顔を近づけた。
 隼も僕に近づいてきて、お互いの唇が僅かに触れた。

「……隼くん……しよう」

「……いや、しない」

「キスしたのに?」

「キスじゃないよ」

「じゃぁちゃんとキスしよう」

「しない」

「今しようとしたじゃん」

「……お前の一回限りになりたくない」
「……じゃぁセフレになろう」

「意味分かんねぇ。普通、したら付き合うんじゃねぇの?」

「隼は真面目だね」
「普通だよ」

「そっか、僕が壊れてるんだった」

「……そういうのやめろよ。壊れてねぇよ」

「誰とでもなんて、壊れてないとできないじゃん」

「じゃぁ破壊行為だな」

「違うよ。……確認に行ってるだけ」

「……そっか」
「うん」

「……やっぱ帰ろうかな」

「なんで? 他探すの?」
「そうだって言ったら、してくれるの?」

「しないけど、行かせたくない」

「……そんなこと言ってると、好きになっちゃうよ」

「……一人の人を好きにはならないんじゃなかったの?」

「うん。そうだった」

「……明日、バイトだろ。もう寝よう。シャワー浴びれば? また服貸してやるよ」

「いいよ。僕、このまま寝て、始発で帰って準備するから」
「そう? じゃぁ俺は入ってくるから、先寝て。ベッド使って良いから」
「いいよ。服のままだし、床で寝る」
「別に気にしないよ」

「……やっぱり、シャワー浴びる」
 隼が優しく笑う。
「……じゃあ、服かすよ」

 隼はTシャツと短パンを貸してくれた。
 そして、シャワーを浴びてから、ベッドに入った。
 隼もシャワーを浴びてから、ベッドに横になる。

「おやすみ」
「うん。おやすみ」

 隼は僕のことどう思ってるんだろう。
 距離感が近くて勘違いしそうになる。

 僕は隼にまた抱きついた。隼も抱きしめ返してくれた。
 そして、そのまま安心して眠った。
 
 部屋のクーラーでは足りないくらい暑かった。それでも僕たちは離れなかった。

 窓の外は静かな暗闇が広がっている。
 街灯の光がカーテン越しに、淡く部屋を照らしていた。
 その光は、隼の腕のあたたかさと同じように、僕を消えない方へそっと引き戻してくれる気がした。
 そんな夏の夜だった……。