「実は綺麗なものとか、かわいいもの、好きだったりするの?」
「えっと……、まぁ、嫌いではないと思いますけど……」
「嫌いじゃない、か。素直じゃないんだねー」
そう言って、真宙さんはふふっと笑う。その表情はなんだか嬉しそうだ。僕が素直でいられないのを、どう言い訳をしようか考えているうちに、真宙さんは僕に訊ねた。
「葵くんの、ほんとの好きはどこにあるんだろうなぁ」
「ほんとの好き……?」
「そう。ほんとの好きが見つかれば、興味があるものもわかるよ。そうすれば、自分がなにをしたいかも見えてくるはずだろ」
「それは、まぁ。たしかに……」
僕はそう答えながら、切り花で溢れた実家の作業場が脳裏に浮かび、真宙さんから目を逸らす。本当は、思い当たることがないわけではない。ただ、興味があるものを追いかけたいと思っても、それにどんなに興味を持っても、僕がそれを選んで喜ぶ人は誰もいないのだ。むしろ家族を落胆させ、困らせてしまう。だから、それ以外の興味を探さなければならない。けれど、そんなもの見つからない。
――お前は農家なんかやらなくていい。いっぱい勉強して、いい学校へ入って、えらくなれ。
ふと。また、祖父の言葉を思い出して、胸が少し苦しくなった。家族に期待されるのは、悪い気分ではないのに、まったく心が動かない。むしろ、冷たく硬く、そして重くなっていく心地がする。
いい大学へ行ったら、見つかるのかな……。夢中になれるなにかを見つけて、えらくなることに必死になれたりも、するんだろうか……。
「おーい。ねぇ、葵くん?」
「は、はい……?」
「大丈夫? なんか、急に思い詰めた顔してたけど……」
「大丈夫です、すいません……」
会話の最中だったのに、つい、悶々としてしまった――と、僕は猛省する。きっと、失礼をしたんだろうと思ったが、真宙さんは嫌な顔ひとつしないで、僕に訊ねた。
「葵くんさぁ、本当はなにか特別に好きなものがあるんじゃないの?」
「どうしてですか」
「なんとなく。そんな顔してるから」
あまりに優しげで穏やかな笑顔を向けられて、その笑顔があまりに綺麗で、僕はすぐには答えられなかった。それに、どうしてだろう。この人には必死に心の内側を隠したとしても、なにもかも見透かされてしまうような気がした。だから「嫌です」と断ったところで、きっとなんの意味もないのだろうと思った。
「実はまったくないわけではないんですけど……、それは仕事にはできないっていうか……。僕は、自分が好きな道には進めないんです……」
僕の言葉の意味が、きっと真宙さんにはわからなかったのだろう。彼の顔から、穏やかな笑みは消え、代わりに怪訝そうな表情が現れた。だが、かまわず僕は続ける。
「うちは農家なんです。農家っていっても、野菜とか米じゃなくって、切り花用の小菊とか、ガーベラとか作ってる花農家なんですけど……」
「あぁ……、うん。知ってるよ」
「それで、その……、僕はちっちゃい頃から、大人になったら、みんなに混じって実家の仕事をするもんだとばかり思ってました。花の仕事を眺めるのが好きで……、いつか僕が跡を継ぐんだって。でも、家族は僕にそうなってほしくないみたいなんです。僕にはいい会社に入って、えらくなってほしいって、そう思ってるみたいなんですよね……」
僕が答えると、真宙さんの表情がより一層、険しくなった。それから、短いため息を漏らして「なるほどね、そういうことか」とすべてを悟ったように言った。僕はさらに続けた。
「だけど、僕はいい学校へ行きたいわけじゃないし……、えらくなりたいわけでもないんです。勉強は嫌いじゃないし、テストでいい点数を取るのも、そのために勉強をするのも、べつに苦痛じゃない。でも、成績がいいんだから花農家なんかやるなって言われるのは……、自分の中では納得がいかないし、ちょっと悲しいんですよね……」
僕がそこまで話したあと、真宙さんはしばらく黙り、相槌も打たなかった。僕は僕で、話したいことはみんな話してしまったので、彼がなにかしら返してくれるのを期待していた。同級生にも、家族にも、先生にも話したことのなかった心の内を、どうして真宙さんには話そうと思ったのか、自分でも不思議だと思ったが、もしかすると、僕は真宙さんが優しい人だということも、僕を否定しないということも察して、甘えていたのかもしれない。それからほどなくして、真宙さんは咳ばらいをしながら、ちょっと訊きにくそうに訊ねた。
「ええっと、その……。葵くんちって、べつに……、売り上げが悪いとかってわけじゃないよね?」
僕は首を傾げ――だが、かぶりを振った。そんな話は聞いたことがない。ただ、花農家の仕事は重労働で、祖父の体はガタガタだということは知っている。背中や腰には、いつもシップが貼られているし、接骨院にももうずいぶん通っているようだが、なかなかよくならないらしかった。
「たぶん……。ただ、じいちゃんは農家なんかより、サラリーマンのほうがよっぽど気楽だって。じいちゃんは最近、体もつらそうだし、大変なことはあるんだと思います……。花の仕事は、僕から見ててもほんとに重労働ですから……」
「そっかぁ。葵くんちのおじいちゃんは、葵くんに、自分と同じ苦労をさせたくないって思ってんのかもね」
「そんなの。サラリーマンでもそうじゃなくても、それなりに大変なことはあるだろうけどな……」
そう返すと、真宙さんは驚いたのか、目を丸くする。それから、くくっと笑みをこぼした。
「若いのに達観してるんだなぁ」
「若いのにって……、真宙さんだってそんなに変わらないでしょ」
「えっと……、まぁ、嫌いではないと思いますけど……」
「嫌いじゃない、か。素直じゃないんだねー」
そう言って、真宙さんはふふっと笑う。その表情はなんだか嬉しそうだ。僕が素直でいられないのを、どう言い訳をしようか考えているうちに、真宙さんは僕に訊ねた。
「葵くんの、ほんとの好きはどこにあるんだろうなぁ」
「ほんとの好き……?」
「そう。ほんとの好きが見つかれば、興味があるものもわかるよ。そうすれば、自分がなにをしたいかも見えてくるはずだろ」
「それは、まぁ。たしかに……」
僕はそう答えながら、切り花で溢れた実家の作業場が脳裏に浮かび、真宙さんから目を逸らす。本当は、思い当たることがないわけではない。ただ、興味があるものを追いかけたいと思っても、それにどんなに興味を持っても、僕がそれを選んで喜ぶ人は誰もいないのだ。むしろ家族を落胆させ、困らせてしまう。だから、それ以外の興味を探さなければならない。けれど、そんなもの見つからない。
――お前は農家なんかやらなくていい。いっぱい勉強して、いい学校へ入って、えらくなれ。
ふと。また、祖父の言葉を思い出して、胸が少し苦しくなった。家族に期待されるのは、悪い気分ではないのに、まったく心が動かない。むしろ、冷たく硬く、そして重くなっていく心地がする。
いい大学へ行ったら、見つかるのかな……。夢中になれるなにかを見つけて、えらくなることに必死になれたりも、するんだろうか……。
「おーい。ねぇ、葵くん?」
「は、はい……?」
「大丈夫? なんか、急に思い詰めた顔してたけど……」
「大丈夫です、すいません……」
会話の最中だったのに、つい、悶々としてしまった――と、僕は猛省する。きっと、失礼をしたんだろうと思ったが、真宙さんは嫌な顔ひとつしないで、僕に訊ねた。
「葵くんさぁ、本当はなにか特別に好きなものがあるんじゃないの?」
「どうしてですか」
「なんとなく。そんな顔してるから」
あまりに優しげで穏やかな笑顔を向けられて、その笑顔があまりに綺麗で、僕はすぐには答えられなかった。それに、どうしてだろう。この人には必死に心の内側を隠したとしても、なにもかも見透かされてしまうような気がした。だから「嫌です」と断ったところで、きっとなんの意味もないのだろうと思った。
「実はまったくないわけではないんですけど……、それは仕事にはできないっていうか……。僕は、自分が好きな道には進めないんです……」
僕の言葉の意味が、きっと真宙さんにはわからなかったのだろう。彼の顔から、穏やかな笑みは消え、代わりに怪訝そうな表情が現れた。だが、かまわず僕は続ける。
「うちは農家なんです。農家っていっても、野菜とか米じゃなくって、切り花用の小菊とか、ガーベラとか作ってる花農家なんですけど……」
「あぁ……、うん。知ってるよ」
「それで、その……、僕はちっちゃい頃から、大人になったら、みんなに混じって実家の仕事をするもんだとばかり思ってました。花の仕事を眺めるのが好きで……、いつか僕が跡を継ぐんだって。でも、家族は僕にそうなってほしくないみたいなんです。僕にはいい会社に入って、えらくなってほしいって、そう思ってるみたいなんですよね……」
僕が答えると、真宙さんの表情がより一層、険しくなった。それから、短いため息を漏らして「なるほどね、そういうことか」とすべてを悟ったように言った。僕はさらに続けた。
「だけど、僕はいい学校へ行きたいわけじゃないし……、えらくなりたいわけでもないんです。勉強は嫌いじゃないし、テストでいい点数を取るのも、そのために勉強をするのも、べつに苦痛じゃない。でも、成績がいいんだから花農家なんかやるなって言われるのは……、自分の中では納得がいかないし、ちょっと悲しいんですよね……」
僕がそこまで話したあと、真宙さんはしばらく黙り、相槌も打たなかった。僕は僕で、話したいことはみんな話してしまったので、彼がなにかしら返してくれるのを期待していた。同級生にも、家族にも、先生にも話したことのなかった心の内を、どうして真宙さんには話そうと思ったのか、自分でも不思議だと思ったが、もしかすると、僕は真宙さんが優しい人だということも、僕を否定しないということも察して、甘えていたのかもしれない。それからほどなくして、真宙さんは咳ばらいをしながら、ちょっと訊きにくそうに訊ねた。
「ええっと、その……。葵くんちって、べつに……、売り上げが悪いとかってわけじゃないよね?」
僕は首を傾げ――だが、かぶりを振った。そんな話は聞いたことがない。ただ、花農家の仕事は重労働で、祖父の体はガタガタだということは知っている。背中や腰には、いつもシップが貼られているし、接骨院にももうずいぶん通っているようだが、なかなかよくならないらしかった。
「たぶん……。ただ、じいちゃんは農家なんかより、サラリーマンのほうがよっぽど気楽だって。じいちゃんは最近、体もつらそうだし、大変なことはあるんだと思います……。花の仕事は、僕から見ててもほんとに重労働ですから……」
「そっかぁ。葵くんちのおじいちゃんは、葵くんに、自分と同じ苦労をさせたくないって思ってんのかもね」
「そんなの。サラリーマンでもそうじゃなくても、それなりに大変なことはあるだろうけどな……」
そう返すと、真宙さんは驚いたのか、目を丸くする。それから、くくっと笑みをこぼした。
「若いのに達観してるんだなぁ」
「若いのにって……、真宙さんだってそんなに変わらないでしょ」
