「俺の実家の近所にね、でっかいいちご農家があって、そこのオーナーさんがすッげえ素敵な人でさ。そんで、俺はその人に憧れて、農業やりたいなーと思ったの」
「へえ……」
「職業体験で世話になったのがきっかけで、片想いしてたんだ」
「片想い……?」
「でもさ、その人にはちゃんと奥さんがいたから」
ちゃんと、奥さん――……?
「ぶは……ッ」
それを聞くなり、僕は最後に飲み干そうとしていた味噌汁を噴いてしまった。そのまま、ゲホゲホと咽てしまって、慌てて胸を叩く。真宙さんも慌てて立ち上がり、僕のそばへ来て、背中をさすってくれた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です……。すみません、ちょっと……」
「ビビったよね? ごめーん」
真宙さんは苦笑して、また向かい側に戻り、腰を下ろす。僕は何度か咳ばらいをして、息を整えてから訊ねた。
「真宙さんって、その……、男の人が好きなんですか?」
「うーん……、どっちかっていうと、そうかな。でも、女の子でも平気だよ。俺ね、どっちも大丈夫なんだ」
「へえ……。あ――……」
その時、僕はさあっと血の気が引くような思いがして、ごく、と生唾を飲んだ。この状況、まさか彼は僕を誘惑しようと、朝ごはんに誘ったのではないか、と思ったのだ。だが、僕がそれを言葉にして警戒するよりも先に、真宙さんは言う。
「ちなみに言っとくけど、朝メシ誘ったのは、君に下心があるとかじゃないからね。迷える子羊ちゃんだと思ったから、誘っただけだし」
「そうですか……」
「それに俺、好きな子狙うときには、朝ごはんじゃなくて、夜ごはんに誘うから」
「それはよかったです」
ホッと息を吐き、安堵する。僕はノーマルだ。相手がどんなに魅力的で優しい人だったしても、男の人を好きになる趣味はない。それにいくらなんでも、僕のような年下で、パッとしない高校三年生を誘うほど、真宙さんだって暇ではないだろう。真宙さんは同性の僕から見ても、すらりとしていて、背が高くて爽やかで、あか抜けた雰囲気があってかっこいいし、大人っぽい。彼なら、きっと引く手数多だろう。
そもそも、初恋の相手がいちご農家のオーナーさんだったというところを考えても、彼は年上が好きなのだろうから、余計な勘ぐりをする必要もなかった。
「じゃあ、真宙さんはその人を今も好きなんですか」
「まさかぁ。だってそれ、小学生のときの話だよ。だけど、その人のことは今も人間として憧れててさ。俺もああなりたいなって思ってんだ。なんつーか、憧れとか、目標みたいな感じかなぁ」
「へえ……。いいですね」
真宙さんとその人がどんな関係だったのかは、僕には想像もつかない。ただ、真宙さんがその人を本当に尊敬していて、その人の影響があって、今、目標も夢も持っているのだ――と思うと、やはり猛烈に羨ましくなった。僕もそういうものが欲しい。目指そうと思えるほど興味のあるものや、未来を思ってワクワクするような感情を持ちたい。そうすれば勉強だって、ただの点取りゲームじゃなくて、もっと真剣になれるだろうし、身が入るに決まっている。しかし、そう思ったところで、ずしりと心が重くなった。思い当たるものがないわけではないのに、見ないフリ、知らないフリをしなければならないからだ。
「僕には、そういう……好きな人とか、興味があるものとかもなくて……。将来の夢も、やりたいことも、よくわからないんですよね。なんか、いつも頭の中でぐるぐるごちゃごちゃしてて。だから、羨ましいです」
「ふうん……。でも、バド部は? 好きで入ったんじゃないの?」
「バドは、クラスメイトに頼まれて入っただけですよ。マネがいなくて、困ってるっていうんで。バドミントンにも、そんなに興味があるってわけじゃなかったし……。ルールとか、競技としての魅力は理解できたけど……」
「そっか……。理解ねぇ……」
真宙さんはそう相槌を打つと、残っていた焼き鮭の端っこを口の中に放って、白飯をかっ込んで、箸を置く。そうして、彼はなにを思ったのか、頬杖をついて僕をじいっと見つめた。
「な、なんですか……」
興味はないと言われはしたが、そう見つめられると、まさか妙なことを考えているんじゃないか、と危ぶんでしまう。だが、彼は僕が怪訝な顔を見せても、表情ひとつ変えずに言った。
「葵くん。好きな人も、好きなものも、興味があるものもないって、そりゃあ嘘だね」
「え……?」
「だって、葵くんはみりんちゃんキーホルダー、持ってるじゃん」
「あぁ……」
なにかと思えば、みりんちゃんキーホルダーの話だ。僕は眉を上げる。
「そりゃあ、みりんちゃんは好きですけど。まさか将来、みりんちゃんになれっていうんじゃないですよね?」
「いやいや。葵くんがそれでいいなら、みりんちゃん目指せばいいと思うけどさ。そうじゃなくて、好きなものあるじゃんって話。みりんちゃんのグッズって、イベントでしか配らないのに、それを持ってるってことは、けっこうガチ勢でしょ。それから、さっきのウランガラスだって、すっごいキラキラした目で見てたし」
「そうでしたか……?」
「そうだよ」
言われて、ちょっとだけ恥ずかしさを覚えた。たしかに、ウランガラスは綺麗だと思った。完品をちゃんと見てみたいと思ったし、ブラックライトを当てたところも見てみたい。けれど、そんな自分の心を知らずうちに見透かされていたのだと思うと、たまらなく恥ずかしくなる。
「へえ……」
「職業体験で世話になったのがきっかけで、片想いしてたんだ」
「片想い……?」
「でもさ、その人にはちゃんと奥さんがいたから」
ちゃんと、奥さん――……?
「ぶは……ッ」
それを聞くなり、僕は最後に飲み干そうとしていた味噌汁を噴いてしまった。そのまま、ゲホゲホと咽てしまって、慌てて胸を叩く。真宙さんも慌てて立ち上がり、僕のそばへ来て、背中をさすってくれた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です……。すみません、ちょっと……」
「ビビったよね? ごめーん」
真宙さんは苦笑して、また向かい側に戻り、腰を下ろす。僕は何度か咳ばらいをして、息を整えてから訊ねた。
「真宙さんって、その……、男の人が好きなんですか?」
「うーん……、どっちかっていうと、そうかな。でも、女の子でも平気だよ。俺ね、どっちも大丈夫なんだ」
「へえ……。あ――……」
その時、僕はさあっと血の気が引くような思いがして、ごく、と生唾を飲んだ。この状況、まさか彼は僕を誘惑しようと、朝ごはんに誘ったのではないか、と思ったのだ。だが、僕がそれを言葉にして警戒するよりも先に、真宙さんは言う。
「ちなみに言っとくけど、朝メシ誘ったのは、君に下心があるとかじゃないからね。迷える子羊ちゃんだと思ったから、誘っただけだし」
「そうですか……」
「それに俺、好きな子狙うときには、朝ごはんじゃなくて、夜ごはんに誘うから」
「それはよかったです」
ホッと息を吐き、安堵する。僕はノーマルだ。相手がどんなに魅力的で優しい人だったしても、男の人を好きになる趣味はない。それにいくらなんでも、僕のような年下で、パッとしない高校三年生を誘うほど、真宙さんだって暇ではないだろう。真宙さんは同性の僕から見ても、すらりとしていて、背が高くて爽やかで、あか抜けた雰囲気があってかっこいいし、大人っぽい。彼なら、きっと引く手数多だろう。
そもそも、初恋の相手がいちご農家のオーナーさんだったというところを考えても、彼は年上が好きなのだろうから、余計な勘ぐりをする必要もなかった。
「じゃあ、真宙さんはその人を今も好きなんですか」
「まさかぁ。だってそれ、小学生のときの話だよ。だけど、その人のことは今も人間として憧れててさ。俺もああなりたいなって思ってんだ。なんつーか、憧れとか、目標みたいな感じかなぁ」
「へえ……。いいですね」
真宙さんとその人がどんな関係だったのかは、僕には想像もつかない。ただ、真宙さんがその人を本当に尊敬していて、その人の影響があって、今、目標も夢も持っているのだ――と思うと、やはり猛烈に羨ましくなった。僕もそういうものが欲しい。目指そうと思えるほど興味のあるものや、未来を思ってワクワクするような感情を持ちたい。そうすれば勉強だって、ただの点取りゲームじゃなくて、もっと真剣になれるだろうし、身が入るに決まっている。しかし、そう思ったところで、ずしりと心が重くなった。思い当たるものがないわけではないのに、見ないフリ、知らないフリをしなければならないからだ。
「僕には、そういう……好きな人とか、興味があるものとかもなくて……。将来の夢も、やりたいことも、よくわからないんですよね。なんか、いつも頭の中でぐるぐるごちゃごちゃしてて。だから、羨ましいです」
「ふうん……。でも、バド部は? 好きで入ったんじゃないの?」
「バドは、クラスメイトに頼まれて入っただけですよ。マネがいなくて、困ってるっていうんで。バドミントンにも、そんなに興味があるってわけじゃなかったし……。ルールとか、競技としての魅力は理解できたけど……」
「そっか……。理解ねぇ……」
真宙さんはそう相槌を打つと、残っていた焼き鮭の端っこを口の中に放って、白飯をかっ込んで、箸を置く。そうして、彼はなにを思ったのか、頬杖をついて僕をじいっと見つめた。
「な、なんですか……」
興味はないと言われはしたが、そう見つめられると、まさか妙なことを考えているんじゃないか、と危ぶんでしまう。だが、彼は僕が怪訝な顔を見せても、表情ひとつ変えずに言った。
「葵くん。好きな人も、好きなものも、興味があるものもないって、そりゃあ嘘だね」
「え……?」
「だって、葵くんはみりんちゃんキーホルダー、持ってるじゃん」
「あぁ……」
なにかと思えば、みりんちゃんキーホルダーの話だ。僕は眉を上げる。
「そりゃあ、みりんちゃんは好きですけど。まさか将来、みりんちゃんになれっていうんじゃないですよね?」
「いやいや。葵くんがそれでいいなら、みりんちゃん目指せばいいと思うけどさ。そうじゃなくて、好きなものあるじゃんって話。みりんちゃんのグッズって、イベントでしか配らないのに、それを持ってるってことは、けっこうガチ勢でしょ。それから、さっきのウランガラスだって、すっごいキラキラした目で見てたし」
「そうでしたか……?」
「そうだよ」
言われて、ちょっとだけ恥ずかしさを覚えた。たしかに、ウランガラスは綺麗だと思った。完品をちゃんと見てみたいと思ったし、ブラックライトを当てたところも見てみたい。けれど、そんな自分の心を知らずうちに見透かされていたのだと思うと、たまらなく恥ずかしくなる。
