その夜。どうやら僕はそのまま、眠ってしまったらしい。目を覚ましたのは、午前四時だった。あまりに早く眠ってしまったせいで、特に理由なく早起きをしてしまった僕は、(ひま)を持て余し、気の向くままにTシャツにハーフパンツのまま、キャップを被って河川敷へ向かった。もうこれ以上は眠れそうになかったし、部屋でゴロゴロするのも退屈なので、少し歩こうかと思い立ったのだ。

 河川敷へは、自宅から歩いて数分だった。昔はここでよく父とサッカーをしたり、キャッチボールをしたりして、遊んでもらった記憶がある。河川敷にはランニングコースやサッカーコートがあって、土日の朝は早くからそこで草サッカーや草野球の試合をやっていたりするのでにぎやかだ。しかし、お盆休みを間近に控えた今日、人はまばらだった。平日ということもあるかもしれない。

 僕はすでに明るい空の下、めいっぱい伸びをした。空は明るいが、太陽はまだ昇りきっておらず、そのせいか、朝の風が気持ちよかった。連日猛暑が続いていても、太陽が昇る直前は、いくらか涼しさがある。

 そうして、人の少ない河川敷を歩きながら、ふと気付く。こんなに朝早くから、ゴミ拾いをしている人がいるのだ。この地域の自治会の人だろうか。頭につばの大きな麦わら帽子を被り、Tシャツにカーゴパンツ姿。首にはタオル。手には軍手を()めている。おそらくはボランティア活動をしているのだろう。報酬が出るわけでもないだろうに、頭が下がる。――と、そう思った時だった。ぼんやりと視界に入っていただけのその人が、不意に僕の方を向き、麦わら帽子を取って、汗を拭き始める。その顔を見て、僕は思わず顔を引きつらせた。

「げえ……」
「あっ、おはようー!」

 ゴミ拾いをしていたのは、自治会の人ではない。夕べ僕に話しかけた、あの隣人だった。僕はげんなりしながらも、彼のそばへ近づく。

「どうも。お、おはようございます……」
「早起きだねぇ」
「はい、まぁ……。なんか、今朝は目が覚めちゃって」
「いいことだよ。早起きは三文の徳って言うし」

 彼はそう言うと、笑みを見せてから、なにかを思い出したようにポケットを探る。そうして、僕に手招きをした。もっと近くへ来いというのだ。

「なんですか……?」
「いいから、ちょっと。いいもの拾ったから、見せてあげるよ」

 ゴミ拾いの途中に拾ったものに興味は湧かない。きっとそれもゴミだろうと思うと、僕はまったく気が進まず、けれど、彼を無視できずに、さらに彼のそばへ寄った。夕べそっけない態度をしたことに、少しだけ罪悪感を持っていたせいかもしれない。

「じゃーん!」

 彼は手の中にあったものを、自慢げに僕に見せた。まったく期待していなかった僕だが、見せられたそれに目を奪われる。

 ガラス……?

 どう見ても、ガラスの破片だ。しかし、その辺によく落ちているようなありきたりのものではない。黄色と黄緑色のちょうど中間のような、なんともいえない蛍光色をしていて、そのせいか、わずかに発光して見える。

「うわ、きれい……」

 思わず声に出てしまってから、慌てて口を(つぐ)む。だが、彼はそれを見逃さなかったとでも言うかのように、にやりと口角を上げた。

「すごいでしょう、これ」
「すごいですね……」

 オウム返しをするように答えると、彼はより一層嬉しそうな顔をして、語り始めた。

「これね、ウランガラスっていうの。着色剤にちょっとだけウランが混ざってて、ブラックライトを当てると、緑色に発光するんだ。明治とか大正の頃に作られたものでさ。これは破片になっちゃってるけど、完品だとすっごいお宝なんだよ」
「へぇ……」

 ウランガラス。聞いたことはあった。だが、こうして間近で見たことはなく、僕はそのウランガラスに見入ってしまう。自然光ですら、これだけ発光して見えるのだから、暗がりにブラックライトを当てたときは相当きれいに見えるのだろう。それを想像したとき、彼はそのガラスを僕に差し出した。

「え……」
「あげる!」
「え……!」
「あげるよ。好きそうだから」
「いや、でも……、せっかく拾ったんじゃ……」

 僕は彼の手にあるウランガラスと、もう片方の手にあるゴミ袋を交互に見つめる。見たところ、四十リットルほどあろうかというサイズのゴミ袋の中身は、間違いなくゴミだ。明らかにそれらしいものばかり入っているのが、透けて見えている。そんな善行をしている途中に見つけた、せっかくのお宝を、通りすがりの僕がただでもらうべきではない。だが、彼は言った。

「大丈夫。お店にも、俺の部屋にも完品はたくさんあるし。ここでウランガラス拾えるとは思わなかったからいい収穫だったけど、よかったら記念にして」
「記念……。なんのですか……?」

 記念の意味が理解できず、()き返す。ウランガラスの完品、つまり、それが割れる前の完全な状態のものを、彼は持っているようだった。それもたくさん。僕は正直なところ、そういう骨董品というものにあまり興味がないし、隣の「カザミ」さんにはほとんど入ったことがなかった。だから、完品があるとかないとか、この河川敷にウランガラスが落ちているということも、全部どうでもよかった。だが、彼が言った「記念」だけが理解できずに気になる。(まゆ)をしかめた僕を見つめて、彼はからかうように笑みをこぼして言った。

「決まってるじゃん。俺たちの出会いの記念だよ!」
「であい……?」
「そうだよ。野々川(ののかわ)(あおい)くん」

 そう言うと、彼は僕の手を取り、ウランガラスの破片をやや強引に手渡した。僕は困惑する。僕は彼との出会いに、それほど縁を感じていなかったのもあるが、なによりも、自己紹介をした覚えはない。それなのに、彼は僕のフルネームを呼んだからだ。

「どうして、名前――……」
「あぁ、ごめん……。じいちゃんに聞いたんだ」
「あぁ……」

 じいちゃん――というのは、きっと骨董品屋「カザミ」の店主、ヒデさんのことだろう。どうやら、彼はヒデさんの孫だったようだ。

「俺はカザミマヒロ。よろしくね」
「カザミ、マヒロ……」

 僕が呆気(あっけ)にとられたまま復唱すると、彼は地面にあった木の棒を取り、地面に自分の名前を書き始める。

 ――風見真宙。

「こう書くんだ。よろしく、葵くん」
「はぁ、よろしくお願いします……」

 すっかり彼のペースに乗せられ、軍手を取った手を差し伸べられ、僕は思わず彼の手を握る。それは単純な条件反射だった。だが、条件反射だろうと、なんだろうと、一度握手をすれば、僕は彼と出会ったことになる。もうどんなに鬱陶(うっとう)しくても、面倒でも、無視はできない関係になったのだと気付き、「しまった」と思った時、東から昇ってきていた日が差し込んだ。