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 僕はその日、母と祖母、僕の三人で夕飯を食べ、さっさと自室へ(こも)った。――とはいえ、特段やることもなく、ベッドで寝転び、ぼんやりと天井を眺める。

 家族といると、当然だが、すぐ学校の話になる。「勉強はしっかりやってるか」とか「大学受験はどうするんだ」とか。家族はいつだって、僕の学業成績と、進路のことばかり話している。それが(わずら)わしいので、僕は家族団らんの時間を極力、いつも避けていた。

 もっとも、昔はこうではなかった。僕は自室にいるより、居間にいて父や祖父と話すことが多かったし、彼らから仕事の話を聞くのも好きだった。今日は仏花の五本組より三本組が売れていたとか、明日は雨だから、収穫量と市場への出荷は減らそうとか。

 当時の僕にはまだ理解できないような、難しい話もあったが、それでも家族が仕事の話で盛り上がっている場にいるのが楽しかった。まるでみんなが、同じ船に乗ったチームのように見えていたからだ。そうして僕は子どもの頃から、いつかみんなの仲間になって一緒に働くのを当たり前のように想像していた。

 僕は実家の家業が好きだったのだ。花農家である家族を、かっこいいとも思っていた。だが、中学二年の頃だろうか。はじめての進路相談のとき、担任の先生に言われたひと言がきっかけで、その夢路は断たれた。

 ――葵くんは、二年生になってから、うんと成績が上がってます。このままいけば、ランクの高い国立大学へ行くのだって夢じゃない。ぜひ、ご家族のみなさんでフォローしてあげてください。

 担任教師の弾むような声と言葉。あれがすべてのきっかけだった。――とはいえ、先生の言葉は決して大げさではなく、あの頃、僕はテストでいい点をとるコツを掴みはじめ、結果的に、それまで特別良くも悪くもなかった成績をうんと伸ばしていた。ただ、ものすごく勉強が好きなわけでもなく、目標にしている職業や高校、大学があるわけでもなかった。それはテストの点数を取るために、勉強が必要だったからやっていただけのこと。それが僕の人生をこんなにも変えてしまうきっかけになってしまうとは思ってもみない。

 その頃から、僕は家族に「勉強していい大学へ行け」と言われるようになり、花の作業場や畑へ行けば「こんなところで遊んでないで、本でも読め」とか「お前は農家なんかやらなくていい。勉強して、えらくなれ」と言われるようになった。そうして、家族の勝手な応援とフォローの甲斐あって、僕は翌年、都内でも有名な進学校に受かり、寮生活を送るようになったというわけだ。

「はぁ……」

 家へ帰ってくると、余計なことを思い出して、どんどん気が滅入(めい)ってくるから、正直なことをいえば、あまり帰省したくない。しかし、一ヶ月半も休暇があるのに、(かたく)なに家に帰省しないと、先生や寮母さんに心配されて、かえって面倒なことになる。これまでの夏休みをはじめ、春休みやゴールデンウィークは部活を理由に寮で過ごせたのだが、高三の夏休みはさすがに部活も引退して、用事を探しても帰らないわけにはいかなくなる。――というわけで、僕は今回、しぶしぶ帰省したわけだ。

「はぁ……」

 何度目かのため息が出た。僕はふと、風に当たりたくなって、ベッドのそばの窓を開ける。夜風はエアコンほど涼しくはないし、連日、熱帯夜と言われるほどの蒸し暑さもあるが、小一時間、数えきれないほどため息を()きまくったこの部屋の空気を、すぐに入れ替えたくなったのだ。だが、その時だった。

「あ、こんばんはー!」

 不意に。夜も遅いというのに太陽のような明るい声がした。見れば、網戸越しの窓の向こうに手を振る人物を見つけて、僕は目を()らす。

「ん……?」
「おーい、おーい!」

 ここから見えているのは、隣の家の二階の窓。そこに、さっき駅前で、鍵を拾ってくれた男の人の顔が見え、にこやかな笑顔で手を振っている。だが、僕は彼とそんなに仲良くないし、たぶんこの先も仲良くなれない――はずなのだ。しかし、どう考えても僕を呼んでいるように見える。さすがに無視できなかった。

「ぼ、僕を呼んでるんですか……!」
「君しかいないじゃーん。いい夜だねー!」

 お酒でも飲んでいるのだろうか。この暑いのに、ずいぶんと陽気な人だ。ただ、ちょっとめんどくさいし、家族に聞かれるとあれこれ詮索されて、(わずら)わしい。僕は頭を下げ、ピシャリと窓を閉め、カーテンを閉じた。

「変な人……」

 あの人が誰なのか知らないが、窓から顔を出した隣人に声をかけるなんて、相当変わっている。垣根(かきね)がないにしても、ほどがあるだろう。僕は今回の帰省中のことを思うと、たちまちうんざりして、再びベッドに寝転がった。