初恋どろぼうと青い夏

 夕飯を食べたあと、真宙さんは僕を散歩へ誘った。少し風にあたりたかったようだ。――とはいえ、この辺りは夜中の散歩には適さない。夜の河川敷は暗く、足下が見えにくくて危険だし、土手のすぐ下の道なら外灯があるが、夜間になるとそこは車通りが極端に減るのに、時折、猛スピードで走る車が通ることがあって危ない。そういうわけで、僕たちは車通りが多く、外灯で照らされた安全な通りを、ただ、なんとなく歩いていた。

「いやぁ、まだ熱いねー」

 真宙さんはそう言って、途中、不意にサンダルを脱ぎ、アスファルトの上に裸足をつける。それから、何度か足踏みをする。どうやら暑さを確認しているらしい。それを眺めながら、僕は少しだけ笑った。最初に出会った頃から、真宙さんはちょっと変わった人だと思っていたが、やっぱり相当変わっている。

「まったくいつまでこう暑いのかなぁ」
「でも、今日は夜風があるから。少しマシですよ」
「そうだね。いつもこうやって、東の風が吹いてくれるといいんだけどなぁ」

 今日も一日中、四十度近くまで気温があったので、夜とはいえ、外気にはいまだ熱がこもっている。アスファルトにはまだ太陽の熱が残っているのだろうが、今夜の夜風は東から吹いていて、少し涼しく感じた。草むらの近くを通ると、時折、虫の音が聞こえるので、もしかすると、永遠に焼かれるような思いをしてきたこの夏も、だんだんと終わりに近づき、秋を迎えようとしているのかもしれない。

 そのうちに、コンビニの看板が見えてくると、「アイス食べたいね」と、真宙さんが言った。僕は財布を持っていなかったが、真宙さんはスマホのQRコードを持っていて、僕にアイスとペットボトルのジュースを買ってくれたあと、レジ前の棚に陳列してあった花火セットを見るなり、少し迷ってから、追加でそれと、小さなライターを買っていた。

 ただし、真宙さんが僕を散歩へ誘った本当の理由が、風にあたりたいわけでもなく、かと言って花火を買うのでも、コンビニのアイスでもないことはわかっている。真宙さんは僕と話がしたいのだろう。夕飯前に部屋で話していたこと。どうして、僕が真宙さんの初恋を気にしているのか。その答えを彼は求めているのだ。

 ――俺は今、ちょっとだけ期待してるんだけど……、変なカン違いしてるかな?

 夕方、真宙さんは確かに僕にそう(たず)ねた。ただ、期待しているといっても、まさか彼が僕を好きなはずがない。きっと、彼の言う「期待」は僕が考えているそれよりも、もっと単純なものだ。さっき部屋にいたときは、ふたりきりでいたことにドキドキして、変なテンションになってしまって、つい自分に都合のいい解釈で舞い上がってしまったが、冷静に考えれば、他人からの好意を察して期待するなんて、至極当然のことだった。

 誰だって、誰かに好意を寄せられていると知れば、それは嬉しいものだろうし、期待する。彼は同性愛者だから、男である僕からの好意は、きっとそんなに嫌なものではないのだ。おそらくはそれだけ。

 僕は必要以上に期待しないように、自分に言い聞かせていた。その辺はちゃんとわきまえておいたほうがいい。いちご農家のオーナーさんに恋をしていた真宙さんが、僕みたいな高校生を好きになるはずがないし、僕は真宙さんをはじめて好きになったような奥手なタイプだからよくわからないが、きっと真宙さんにも好みというものがあるはずだ。そして、おそらく彼の好みに、僕は当てはまらない。

 いつかもう少し大人になって、かっこいい男になったら……。そのときは、真宙さんの恋人候補くらいにはなれるかな……。

 なれないことはない、と思いたいが、その道のりはなかなか遠そうだ。僕は心の中で少ししょんぼりしながら、真宙さんと肩を並べて歩く。歩きながら、コンビニで買った、一本百円もしないソーダ味の氷菓系アイスをかじり、時折、隣をちらちらと気にした。

 花火セットの入ったビニール袋を手に提げ、真宙さんはゴキゲンだ。軽やかな足取りで僕の隣を歩き、鼻歌を唄っている。花火とライターまで買ったからには、これからどこかで遊ぶつもりなのだろう。

「真宙さん、花火やります?」
「うん。やろう」
「どこで?」
「公園でも行こっか。じいちゃん、どうせ今日は帰ってくんの遅いだろうしさ、夜遊びしちゃおうよ」

 僕は黙った。ヒデさんは今頃、祖父の愚痴(ぐち)を聞きながら、お気に入りのお酒を飲んでいるのだろう。祖父に愚痴(ぐち)を言わせているのはほかでもない僕なので、ヒデさんにはちょっと申し訳ない気持ちになる。

「僕のせいで……、ヒデさんが飲み過ぎちゃったらすみません……」
「そんなの気にしなくていいってー。葵くんと竜三さんのケンカがなくたって、じいちゃんたちはきっと飲んだくれてたよ」

 そんな話をしながら、僕とゴキゲンな真宙さんは、近くの公園を目指した。川べりの古い商店街から、大通りを挟んで反対側は閑静な住宅地が広がっていて、公園がやたらと点在している。花火を禁止している公園もあるが、ルールが(ゆる)い公園も中にはあって、僕らはそこを目指して歩いていった。そうして、公園までやってくると、真宙さんはベンチにビニール袋を置き、早速花火セットとライターを取り出した。

「よーし、ここを本拠地とする!」
「はぁ……。そういえば、バケツないけど大丈夫ですか?」
「あ、そうだった。どうしようかなぁ」

 そう言うと、真宙さんは僕の飲みかけのジュースをじっと見つめる。そうして、ぱちんと指を鳴らした。

「いいこと考えた! 葵くんのジュースと、俺のお茶。交換してもいい?」
「いいですけど……、もうあんまり残ってないですよ」
「うん、いいんだ。ありがとう!」
「真宙さん、もしかしてそのジュース――」

 まさか、ジュースが残っているそのペットボトルを、バケツ代わりに使うのだろうか。そうだとしたら、ちょっともったいない。そう思った瞬間。僕の心臓はドクン……と跳ねた。真宙さんは、僕の飲みかけのジュースのキャップを開けたかと思うと、なんのためらいもなくぐびぐびと飲み始めたからだ。

「あ……、あの……」
「はぁ、ごちそうさまー」
「はい……」

 こ、これは……。まぎれもなく間接キスなのでは……。