「真宙さん……」
「うん?」
勝手な妄想で、記憶をみんな書き換えてしまたら、どんなにいいだろう。真宙さんが好きな人は、いちご農家の人じゃなくて、初恋の人じゃなくて、目の前にいる僕だとしたら。そんな無謀なことを願いながら、真宙さんの名前を呼んでみたものの、その先になにを話したらいいかわからず、言葉が詰まる。
「どうした?」
真宙さんに訊ねられて、思わず本心をこぼしてしまいそうになるのを、必死でこらえた。誰かを好きになるのなんか生まれてはじめてなのに、相手は男の人で、しかも真宙さんで、下心もちゃんとあって、今、こうして頭を撫でられてドキドキしている。会ったこともないいちご農家の人には、ヤキモチも焼いている。真宙さんには、僕だけを見ていてほしい。駆け落ちの約束だって、冗談で済ませたくない。本気で考えてほしい。少なくとも、僕は本気だ。そんな思いが胸の奥で膨らんで、苦しくてたまらなくなるが、それをなんとかこらえながら、僕は彼に訊ねた。
「真宙さんは……」
「俺?」
「真宙さんは、ほんとはまだ……、いちご農家のオーナーさんが、好きなんですか?」
「え……?」
「初恋……、ほんとはまだ引きずってるんですか」
僕はそれくらいなら、訊いてもかまわないだろうと思った。真宙さんが数日前、いちご農家を営む憧れの人と食事に行ったことは、母から聞いたのだから事実なのだろうし、僕は真宙さんが車で送ってもらって、帰ってきたところを目撃している。あのとき、去っていく車を見送る真宙さんはとても切なげだったし、母に「憧れの人」と話すくらいなのだから、今も彼を好いていたとしても、おかしくない。むしろ、そのほうがしっくりくる。ただ、それだと僕に話していたことと違うのだ。僕は真実が知りたかった。
「なんで?」
「まだ、好きなのかなと思って……」
「だから、なんで急に?」
「この前、母さんに聞いたから……。真宙さんは憧れの人と夜ごはん食べに行ったって……」
それを聞くなり、真宙さんはぱちぱちと瞬きをする。それから、ふふっと笑みをこぼして、かぶりを振った。
「あぁ……、あれは夜ごはんじゃないよ。昼ごはん。ビニールハウス、倍に増やしたんだって聞いてさ、ずいぶん前から遊びにおいでって言われてたんだ。昼過ぎに向こうに着いて、みんなでダラダラ焼肉パーティーしたから、帰ってくるのは遅くなっちゃったけどね」
「昼ごはん……。そうだったんですか……」
「そうだよ」
「じゃあ、べつにその……、まだ、その人を好きとかじゃ……」
「うん、前にも話したじゃん。あれは小学生の頃の話だってば」
僕は深いため息を吐く。心の底から安堵したのだ。真宙さんの好きな人は、いちご農家の人ではなかった。その事実がわかったからと言って、僕の恋が叶うわけでもないし、可能性が高まったわけでもない。ただ、真宙さんが今も初恋の人を好きだという僕の憶測は、ただのカン違いだったというだけで、僕にも望みが出てきたような気になっていた。きっと、真宙さんが切なげにいちご農家の人を見送っていたのも、僕の勝手な思い込みだったのだ。
「なんだぁ、そうだったんだ……」
ホッとして、ため息混じりにそんな言葉をこぼした。けれど、それがまずかったようだ。真宙さんは「葵くん」と僕を呼んだあと、妙に静かな声で訊ねた。
「まさか、それが俺を避けてた理由?」
「あ……、いや、その――」
「それに、なんでそんなこと気にしてるの?」
「え……?」
「俺が初恋をまだ引きずってるかどうかをさ、なんで葵くんが気にしてるのかなぁって思って」
僕は焦り、だが、うまい言い訳も思いつかずに、再びだんまりをするしかなくなってしまって、ごくんと生唾を飲んだ。安易だったろうか。真宙さんが初恋を引きずっているかどうか、この流れで訊いたのはちょっとまずかったことに、今さらながら気付かされる。急に引きこもって避けるようになったのを心配して、その理由を聞いたのに、逆に「初恋の人をまだ好きなのか」と訊かれれば、僕の突然の引きこもり行動は完全にそれが理由だと言っているようなものだ。どうしてこんなことに気付かなかったのだろう。
なんてアホなんだ……。
僕は自分を強く叱責したい気持ちになったが、そんなことをしてみたところで、口から出てしまった言葉はもう取り消せない。
「なんでって、それは……」
「それは……?」
「それはー……」
真宙さんにはもう気付かれているのかもしれない。僕が真宙さんに恋愛感情を抱いてしまったこと。それが理由で、真宙さんを避けていたこと。はじめての恋の相手が男の人だということに、戸惑っているということにも。けれど、ここでそれを明かしてしまったら、それは告白しているのと同じだ。
ど、どうしよう。どうしたら……。
真宙さんとふたりきりでいるのに、こんなに長く沈黙していたことはなかったかもしれない。僕は真宙さんの目を見つめられなくなって、視線を落とし、なにを言えばいいか考えていた。真宙さんも僕の言葉を待っているのだろう。なにも言わなかった。
心臓がバクバクと高鳴って、体が揺れているような感覚がある。ベッドの上に座っているせいもあるかもしれない。その感覚が煩わしくて、僕は一度、深呼吸をして、その場から逃げられないことを知りながら、立ち上がった。すると、真宙さんの手をが僕の手首を掴む。まるで、逃がさない、とでも言うようだった。
「葵くん」
「はい……」
「俺は今、ちょっとだけ期待してるんだけど……、変なカン違いしてるかな?」
「え――……」
思わず、僕は真宙さんに振り向いた。僕と真宙さんは再びしっかり視線が合って、そのまま見つめ合い、微動だにしない。脳内はパニック状態に近かった。真宙さんの言葉を正確に理解できず、体が硬直している。だが、何度か彼の言葉を反芻しているうちに、だんだんと頬が火照ってくる。
「うん?」
勝手な妄想で、記憶をみんな書き換えてしまたら、どんなにいいだろう。真宙さんが好きな人は、いちご農家の人じゃなくて、初恋の人じゃなくて、目の前にいる僕だとしたら。そんな無謀なことを願いながら、真宙さんの名前を呼んでみたものの、その先になにを話したらいいかわからず、言葉が詰まる。
「どうした?」
真宙さんに訊ねられて、思わず本心をこぼしてしまいそうになるのを、必死でこらえた。誰かを好きになるのなんか生まれてはじめてなのに、相手は男の人で、しかも真宙さんで、下心もちゃんとあって、今、こうして頭を撫でられてドキドキしている。会ったこともないいちご農家の人には、ヤキモチも焼いている。真宙さんには、僕だけを見ていてほしい。駆け落ちの約束だって、冗談で済ませたくない。本気で考えてほしい。少なくとも、僕は本気だ。そんな思いが胸の奥で膨らんで、苦しくてたまらなくなるが、それをなんとかこらえながら、僕は彼に訊ねた。
「真宙さんは……」
「俺?」
「真宙さんは、ほんとはまだ……、いちご農家のオーナーさんが、好きなんですか?」
「え……?」
「初恋……、ほんとはまだ引きずってるんですか」
僕はそれくらいなら、訊いてもかまわないだろうと思った。真宙さんが数日前、いちご農家を営む憧れの人と食事に行ったことは、母から聞いたのだから事実なのだろうし、僕は真宙さんが車で送ってもらって、帰ってきたところを目撃している。あのとき、去っていく車を見送る真宙さんはとても切なげだったし、母に「憧れの人」と話すくらいなのだから、今も彼を好いていたとしても、おかしくない。むしろ、そのほうがしっくりくる。ただ、それだと僕に話していたことと違うのだ。僕は真実が知りたかった。
「なんで?」
「まだ、好きなのかなと思って……」
「だから、なんで急に?」
「この前、母さんに聞いたから……。真宙さんは憧れの人と夜ごはん食べに行ったって……」
それを聞くなり、真宙さんはぱちぱちと瞬きをする。それから、ふふっと笑みをこぼして、かぶりを振った。
「あぁ……、あれは夜ごはんじゃないよ。昼ごはん。ビニールハウス、倍に増やしたんだって聞いてさ、ずいぶん前から遊びにおいでって言われてたんだ。昼過ぎに向こうに着いて、みんなでダラダラ焼肉パーティーしたから、帰ってくるのは遅くなっちゃったけどね」
「昼ごはん……。そうだったんですか……」
「そうだよ」
「じゃあ、べつにその……、まだ、その人を好きとかじゃ……」
「うん、前にも話したじゃん。あれは小学生の頃の話だってば」
僕は深いため息を吐く。心の底から安堵したのだ。真宙さんの好きな人は、いちご農家の人ではなかった。その事実がわかったからと言って、僕の恋が叶うわけでもないし、可能性が高まったわけでもない。ただ、真宙さんが今も初恋の人を好きだという僕の憶測は、ただのカン違いだったというだけで、僕にも望みが出てきたような気になっていた。きっと、真宙さんが切なげにいちご農家の人を見送っていたのも、僕の勝手な思い込みだったのだ。
「なんだぁ、そうだったんだ……」
ホッとして、ため息混じりにそんな言葉をこぼした。けれど、それがまずかったようだ。真宙さんは「葵くん」と僕を呼んだあと、妙に静かな声で訊ねた。
「まさか、それが俺を避けてた理由?」
「あ……、いや、その――」
「それに、なんでそんなこと気にしてるの?」
「え……?」
「俺が初恋をまだ引きずってるかどうかをさ、なんで葵くんが気にしてるのかなぁって思って」
僕は焦り、だが、うまい言い訳も思いつかずに、再びだんまりをするしかなくなってしまって、ごくんと生唾を飲んだ。安易だったろうか。真宙さんが初恋を引きずっているかどうか、この流れで訊いたのはちょっとまずかったことに、今さらながら気付かされる。急に引きこもって避けるようになったのを心配して、その理由を聞いたのに、逆に「初恋の人をまだ好きなのか」と訊かれれば、僕の突然の引きこもり行動は完全にそれが理由だと言っているようなものだ。どうしてこんなことに気付かなかったのだろう。
なんてアホなんだ……。
僕は自分を強く叱責したい気持ちになったが、そんなことをしてみたところで、口から出てしまった言葉はもう取り消せない。
「なんでって、それは……」
「それは……?」
「それはー……」
真宙さんにはもう気付かれているのかもしれない。僕が真宙さんに恋愛感情を抱いてしまったこと。それが理由で、真宙さんを避けていたこと。はじめての恋の相手が男の人だということに、戸惑っているということにも。けれど、ここでそれを明かしてしまったら、それは告白しているのと同じだ。
ど、どうしよう。どうしたら……。
真宙さんとふたりきりでいるのに、こんなに長く沈黙していたことはなかったかもしれない。僕は真宙さんの目を見つめられなくなって、視線を落とし、なにを言えばいいか考えていた。真宙さんも僕の言葉を待っているのだろう。なにも言わなかった。
心臓がバクバクと高鳴って、体が揺れているような感覚がある。ベッドの上に座っているせいもあるかもしれない。その感覚が煩わしくて、僕は一度、深呼吸をして、その場から逃げられないことを知りながら、立ち上がった。すると、真宙さんの手をが僕の手首を掴む。まるで、逃がさない、とでも言うようだった。
「葵くん」
「はい……」
「俺は今、ちょっとだけ期待してるんだけど……、変なカン違いしてるかな?」
「え――……」
思わず、僕は真宙さんに振り向いた。僕と真宙さんは再びしっかり視線が合って、そのまま見つめ合い、微動だにしない。脳内はパニック状態に近かった。真宙さんの言葉を正確に理解できず、体が硬直している。だが、何度か彼の言葉を反芻しているうちに、だんだんと頬が火照ってくる。
