それから、約一週間。お盆の繁忙期中、僕は真宙さんと一緒に、一日も休まず、朝一番のリバーコーミングをして、彼の家で朝ごはんをごちそうになった。真宙さんは、僕が家に居づらいのをなんとなく察していたのか、夕飯もよく誘ってくれて、ラーメン屋や、ファミレスに連れていってくれたりもした。
真宙さんと一緒にやるリバーコーミングも、朝ごはんも、夕ごはんも。気付けば毎日の楽しみになっていて、僕は自分でも、真宙さんに懐いている感覚があった。なにしろ、僕が農業の道へ歩むことを祖父に反対されて、どうしたって納得してもらえなかったときは、僕と真宙さんは駆け落ちのごとく、一緒にドがつくほどの田舎に移住して、花農家をはじめるかもしれない。それはもう、親友とか、パートナーのようなものだ。僕は勝手にそう思っていた。
そんなある日。夏休みも残り二週間ほどとなった、週末のことだった。その日、僕はいつものように真宙さんと早朝からリバーコーミング――という名のゴミ拾いをして、朝ごはんをごちそうになった。お盆が明けてから、花の出荷は少し落ち着いてきていたので、真宙さんは連休を取っていたらしい。今日は久しぶりに知人に会うのだと話していた。
僕は真宙さんと過ごすようになって、進みが遅れていた夏休みの課題を終わらせてしまおうと、隣駅前のカフェで勉強に励むことにした。なんだか心が軽やかだ。まだ家族との話し合いはできていないし、祖父にも自分の気持ちを伝えていない。現状はなにも変わっていないが、それでも、もう僕の心は決まっていたし、真宙さんという頼もしい味方もいるのだと思うと、恐怖も不安もずいぶんとなくなっていた。夏休みが終わる頃、祖父には話すつもりでいる。それでいいんだと、自分の心に迷いはなくなっていた。
ところが、そんな時。隣の席に座っていた、二人組の男性客の会話が耳に入ってきて、僕の思考と一緒にノートの上を走っていたシャープペンがピタッと止まった。
「いやぁ、デートで行くんなら、やっぱ夜のがいいんじゃない?」
「そうかなぁ」
「絶対、夜がいいって」
デートをするなら、夜がいい。おそらく、友人同士で恋バナでもしていたのだろうが、その軽い口調と、どこかで聞いた覚えがあるようなセリフに、僕はハッとした。以前、真宙さんの話していた言葉とそれが、頭の中でリンクしたのだ。
――それに俺、好きな子狙うときには、朝ごはんじゃなくて、夜ごはんに誘うから。
夜ごはん。それを思い出した途端に、かあっと頬が熱を持つ。そうだった。真宙さんは、好きな子を狙うときには夜に誘うと話していた。進路相談に乗ってもらって、散々悩みを聞いてもらって、頼もしい先輩という枠を超え、憧れにすらなっていたせいか、彼の性的指向が「どちらかというと同性」であるということを、僕はすっかり忘れていたのだ。そして、もっと言えば僕は、毎朝真宙さんの手料理をごちそうになり、夜ごはんにまで誘われている。つまり――。
真宙さんはやっぱり、僕を口説くつもりだったりして――……?
そう思いかけて、慌ててかぶりを振った。そんなはずはない。真宙さんが僕みたいな高校生を相手にするとは思えない。真宙さんは僕がたまたま隣人で、悩んでいたから声をかけてくれて、気にかけてくれているだけ。そんなことはわかりきっていることだ。それなのに、僕は自分でも驚くほどドキドキしていた。
いや、違うって。真宙さんが僕を好きなはずないだろ。なに考えてんだよ……。
自分自身にそう言い聞かせながら、僕は頭を無理やり課題に戻す。けれど、隣の席から聞こえてくる恋バナが影響しているのか、なかなか切り替えができない。甘いカフェラテを飲んで、何度か深呼吸をしてみても、真宙さんの陽気な声や、優しい笑顔を思い出しては、また心臓の鼓動が速くなってしまう。
なんでドキドキしてんだよ……。これじゃまるで、僕があの人のことを好きみたいじゃないか。
***
それから、僕は夏休みの課題にまったく身が入らず、ただ、カフェで甘いカフェラテを飲み、サンドイッチを食べ、自宅へ帰った。なんだか妙な気分だ。真宙さんに会いたいような気もするし、会いたくないような気もする。顔を見たら、心の中を見透かされそうで、きっと恥ずかしくなる。けれど、彼の声が聞きたい。今夜も夕ごはんに誘ってもらえるかもしれない――と、想像しては、そわそわと骨董屋「カザミ」を覗きたくなる。
ところが、その日、真宙さんは夕方になっても帰ってこなかった。骨董屋「カザミ」の二階の灯りは、夕食時を過ぎても暗いままで、僕は家の居間で夕飯を食べながら、真宙さんが今日、会いに行った人がどんな人なのかを思い浮かべる。大学の友だちとか、高校時代の同級生。幼馴染。僕にできる想像はそんなものだったが、母と祖母の会話で、僕はハッとした。
「真宙くん、今頃、憧れの人とおいしいもの食べてる頃かしら」
「いちご作ってる人って言ったっけねぇ」
「そうそう」
――いちご作ってる人。
真宙さんと一緒にやるリバーコーミングも、朝ごはんも、夕ごはんも。気付けば毎日の楽しみになっていて、僕は自分でも、真宙さんに懐いている感覚があった。なにしろ、僕が農業の道へ歩むことを祖父に反対されて、どうしたって納得してもらえなかったときは、僕と真宙さんは駆け落ちのごとく、一緒にドがつくほどの田舎に移住して、花農家をはじめるかもしれない。それはもう、親友とか、パートナーのようなものだ。僕は勝手にそう思っていた。
そんなある日。夏休みも残り二週間ほどとなった、週末のことだった。その日、僕はいつものように真宙さんと早朝からリバーコーミング――という名のゴミ拾いをして、朝ごはんをごちそうになった。お盆が明けてから、花の出荷は少し落ち着いてきていたので、真宙さんは連休を取っていたらしい。今日は久しぶりに知人に会うのだと話していた。
僕は真宙さんと過ごすようになって、進みが遅れていた夏休みの課題を終わらせてしまおうと、隣駅前のカフェで勉強に励むことにした。なんだか心が軽やかだ。まだ家族との話し合いはできていないし、祖父にも自分の気持ちを伝えていない。現状はなにも変わっていないが、それでも、もう僕の心は決まっていたし、真宙さんという頼もしい味方もいるのだと思うと、恐怖も不安もずいぶんとなくなっていた。夏休みが終わる頃、祖父には話すつもりでいる。それでいいんだと、自分の心に迷いはなくなっていた。
ところが、そんな時。隣の席に座っていた、二人組の男性客の会話が耳に入ってきて、僕の思考と一緒にノートの上を走っていたシャープペンがピタッと止まった。
「いやぁ、デートで行くんなら、やっぱ夜のがいいんじゃない?」
「そうかなぁ」
「絶対、夜がいいって」
デートをするなら、夜がいい。おそらく、友人同士で恋バナでもしていたのだろうが、その軽い口調と、どこかで聞いた覚えがあるようなセリフに、僕はハッとした。以前、真宙さんの話していた言葉とそれが、頭の中でリンクしたのだ。
――それに俺、好きな子狙うときには、朝ごはんじゃなくて、夜ごはんに誘うから。
夜ごはん。それを思い出した途端に、かあっと頬が熱を持つ。そうだった。真宙さんは、好きな子を狙うときには夜に誘うと話していた。進路相談に乗ってもらって、散々悩みを聞いてもらって、頼もしい先輩という枠を超え、憧れにすらなっていたせいか、彼の性的指向が「どちらかというと同性」であるということを、僕はすっかり忘れていたのだ。そして、もっと言えば僕は、毎朝真宙さんの手料理をごちそうになり、夜ごはんにまで誘われている。つまり――。
真宙さんはやっぱり、僕を口説くつもりだったりして――……?
そう思いかけて、慌ててかぶりを振った。そんなはずはない。真宙さんが僕みたいな高校生を相手にするとは思えない。真宙さんは僕がたまたま隣人で、悩んでいたから声をかけてくれて、気にかけてくれているだけ。そんなことはわかりきっていることだ。それなのに、僕は自分でも驚くほどドキドキしていた。
いや、違うって。真宙さんが僕を好きなはずないだろ。なに考えてんだよ……。
自分自身にそう言い聞かせながら、僕は頭を無理やり課題に戻す。けれど、隣の席から聞こえてくる恋バナが影響しているのか、なかなか切り替えができない。甘いカフェラテを飲んで、何度か深呼吸をしてみても、真宙さんの陽気な声や、優しい笑顔を思い出しては、また心臓の鼓動が速くなってしまう。
なんでドキドキしてんだよ……。これじゃまるで、僕があの人のことを好きみたいじゃないか。
***
それから、僕は夏休みの課題にまったく身が入らず、ただ、カフェで甘いカフェラテを飲み、サンドイッチを食べ、自宅へ帰った。なんだか妙な気分だ。真宙さんに会いたいような気もするし、会いたくないような気もする。顔を見たら、心の中を見透かされそうで、きっと恥ずかしくなる。けれど、彼の声が聞きたい。今夜も夕ごはんに誘ってもらえるかもしれない――と、想像しては、そわそわと骨董屋「カザミ」を覗きたくなる。
ところが、その日、真宙さんは夕方になっても帰ってこなかった。骨董屋「カザミ」の二階の灯りは、夕食時を過ぎても暗いままで、僕は家の居間で夕飯を食べながら、真宙さんが今日、会いに行った人がどんな人なのかを思い浮かべる。大学の友だちとか、高校時代の同級生。幼馴染。僕にできる想像はそんなものだったが、母と祖母の会話で、僕はハッとした。
「真宙くん、今頃、憧れの人とおいしいもの食べてる頃かしら」
「いちご作ってる人って言ったっけねぇ」
「そうそう」
――いちご作ってる人。
