自分の思い通りにしていいなんて、考えたこともなかった。いつも家の中では祖父の言うことが絶対だったし、僕はいつだって祖父が怒らないで済む道を選んできたからだ。だから、思う通りと言っても、ためらってしまう。本当に、自分の好きな道を思う通りに進んでいいのだろうか――と。だが、真宙さんはさらに僕に訊ねた。
「葵くんは今、どうしたいと思ってる? 言ってごらんよ」
僕は少し緊張して、ごくん、と唾を飲み込んだ。それは、今まで一度も口にできなかった願いごとだった。それを言ったら、叱られる。なにを言ってるんだ、お前は農業なんかやらなくていいんだ、いい大学へ行ってえらくなれ――と。
ここには今、真宙さんしかいない。この車の中でそれを言っても、祖父の耳には届かない。そうわかっているのに、それでも声に出すことに不安になる。だが、真宙さんの目がちら、とこっちに向けられて、僕はようやく言った。
「家業を継ぐために……、農大へ行きたいです……」
「だろ? なら、それでいいんだよ」
「でも、家族に反対されると――」
「いいんだって。気にしないの。君は家族がお金を出してくれなかったら、自分の夢を全部諦めて、竜三さんの言うことを聞いて、興味のない大学の、興味のない学部へ入るの?」
そう訊かれて、かぶりを振った。その未来を想像したとき、見えるのはいつも絶望だった。
「無理です……」
「だったら、信念を貫くしかないんだって。わかってもらうまで、話すしかない。何度衝突しても、またぶつかっていくしかないよ」
「はい……」
ごもっともだ。けれど、真宙さんに言われて、僕は気付く。やっぱり僕は怖いのかもしれない。家族との衝突、祖父との衝突、口論になることも。
だが、この障壁を乗り越えれば、僕も真宙さんのようになれるかもしれない。そんな未来を考えると、不安で重くなっていた頭と体が、途端に軽くなるように感じられた。純粋にワクワクした。もしかしたら、彼と一緒に働くこともできるかもしれない。真宙さんは僕の先輩で、ゆくゆくはパートナーのような、相棒のような存在になるかもしれない。
真宙さんとそんなふうになれたら、きっと楽しそうだ。その頃には、こんなふうにふたりで話したことも、とうに笑い話になってしまっているのだろう。そう思った時だ。再び黙った僕の頬を、真宙さんの指が突いた。
「ねぇ、じゃあさ、こういうのどう? もし、葵くんがどこかの大学を出て、家業を継ぎたいって言っても、竜三さんにわかってもらえなかったら、そのときは俺と一緒にド田舎に引きこもって、花農家をやる」
「え……」
「それまでに、俺は君の家でノウハウを徹底的に学んでおくから。一緒に駆け落ちしようよ」
駆け落ち――。その言葉に僕は声が出ない。無言のまま目を見開いたあと、少し時間差があって頬がかあっと火照った。真宙さんは前方を見たまま、いたずらが成功したとでもいうかのように、くくくっと笑っている。その笑顔を見れば、彼にからかわれているのだということはすぐにわかって、僕はすぐにその楽しそうな横顔をジトッと睨みつけ、だが、ぶっと噴き出してげらげら笑った。真宙さんとド田舎に駆け落ちして、花農家を企業する未来を想像すると、とてつもなく心が躍った。そんな未来があるなら、それも楽しいかもしれない、なんて思ったりもした。
そのあと、真宙さんと僕はマックスバーガーのドライブインで、三人分のバーガーセットを買うと、ヒデさんの家の居間で、みんなで一緒にそれを食べた。三人で食事をしたのははじめてだったが、ヒデさんは話してみると、意外にも陽気で、ひょうきんな人だった。真宙さん曰く、「今日はじいちゃんデーだから機嫌がいいんだ」と話していたから、きっとヒデさんは、よほどバーガーが好きで、この日を毎週楽しみにしているのだろう。その夜、僕はこの夏で、たぶん一番楽しい夕食時を過ごしていた。
「葵くんは今、どうしたいと思ってる? 言ってごらんよ」
僕は少し緊張して、ごくん、と唾を飲み込んだ。それは、今まで一度も口にできなかった願いごとだった。それを言ったら、叱られる。なにを言ってるんだ、お前は農業なんかやらなくていいんだ、いい大学へ行ってえらくなれ――と。
ここには今、真宙さんしかいない。この車の中でそれを言っても、祖父の耳には届かない。そうわかっているのに、それでも声に出すことに不安になる。だが、真宙さんの目がちら、とこっちに向けられて、僕はようやく言った。
「家業を継ぐために……、農大へ行きたいです……」
「だろ? なら、それでいいんだよ」
「でも、家族に反対されると――」
「いいんだって。気にしないの。君は家族がお金を出してくれなかったら、自分の夢を全部諦めて、竜三さんの言うことを聞いて、興味のない大学の、興味のない学部へ入るの?」
そう訊かれて、かぶりを振った。その未来を想像したとき、見えるのはいつも絶望だった。
「無理です……」
「だったら、信念を貫くしかないんだって。わかってもらうまで、話すしかない。何度衝突しても、またぶつかっていくしかないよ」
「はい……」
ごもっともだ。けれど、真宙さんに言われて、僕は気付く。やっぱり僕は怖いのかもしれない。家族との衝突、祖父との衝突、口論になることも。
だが、この障壁を乗り越えれば、僕も真宙さんのようになれるかもしれない。そんな未来を考えると、不安で重くなっていた頭と体が、途端に軽くなるように感じられた。純粋にワクワクした。もしかしたら、彼と一緒に働くこともできるかもしれない。真宙さんは僕の先輩で、ゆくゆくはパートナーのような、相棒のような存在になるかもしれない。
真宙さんとそんなふうになれたら、きっと楽しそうだ。その頃には、こんなふうにふたりで話したことも、とうに笑い話になってしまっているのだろう。そう思った時だ。再び黙った僕の頬を、真宙さんの指が突いた。
「ねぇ、じゃあさ、こういうのどう? もし、葵くんがどこかの大学を出て、家業を継ぎたいって言っても、竜三さんにわかってもらえなかったら、そのときは俺と一緒にド田舎に引きこもって、花農家をやる」
「え……」
「それまでに、俺は君の家でノウハウを徹底的に学んでおくから。一緒に駆け落ちしようよ」
駆け落ち――。その言葉に僕は声が出ない。無言のまま目を見開いたあと、少し時間差があって頬がかあっと火照った。真宙さんは前方を見たまま、いたずらが成功したとでもいうかのように、くくくっと笑っている。その笑顔を見れば、彼にからかわれているのだということはすぐにわかって、僕はすぐにその楽しそうな横顔をジトッと睨みつけ、だが、ぶっと噴き出してげらげら笑った。真宙さんとド田舎に駆け落ちして、花農家を企業する未来を想像すると、とてつもなく心が躍った。そんな未来があるなら、それも楽しいかもしれない、なんて思ったりもした。
そのあと、真宙さんと僕はマックスバーガーのドライブインで、三人分のバーガーセットを買うと、ヒデさんの家の居間で、みんなで一緒にそれを食べた。三人で食事をしたのははじめてだったが、ヒデさんは話してみると、意外にも陽気で、ひょうきんな人だった。真宙さん曰く、「今日はじいちゃんデーだから機嫌がいいんだ」と話していたから、きっとヒデさんは、よほどバーガーが好きで、この日を毎週楽しみにしているのだろう。その夜、僕はこの夏で、たぶん一番楽しい夕食時を過ごしていた。
